見出し画像

演劇女子部「ファラオの墓~蛇王・スネフェル~」大阪公演を見た原作オタクの感想

#演劇女子部 #ファラオの墓  

 タイトル通りです(ひねりがない)。
 「ファラオの墓」は竹宮作品のなかでもベスト5に入るくらい好きなので、アニメでも舞台でも小説でもなんでもいいから別媒体で見てみたいと思っていました。昨年に引き続き、舞台化してくださったことに感謝です。

 というわけで、以下原作オタクの長文にお付き合いください。めっちゃ長いです。ごめんなさい。あとネタバレあります。
 なお、「原作では●●だった」ということがありますが、だからだめ!とか言うつもりは全くありません。みんな違ってみんないいんじゃ。でもどうしても「ここは原作を活かしてほしかったな~」と思うポイントは最後に書いています。
 あと一度しか見ていないので記憶違いがあったら申し訳ありません。

・いざ墓参りへ

 去年の公演は東京のみだったので泣く泣く断念しましたが、なんと今年は大阪でやってくれるというではないか!しかし色々バタバタしている間に先行販売やら何やらを逃してしまい、半ば諦めていました。
 ところが、運良く初日だけチケットが△だったので、「これを逃したら二度と見れない」と思い即購入。
 TLでわりと好評だったのと、LILIUM-少女純潔歌劇-がめちゃくちゃ良かったので、ワクワクしながら会場へ向かいました。会場(メルパ●ク大阪)は新大阪駅から歩いて数分なのでアクセス抜群。近くにコンビニもスタバもある。すばらしい。

 真っ先に抱いた感想がこれ。みんな明るい。色ついてる。
 二次元オタクイベントって基本彩度低いんだよな…(自分も含めて)
  ロビーではハロヲタの皆さんが写真を交換したりしていました。イベント会場とかコラボカフェとかでよく見る風景だけど、アイドル業界でもランダム仕様なのか……と闇を感じていた。絶対選べる宝塚を見習って欲しい(懇願)。

 そして席に着いてオペラの準備したりソワソワしていたら幕が上がり、あっという間に観劇終了。(幕間あると思ってたけどなかった)
 会場出た直後のツイートが↓です。

・スネフェル最高やん…

 スネフェルの持つ色んな魅力を余すところなく表現してくださった、石田亜佑美さん。すごい。

 最初は「ちょっと感情をわかりやすく出しすぎてるかな…」と思ってたんですが、どんどん引き込まれていきました。
 スネフェルの魅力といったら何といっても、影のある屈折した王だけどちゃんと優しさは持っているところ(ただしツチノコ並みのレア度)。ちゃんと書くとレーティング的にヤバかったりなどの問題で「影」の部分は控えめだったように思いますが、実は誰も知らなかったスネフェルの持つ「優しさ」とか「人並みの感情」が伝わってきました。
 そうなんだよ、ノリで人斬ったりキレたら侍女に火つけて燃やしたりするやべーやつなんだけど、一度はナイルキアのおかげで真人間になろうとするんだよ………
 しかしその終焉もまたナイルキアによってもたらされるのがしんどいポイント+500000000000。
 スネフェルとナイルキアは「ファラオの墓」でも一番好きなカップルで、舞台でどう演出されるんだろうとワクワクしていました。そしたら「月は蓮の花の恋人 光でそっと蓮をゆり起こす…」ってデュエットが始まり椅子から転がり落ちるかと思った。ありがとう。ありがとう…


 自然の神イサハヤよ なぜそのような間違いをおかしたもう 善かれ悪しかれ孤独な二つの魂を なぜ皮肉にも恋の中へと導きたもう…(原作のモノローグ)

