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【短編小説】魔法少女アロエリーナ

 神社に続く長い階段の一番上から、助走をつけて跳躍する。感じる。重力。イメージする。引力。操作する。制服のスカート、プリーツのついたそれが翻りきらないようにするのが一番ちょうど。コツ。普通より長く、ゆるく、うまい具合に、落ちるための。
 落下点にいる。黒い、ゲル状の、それ。手に持ったナイフで、渾身の力で、そこだけ、重くして、振り下ろす。死ね、って、思う。くたばれ・・・・って。そう思った方が、力が込めやすい。黒い飛沫があがる。蝿みたいなそれは、辺りの草花に着いた途端、蒸発する。あとかたもなく。
 あたしの着地は上手くいったのに、あいつ壊滅させるために重くした腕、の、おさえきかなくて、でんぐり返しみたいなのを三回した。痛かった。くそ、もうちょっと、上手くやればよかった。格好よくない。日曜の朝みたいにならない。正義の味方みたいに。
 そのままうずくまって空を見ていた。流れる雲とか、飛んでいく鳥とか考えていた。明日の小テストの事とか。陸上のタイム。マックの新しいバーガーのこととかね。
 そのうちぱたぱたと小さな足音がして、あたしと同じ色のスカートと白いハイソックス、ローファーが近づいてきた。
「マルゲリータ。怪我してる」
 そう言ったのはアロエリーナだった。アロエリーナ。ボブの髪で、赤い小さな花のUピンをつけてる。目の大きな、小柄な。あたしの、相棒。
 白いワイヤレスイヤホンが、仲間の証。
 心配そうに見つめられて、ようやく膝のちょっと上を切ってることに気づいた。黒いあいつにやられたわけじゃなかった。手に持ってたバタフライナイフで、巻き込まれ事故。かっちょわるい。
「こんなの舐めたら治る」
「あと、のこったら、どうするの」
 かして。
 と、アロエリーナの手があたしのバタフライナイフを取り上げた。さっき、黒い奴を倒したそれ。で、アロエリーナは自分の手首に入刀をした。そぎ落とすみたいに。魚を開くみたいに。どろっとした血が流れた。あたしは眼球だけをおしのけて、その傷から目をそらした。
「大丈夫」
 ってアロエリーナは言った。あたしなんも言ってないのにな。あんたのその傷が、痛いのかどうかなんて。痛いに決まってるだなんて。そしてアロエリーナはナイフで開いた手首をあたしの切断された肌と血管にあわせた。そうすることで、彼女の魔法が──回復の魔法が、あたしにも効くのだった。
(痛い、いたいいたいいたいいたい)
 幻覚みたいな痛みがある。うそっぱち、にせものの。
 そして流れる血の奥から、心臓の音がした。蝉が鳴いていた。血のついたバタフライナイフが光っていた。
 あたしたち、中学生の夏。
 魔法少女だった。

梶木かじきゆえ』とは仲良くしちゃいけない。
 それは、中学校に入るときにお母さんからさんざっぱら言われてきたことだった。出身小学校は違う、クラスだって別に同じじゃない、知らない同級生の女の子。なんで仲良くしちゃいけないのか、理由は教えちゃくれなかった。
 多分きっと、星がどうのとか、聖気の流れがどうとかいうんだろうって勝手に思ってた。
 うちのお母さんはちょっとおかしい。普通じゃない。多分、間違ってる。足し算とか引き算の、一番根本的なところの、公式が合ってない人なんだと思う。でも、あたしに大事なのは、それを間違ってるって、計算が合ってないって、指摘しないこと。教えてはあげないこと。もしもあたしの耳が動くなら、ぺたんと折って、教育テレビのヘーとかワーとかいう声に耳を傾けなきゃいけないってこと。
 お母さんはあたしにはよくわからない、『御母霊様』を信じていて、休みの日はその集会に出かけていく。あたしはそれにどうしても行きたくなくって、高学年になって土日も活動がある陸上部に入った。足は、速かったし。いつも、もっとずっと速く走れるような気がしていた。
 お母さんの行く集会でも、祈り方やまじないの仕方や、呪いの仕方より、正しい走り方を教えて欲しいって、ずっと思ってた。
『梶木ゆえ』と初めて会ったのは、女子の体育の合同授業だった。『梶木』って刺繍のジャージの女子と目があった。相手も、あたしの胸元、『松田』って名前を見て、それからゆっくり目を逸らした。その時に、あたしはピンときた。きっと、多分、一緒だなって思ったんだ。
 一緒。
 あの子も、あたしと、仲良くしちゃいけないって言われてるんじゃないかって。テレパシーでもシンクロニティでもないんだけど。わかったんだ。
 梶木ゆえはあたし、『松田嘉穂かほ』と全然違う、グループのまじわらない系女子だけど、でも。似たような所で苦労してんのね、と思ったのよ。
 だからといって、別に仲良くしようとも思わなかった。多分ずっと、まじわらなくたっていいんだと思ってた。あの時まではね。


