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いつもそこにあるもの

それはミシン、裁縫道具です。

実家の家業は、暮らしの中に糸や針、ミシンがあるのは当たり前でした。
私はそういう仕事をするとかしないとか考えたこともなく、目的もなしに大学を出て会社勤務をしてきました。
みんなそうだから、みたいな流れでした。
私にも、こう思う、こうしたいな、はあったように思うけど、同調圧力の流れの中で生きていたと思います。
そんな時代だったんだから、悔いも無し。
むしろ、会社勤めをしてからの過ごし方、生き方を後悔しています。
好きなことややってみたいことをやらずに、この歳でコレだろう的な流され感、誰が決めたかわからないようなもので生きてきました。
別に、会社はやめてよかったし、20代のうちになにか追い込むことをやればよかったなということを思います。
そこで働きたかったの?結婚したいと思ってしたっけ?とか自分のことなのにわからない。どっちでも良かったような気がします。

30代後半、育児が始まり、家でできる縫い物が趣味になりました。
なんでだろう、学びたい思いからではなく、自然に手に取り、習わずともできるからでした。
家業は和物あり洋物ありのジャンル問わずに変遷していき、私には興味がなかったけど、門前の小僧でなんとなく一通りはできてしまう…苦手意識もなくあぁこんな感じだねと。
母は、優しく手取り足取り私に何かを教えたことはありません。母のできることを私が教わった経験はないんです。
教えてもらおうともしてなかったなぁ。
母は二言目には、こんなこと難しくも何もないんや、考えたらできるやろ?
いちいち教えんとあかんことはないはずやー。
と面倒そうにいうんです。
どれどれ、と言ったときは、取り上げてやってしまう人でした。

そんな縫い物から離れてしまったのは、関西から関東に移るタイミングでした。
中学受験の塾に通う年になると、親も弁当やら送迎やらなかなかにタイトでした。
適当に作っていた普段着も、しまむらのほうが縫製よくてコスパよろしい!
そんなことから、徐々にミシンから遠のいて行きました。

この春の帰省で、手づくり市を見たり、昔作ったものを目にすることで、やっぱりいつもあったミシンがないとさみしいなぁと思ったのでした。
これから、ミシン一式を運び込み、じっくり布を触って楽しまれるといいなぁ。




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