 原作ではその後二人が再会するシーンで、ナイルキアが小鳥にエサあげながら「空は楽しい?元気でなけりゃだめよ 幸せでなきゃだめよ!わたし…幸せなの。わかる…かしら」って恋の歌を歌う場面があるんですが、それまで本当に孤独だったナイルキアが、ウルジナの人間として一歩を踏み出そうとしているところで涙ちょちょぎれる。スネフェルもまた純粋なナイルキアに惹かれて「ワイも…守りたいものができたんや…」って決意して真人間になろうとする。なろうとしたけど……
 原作既読だから全部知ってるのに、最期のシーンは「ああ……」ってうなだれた。あれがナイルキアのとれる最善だったけど、スネフェルにとっては…というのが残酷すぎる。竹宮先生鬼かよ(好き)
 ナイルキア役の小田さくらさん、透明感があってめちゃくちゃかわいかった。これは「守りたい…この笑顔」ってなるわ。守れなかったけどな…

・忙しい人のための砂漠の鷹

 副題が「蛇王・スネフェル」である以上サリオキスの物語が端折られるのは仕方がなく、かなり忙しい人のための感がありましたが、なんとかなってたと思う。舞台版に全く出てこない重要キャラが何人もいるくらい、サリオキスが砂漠の鷹となってウルジナと戦うまでには、様々な策略と人間ドラマが積み重ねられています。それを全部書くのは今後どの媒体でファラオの墓が描かれてもキツいと思う…
 ただそのなかで、最初はスネフェルに対して単に復讐したかっただけのサリオキスが、砂漠の鷹の経験とかナイルキアの死を経てだんだん悟っていって変化していく…というところはめちゃくちゃエモいので、舞台で知った方はぜひ原作も読んで欲しいです。そして一度はスネフェルと心を通わしたことも……知ってほしい……

 最終決戦ではめっちゃ好きなセリフ「手向けの酒だ。おまえへか?それともオレ自身にか…それはこれから決まるのだが」をデュエットしてくれたので感無量です。あそこの殺陣も迫力満点でカッコよかったです。というか、全体的に殺陣が本当にすごい。奴隷だったサリオキスを翻弄するスネフェルとか、マリタ・ジクとイザイたちの戦いとか。ちょっとこれ本当にみんなアイドルなんですかね…すごいよ。
 でも背後から刺されて終わるのはちょっと…BUSHI的には不名誉な死に方じゃんと思ってしまった(BUSHIではない)。メリエトとナイルキアの幻を見るのはいいけど、それに縋るように階段登るからちょっと違うな~とは思った。死に際に思い出すくらいでいいかな、と。

・スネフェルとメリエト皇太后

 sideスネフェルということで、原作にはない描写があるのも舞台版の魅力です。それがスネフェルとおかん・メリエト皇太后の関係です。
 原作のメリエトは2巻で初登場し、その後も要所要所で出てくる重要なキャラの一人です。スネフェルとの会話は少ないですが、少ないなかにも二人の微妙な関係が見て取れる、という竹宮先生の演出の巧みさに唸る感じ。
 なので舞台ではちょっと説明しすぎというか、そこまで言わなくても感じ取れるのでは…?と思っていたのですが。思っていたんだ。途中までは。

 拙者は涙腺ガバガバ侍と申す者。

 ケス宰相のガバガバ裁判でナイルキアを失ってしまったあと、自暴自棄になるスネフェル。そんなスネフェルをメリエトが諌めるんだけど、そこでスネフェルの本音が吐露される。
 ああ…おおお……ああ…(絶命の音)
 そうだよ…蛇王とか呼ばれるスネフェルだって10代の少年なんや……
 
そして私は死んだ。

 メリエトの境遇を思うとスネフェルへ愛情が向かないのもしょうがない
。そしてスネフェルが母恋しと本当は思いながらもそれを口にできないことも。Mother is the First otherだってエヴァンゲリオンもいってた。
 だから原作ではあり得なかったメリエトの膝に抱かれるスネフェルのシーンで号泣してしまった。メリエトの最期も原作とぜんぜん違うので、ケス宰相への「テメエーーーー!!!」度もうなぎのぼり。

