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① しばしば夢に出る、切迫している自分

外部の環境としていわゆる公的に課せられたノルマが激減し、こころは平穏というか安穏であるはずです。にもかかわらず、あまり嬉しくない夢をしょっちゅう見ます。約束した期限に業務が間に合わない夢、全然授業に出てなくて単位が足りずに卒業できない夢、訪問すべき電気屋さんに顔も出さずクレームになりそうな夢などです。切迫している自分のフラッシュバックということです。

ひょっとしたら「やりのこしたこと」の後悔が心の深い層でくすぶっているかもしれないとは思っています。もし心理学に通じた方に聞くとなにか原因を見つけてくださるかもしれませんが、目が覚めればすべて終わったこととして片付くことでむしろ喜ばしい開放感さえ持てるために放置しています。

そんな時「晒したくないことも含めてすべてが自分の人生。その部分がないと今の自分になっていない。他の選択肢もあったかもしれないが考えても仕方がなく、受け入れて前に進むのが人生。だからもし、自分が自分を総括し 何かを後進に書き残すなら、あえて全部晒けだすことがプラスでしょう。」みたいな友人の言葉を聞きました。これに強いものを感じました。

Facebook が疲れたので土俵を替えて note に書き始めたようなわたしに、彼と同じことは出来るだろうかと思いました。そこまでを文字に残さなくても考えは読み手に伝わるだろう。出来事ではなく何故を書くつもりだから、別に晒さなくても良いのではないかと・・。

でも一呼吸おいて自分にとって晒したくないことって何だろうと思い返してみました。最近「黒歴史」という単語を目にしますが健全な用語ではありません。負の体験と呼ぶほうがしっくりきます。すると、途中で諦めて達成せず敗北した事、図に乗った言動によって恥を晒した事、だれかの気持ちを配慮せず傷つけてしまったこと事。この3つが、浮かんできました。

難しくて書き切る自信はないけど、マガジンをひとつ追加してこの3つを省みる作業をしようと思いました。一番目の「途中で諦めて達成せず敗北した事」のしこりがくすぶっていることが切迫している自分を見る夢につながっているとすると晒すことで解放できるかなと思ったりしています。またもっともっと歳をとってボケた時に、恥を晒した事や誰かを傷つけてしまったこと事を「解放せずにくすぶてるとヤバイ」などと思うこともあるので、そこも含めてゆっくり書いてみます。

それにしてもどうなるか、ほんとうに難しそうです。