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【音楽雑記】#70 「私がオバさんになっても」森高千里(1992年②)

森高千里の「私がオバさんになっても」がリリースされたのが1992年。

「私がオバさんになっても」の当時のライブ映像Youtubeは現在、再生回数が4080万回。コメントが1万超もついている。

コメントの多くは「ちっともオバさんになってないじゃないか」か「オバさんになってもキレイじゃねぇか」といったコメントだ。

「森高いいよね」と言っていた。

彼女のデビューは1987年。その後、特に1989年のアルバム『非実力派宣言』は特にインパクトがあった。

美形なビジュアルにちょっと過激なコスチューム。要素だけ見るとキワモノになってもおかしくないアプローチだが、彼女の場合はやらされている感がなく、媚びた感じもなかった。

今思えばコンセプチャルでプロフェッショナルなアイドルの走りだったのかもしれない。

「ミーハー」「ハエ男」「気分爽快」など時代の雰囲気ををとらえたコピーライティング的な言語センスの自作詞もよかった。
「渡良瀬橋」のようなぐっとくる曲もある。ちょっと鼻にかかった歌声でドラムも叩ける。いろいろと渋滞しているが、そういったことを含め森高ブランドになっていた。

当時の若者のみならず、まわりの音楽通のおじさん連中も何だかんだと能書きを言いながら「森高いいよね」と言っていた。

この時代の年齢イメージ

この頃、森高は23-4歳ぐらい。当時の感覚からすると、そろそろ若くない年齢に差し掛かっている、という捉え方があった筈だ。歌詞の中にも「女ざかりは19」という表現がある。

統計によると1990年当時の女性の平均初婚年齢は25-6歳。今では信じがたいが、かつて「結婚適齢期=クリスマスケーキ理論」というものがあった。25歳までに結婚しないとそれ以降、売れ残ってしまうという比喩だ。

1990年のTBSドラマ「クリスマスイブ」では仙道敦子の主人公がイブに恋人と過ごすことや25歳までの結婚に異様なこだわりをみせるドラマもあった。
(主題歌は辛島美登里の「サイレント・イヴ」)

こんな時代背景からすれば、人気絶頂の森高も遠くない未来にはオバさんになるのは仕方ないと思われていた。

ミニスカートは現座進行形

しかし、そのイメージは裏切られた。
「ミニスカートはとてもムリよ」といって筈だった。
しかし森高千里は今年も現在進行形で全国ツアーを行っていてミニスカートもしている。

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