・さいごに

 以上色々と書いてきましたが、見に行って良かったです。スネフェルの新しい面が見られて良かったし、何より生の舞台は見ると心にハリが生まれるので…。普段は宝塚ばっかり見ているのですが、ハロプロ舞台も全く違う魅力があっていいな…。頑張る女の子たちっていいな…(そこ)
 スネフェル役の石田亜佑美さんは、LILIUMでチェリーをやってた方だと教えてもらってめちゃくちゃ驚きました。全然気付かなかったぞ!?役者ってすごいな…
 こういう舞台は公演期間が短いのがつらいところですが、きっと円盤化してくれるでしょうし、もしかしたらまた再演してくれるかもしれない。次は別の竹宮作品をしてくれるかもしれないし…!!(ウェディング・ライセンスとか見たい)待て、しかして希望せよするしかない。



以下は、「ここはこうして欲しかったな~~」的なところです。
原作のネタバレも含みます。


 尺や演出の関係上、原作と異なる役回りをするキャラクターが多いのは当然だしそれは別にいいと思う。原作では肝っ玉母ちゃんだったトキさんが別のキャラの要素も含んだ元侍女になったり、裏切り者のサライがなぜか最後までイザイと一緒に戦ってたり(笑)。
 でもアンケスエンがちょっと私の中の像と違って戸惑った…
 アンケスエンはスネフェルの許嫁で、美しく頭も良いお姫様。ひそかにサリオキスに惹かれているが、口には出さなかったし、スネフェルを嫌ったり見捨てたりは絶対しなかった。むしろスネフェルとは、夫婦というより肩を並べる友人のほうが良い関係になれたという、悲しいアレ。
 「誰にも口づけはせえへん。私はこの国の誰も愛したことないねん」(超訳)というセリフは原作にもあります。でも、ちょっとニュアンスが異なると思っていて、だからといってイコール「人の愛し方がわからない」とはならないのでは?と。
 確かにアンケスエンはスネフェルを愛していません。それは親同士が決めたことだし、スネフェルがあんなの(オブラート)なので普通にやべーやつとしか思えないからです。でも聡い姫なので、スネフェルの本心には薄々気付いている。だから「私にはムリ」とどこかで思っていたとしても突っぱねる感じにはならないと思う…んだよな…全体的にスネフェルへの優しさが足りなかった…
 アンケスエンはケス宰相の娘ですが、母はかつてメネプ神官の恋人だった。それを半ば略奪される形でケスの嫁になり、アンケスエンを生んですぐ病死してしまった。その事情を知っているアンケスエンは、「自分の生まれた意味、なすべき事はなにか」をずっと探している。それに彼女なりのアンサーを見つけるんですが、舞台版で「人の愛し方がわからない」アンケスエンはそのアンサーを見つけることができないまま終わってしまったように感じる。ここは惜しいなと思った。尺足りないからしょうがないんだけど…。

 スネフェルとメリエト皇太后について、↑でいいシーンだったなァ…(涙ブワーー)しましたが、ここはどうだったんだろう?と思うところもありました。 
 それはスネフェルがエステーリアを滅ぼした動機です。舞台では「自分を顧みなかった母への復讐」とはっきり明言していました。
 一方原作では、両親に顧みられなかった孤独を吐露するシーンで、「エステーリアを滅ぼしたのは母への贈り物……母を捨てたエステーリアの王を殺してやったのだから!」「だがそんなのはおれの独り合点だったらしいな…」と言っている。(別のシーンでは「ただの気まぐれ」と言ってるけどたぶん本心は前者)
 つまりスネフェルは母憎しでエステーリアを滅ぼしたのではなく、むしろ良かれと思ってやっちゃった感がある。そこに自分を顧みない母へのあてつけがあるのははっきりしているけど、復讐かどうかはメリエトや周囲の受け取り方によって変わるのではないか、と…
 ニュアンスの違いかもしれないけど、単純に復讐じゃないと思うんだ…微妙な違いだけどわかってほしい…スネフェルのメリエトへの感情は、「憎い」だけではなくて、「もう自分は見向きもされない」という諦観もあると思うので…
 そこを少し汲み取ったような演出にしてほしかったというのはちょっとある。でも、母の膝に抱かれるシーンは原作では無理だったと思うので、それが許される親子の距離感になったのは本当に良かったと思う…

長い!以上です。読んでくだっさってありがとうございました。
最後に似せることを放棄した絵を載せておきます。三次元の人を絵に描くのむずかしすぎた。似てないけど許してね…