 あの子と初めてちゃんと喋ったのは、夏のはじめの、やっぱり体育の時間だった。
 中学生にもなってプールの授業なんて、かったるくってやってられない。学校だってそう思っているようで、学校指定の水着もマストでは買わせないし、一年の時に一回か二回あるだけの、おまけみたいな学習指導だった。
 あたしはプール、好きでも嫌いでもなかったけど、濡れた髪を乾かすのはめんどくさいし、日焼け止めが流れてしまうのも勘弁だなと思っていた。それ以上に、なりはじめの女の因果がご来店して、腹の底に嫌な違和感を抱えながらの、正当なサボリだった。もちろん、夏のプールサイドなんて暑いばっかでいいことがない。
 あたしのほかにも、正当だか不当だかわからない、体操服組が何人かいた。隣のクラスの女の子たちも一カ所に団子になって座ってたけど。ひとりだけね。
 この暑いのに、長袖のジャージを着た梶木ゆえが、どう見てもクラスから浮いててはぶられていたから、あたしは退屈しのぎに言った。
「ねー、あの子は?」
 尋ねた相手は隣のクラスだけど、顔見知りの陸上部の子で、あたしは一年生の中でもダントツのタイムだったから、陸上部ではちょっとした顔なのだった。
「あー、梶木さん?」
 ちらりと見て、すぐに視線を戻した。
「あの子、ちょっとね」
 変なんだよ。と、返ってきた答えはそれだけだった。全然わかんないけど、まあ、十分ともいえた。
 近寄らない方がいいよ、とおせっかいなことも言われて、あたしはそうだねー、とぼんやりとした返事をした。
 近寄らない方がいい。でもね、あたしは見ちゃった。ブブブって音がして。グランドの大きな木の脇に、黒い闇、が、吹き溜まるのを。そしてそっちを、あの子が見たのを。
 他の誰も見なかった。あたしと、あの子、だけ。
 あたしは心の中で歌を歌ってた。
 お母さんが好きな歌だ。おかあさん若い頃にはやったってCMソング。アロエの植木鉢に向かってこう歌うの。
 ──きいてアロエリーナ。
 ──ちょっと言いにくいんだけど。
「あれ、見える?」
 プールのワイヤーフェンスを指でつかむようにして、あたしは木の下をじっと睨み付けながら、そう言った。あの子だけに聞こえる声で。独り言みたいに、唐突に。
 そしたら、ほんのしばらく、迷うような沈黙のあとに。
 返事があった。
「みえる」
 梶木ゆえはそう答えた。
 あたしは、にぃっと笑った。自分の身体が、ぶるぶると震えるのがわかった。見える、んだ。そっか。見えるんだ。あたしだけじゃないんだ。
 この世の中には人間に害をなす悪いものがいるんだって教えてくれたのはお母さんだった。みんなで集まって、その悪いものを倒す集会が開かれたりした。公民館の体育館みたいな場所で。縄とか木の枝とか、鈴とか刀を持ってね。
 でもあたし、その集会でずっと思ってた。叩かれる大人の人を見ながら。
 ちがうよ。
 そっちじゃない。
 ちがうちがうちがうおかあさんちがうよそっちじゃない!!!!!!!!!!!!!!
 でも、言えなかったのは、あたしの頭がおかしいんじゃないかって、思ったからだった。だって、何十人も人がいて、その大人たちには見えないのに、黒い、あいつ、あたしだけには見えるなんて。
 あたしの頭がおかしいっていうことにしかならないしょや?
 でも、そうじゃなかった。今は、そうじゃない。あたしだけじゃない。ひとりじゃない。そう思ったら、なんだか力がわいてくる気がした。
「なんでだろ」
 あたしは半分笑いながら、ワイヤーフェンスを握る手に力をこめた。ポケットにいつもいれてるバタフライナイフが熱を持つようだった。
 護身用にって、お母さんから渡されたそれ。
 黒い影を睨みながら、言った。
「今ならあいつ、殺せる気がする」
 だってあたし。
 ひとりじゃないんだもの。


