見出し画像

キ 恩送り

誰かから物心問わず恵みをいただいたのち、恩を感じてその方に恵みを返すことを恩返しと言いますね。これに対して、感じた恩をその方ではなくほかの誰かに恵みを施すことを恩送りと言うそうです。最近たて続けにこの言葉に触れました。

そのひとつは "くらしき ぎゃらりーかふぇ物語 - ともえおばあちゃんとひまわりの秘密” というコミックです。新聞広告を見てちょうどパートタイム先の仲間が倉敷に行って土産話をしてくれた後だったので、買い求めて読んでみたらこの恩送りがメインテーマになっていて、人から人へ何度も恵みが広がっていく様子にほのぼの気分を味わいました。

ふたつ目は、ユーチューブで聞いた法話。もっとも信頼している滋賀県の住職のお話で聞きました。ここでいう恵みを授かる主(ぬし)は、あみださま、ほとけさまです。ほとけさまから恵みをいただいて恩を感じても、ほとけさまに恵みを返すことなんて出来ないので感謝の気持ちをお念仏としてつぶやき、恵みはほかのどなたかに施すのが大切だと聞きました。

ここで思い返したのが「おろうそくを想う(2)」に書いた、福島の方が「がんばりましょう熊本」というメッセージをろうそくの灯で表現されたできごとでした。東日本大震災のあと全国の人々から受けた支援の気持ちに恩を感じている福島の方々は、熊本でも大きな地震災害があり尊いいのちが失われたことを思いやって、まだ自分たちの地域の復興もなかなか進まないなかで、熊本へのエールを送られたのでした。まさしくその気持ちこそ恩送りそのものです。

実は以前から漠然といわゆる信仰心があるとか信心深いという形容詞の付く方々は気持ちが優しいなぁと思うものの、その理屈がわからないままでいました。なぜなら人とほとけのさまの関係はふたりだけのものであり、人とほかの誰かとの関係も両者間の双方向のことであって、その人とほとけさまとの関係とは無関係じゃないのかと思っていたからです。

ただ神仏なんて居るはずがないだとか、宗教なんてまやかしものだとか口にされる方のうち、確かに能力もあり仕事もバリバリできてそれなりに豊かな暮らしぶりをされるかたで、他者への優しさに疑問があるかたがおられることは感じていました。というか、何よりも宗教嫌いだった自分自身が他者への優しさに乏しかったという、負の思い出を抱いています。仕事の能力も大したことはありませんでした。

以上の話をひっくるめて感じるに、目に見えない "かみさまほとけさま" からの恵みを感じているもしくは確信している人というのは、受けた恩をほかの誰かに送る大切さを感じて確信しているのではないかということです。ひょっとするとわざわざ大袈裟に言うことではなく、幼児でも小学生でもわかっている単純なことなのかもしれません。しかし宗教・仏教に触れ始めて20年近く経て恩送りと言う意味合いに気付いたことで、わたしと誰かとほとけさまの関係が明快になってスッキリしたので書き残すことにしました。

お仏壇屋の朝礼で毎朝唱和していた「感謝・報恩」。パナソニックの経営理念にも、私たちの遵奉すべき精神と称して述べられている「感謝・報恩」です。仏教の大きな要素です。

「葬儀・法事 Q&A (^-^) /」というマガジンでは、おろうそくやお線香について書きましたが、わたしと誰かとほとけさまの関係をまろやかに包む役割がハッキリするように感じます。

蛇足ながら信心深いという単語は浄土真宗では使いません。信心に浅いとか深いという概念が無いからです。でもこの文脈ではあえて使っています。そこは突っ込まないでください。