受験勉強日記 修論の副作用

一日にできるタスクの量の見積もりが、最近特に甘い。先月はずっと論文を書いていて、全体量が見えない作業を延々と続けていた。その副作用が出ており、タスクの難易度だけを勘定してしまっていて、所要時間を考えなくなってしまっている。論文の作業はどれもどれくらい時間がかかるか分からないものだった。だから来る日も来る日も同じ作業を繰り返していた時もある。それでも着実に進んでいればそれでよかった。

しかしいざ現実に戻ってくると、論文執筆に比べれば遥かに単純な雑務がたくさんあり、たとえば受験勉強なんかはかなり定量化できるタスクだ。定量化できるものを定量化して、サクサク消化してしまいたい。そして余った時間で存分に遊んじゃいたい。スケジュールをちゃんと組んでしまってもいいのだが、そうするとモチベーションが下がってしまって難しい。一日にこなすタスクの全体量を測るように癖をつければそれでOK。

文章と延々と格闘してきた副作用はもう一つある。試験科目に「倫理学」があるのだが、90分で一つの設問に対する回答を記述式で書いていくものだ。限られた時間で話題を選び、全体の構成を練り上げた上で文章を書いていかなければならない。今日初めて過去問に挑戦してみたが、時間配分が全然ダメだ。一番重要なところに辿り着く前に時間が切れてしまう。90分集中し続けるのも難しいが、90分で書ける内容を選定するのもかなり難しい。まだその時間感覚がない。いくらでも書いて良い修論とは訳が違うのだ。これから2週間、アスリート的に訓練していく必要がある。とはいえ、書く内容がないわけじゃない。修論で培ったデリダへの理解をそのままぶち込めば書ける。逆に、僕の知識で書けない問題を出されたら、僕は入学に値しないというメッセージなのだろう。そのときは仕方ない。いまはできることをやるだけ。できるだけストレスを抱えないように、清々しい気分で生活しようと思う。

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