 梶木ゆえと初めて喋った、放課後の非常階段。駆け下りながら唐突に、身体が軽くなるのがわかった。減量して筋肉をつけると、肉体の意識が戻ってくる、と言ったのは陸上部の顧問だった。そうは感じなかった。もっと、目が覚めるみたいな気持ちだった。
 身体が今まで眠ってたみたいだ。
(走れる)
 黒い影を追いながら、笑い出したかった。足が、身体が、軽い。
(飛べる)
 踊り場の手すりに手をついて、跳馬のように乗り越えた。そんなことをすれば、地面というカバーを失った身体が落下してしまうのだけど、別によかった。それが、よかった。長く空を跳べるから。
 そして足下よりもっと低いところにいる、黒い影めがけて、バタフライナイフを振りかざした。それだけのことをする余裕が、中空に十分にあったのだ。
 その時、唐突に気づいたのだ。これがあたしの魔法だった。自分の身体の重さを、上へ下へひっぱる力を、自分の意志で、かえられる。
 黒い影の頭を潰したら、黒い飛沫が飛び散った。顔にもかかった。
 あたしはこいつ、がなんなのかわからない。本当に悪いものなのかも、
 でも。
「梶木さん!」
 非常階段の上に、あたしは叫ぶ。
「梶木さん、やったよ!」
 悪いとか悪くないとかそんなのもーどうでもいい!
 ────爽快、だった。
 ぱたぱたと控えめな、どんくさい音がして、夏なのに長袖のカーディガンを着た梶木さんがおりてきた。階段に座り込むあたしを見て、ポケットから白いハンカチを出して、あたしのこめかみにあてた。なんかちょっと痛かった。
「すりむいてる」
 言われてはじめて気づいた。ああ、どこだろ。走ってる時にどこかでこすったかな。あまりにハイになってたから、気づかなかったみたいだった。
「松田さん、おんなのこでしょ」
 と、あたしの百倍女の子みたいに可愛い梶木さんが言った。おんなのこはおんなのこだけど、大したおんなのこじゃねぇよ、と思ったけど、でも。梶木さんが「ちょっと待ってね」って言って、自分の爪に歯をたてて、爪の先をむしりとるようにした。爪の間から血が出たのでぎょっとした。
「え、ちょっと」
「我慢してね。すぐだから」
 梶木さんは血の流れた指を、あたしのかすり傷におしあてた。
 そこからトクトクと音がするのがわかった。少し熱をもっていた。あったかい。何か、特別なことが起こってるってすぐにわかった。あたしの、足が、とりまく重力が突然目をさましたみたいに。特別なこと。
 梶木さんが、あたしの傷を治した。
 梶木さんの魔法で。あたしなんかよりずっとすごい奴で。でも。すごいじゃんって言ったら。
「でも、自分でやった傷しか治んないの」
 ふべん、と言う、梶木さんの手首、カーディガンの奥がちらりと見えた。そこにはたくさんの傷があった。
 自分じゃない誰かからやられたから、治らなかったやつだ、とぴんときた。おかあさんからもらったバタフライナイフを握りながら、それをやった奴が誰かなんてあたしにはすぐわかる、と思った。
 聞かなくてもわかるだろう。まだ十代のあたしたちの世界は、とっても狭い。
「梶木さん」
 あたしは名前を呼んだ。呼んだら、梶木さん顔をくしゃってやって、「どうしよう」って言った。途方にくれた顔、した。
「あたし、松田さんと、仲良くしちゃだめって」
 ははおやに、言われてるのに。どうしよう、って言うから。あたしはバタフライナイフぱちんとしまって、傷がふさがりつつある梶木さんの、梶木ゆえの、手首つかんで隣に座らせた。非常階段。それから、肩に頭のせるみたいにして、笑って言った。
「んじゃ、あだ名でも決めよ」
「あだ名?」
 あたしの顔のそばで、まばたきする睫毛が揺れるのがわかった。
「そう、梶木さんとか松田さんじゃないやつ。アロエリーナとマルゲリータみたいなの」
「なにそれ」
 って梶木ゆえは笑った。
 だってどうしようって、そういうことでしょ。仲良くしちゃいけないけど、そうじゃないことをしたいってことで。それを、あたしと、あなたじゃなきゃいいって言うなら。
 あたしは彼女の、もうふさがってしまった指の先をなぞりながら、彼女の魔法を、「アロエみたい」って言った。火傷なおす、あれ。
「なにそれ」
 って、もう一度、アロエリーナは、笑った。


 それからあたしたちは、二人で過ごしている。
 あたしは陸上部のエースになって、アロエリーナはそのマネージャーをはじめた。カーディガンを着るのをやめて、傷だらけの腕を晒すようになったけれど、あたしとつるみはじめたアロエリーナは、これまでみたいにはぶられることはなかった。
 家にはいつも、お母さんが通販で買いまくるダンボールが溢れていたけど、それをまたいで自分の部屋にこもる。ベッドの中に隠れてようやく、耳にワイヤレスイヤホンの片方をおしこんだら安心する。
 ワイヤレスイヤホンは、アロエリーナとお金を出し合って買った、あたしたちだけの変身グッズだ。フリルもドレスもなれないけれど、二人でいる時だけは、おんなじ音楽がここから流れている。
 だからあたしは耳にイヤホンをつける時、それが無音でももうさみしくないのだった。その安心は、お母さんの買ってくれる水でも数珠でも神棚でも得られなかったものだ。
 あたしたちは特別仲良しを見せびらかすわけではなかったけれど、二人きりの時だけは、互いをあだ名で呼んだ。
「聞いてマルゲリータ」
 ちょっといいにくい話なんだけど。
 放課後の教室で指をからめながら、アロエリーナがそう言った。
 あたしたちの耳には同じイヤホンがはまっていた。つないだスマホから、おんなじ音楽が流れていた。
 ねぇ聞いてマルゲリータ。
 夕焼けの中でアロエリーナが囁く。イヤホンの入ってない方の、耳に。それは魔法の呪文だ。どんな言葉も許してくれる。夕焼けが赤い教室で、どんな馬鹿なことも言わせてくれる。
 あのね、あのねあのねあのね。あたし思うんだけど。
「あたしたちのははおやも、昔は魔法少女だったんじゃないかな」
 そう言われて、あたしは飲みかけていたこんにゃくジュースを喉に詰まらせそうになった。なに言ってんの、と思ったけど、詰まったこんにゃくジュースを飲み込む間に、そっか、確かにそうかもしれないと思った。
 あたしたちのお母さんもかつては魔法少女だった。
 あたしのお母さんと、アロエリーナのははおや。
 でも、二人は大人になって、魔法の力が消えちゃって、なんにも見えなくなっちゃって、離ればなれになっちゃって、だから。
 あんな、嘘っこの宗教に嵌っちゃってるんだって思ったら、全部の得心がいった。
 アロエリーナのははおやは、あたしのお母さんを、邪教徒だっていうらしい。だから近づいちゃいけません。うちのお母さんと一緒だね。自分の信じてる神様が本物だって。二人とも、そう思ってる。自分の中の、魔法が消えてしまったことを、認められなくて。
 そのどっちもが偽物だってことを、知っているのは現代の魔法少女である、あたしたちだけだ。
 片方だけのあたし達の耳からは、同じ音楽が流れてる。もう片方だけのあたし達の耳からは、互いの声しかもう、聞こえない。
 黒いあいつが本当に敵なのかどうかもわからない。
 ただ、あいつを倒している時だけは。
 あたしたちは、魔法少女でいられる。
 大人になんてなりたくないって、思いながら、つないだアロエリーナの手をぎゅっと抱きしめたら、アロエリーナはもう片方の手で、あたしの頭をなでてくれた。
「聞いてくれてありがとう。マルゲリータ」
 中学生の夏。期間限定の、魔法少女のあたしたち。


 ねぇ、聞いてアロエリーナ。
 ちょっと言いにくいんだけど。
 魔法少女じゃなくなっても、大人になって、世界が終わっても。あたしあんたのこと好きよ。
 聞いてくれてありがとう、アロエリーナ。



表紙イラスト 小島アジコ
ロゴデザイン ゆき哉


シン・魔法少女アロエリーナ

To be continued.


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