音楽の「チ⚪︎コ」

このごろKieth Jarretの ”Up for it ”というアルバムを聴いている。すごくいい。そしてこのアルバムを聴きながら、Dream Theaterを久々に聴きたいと思っている。前者はジャズのピアノトリオの作品、後者はプログレ・メタルのバンドだ。

ここ数年でほんとうに色々な音楽を聴くようになった。星野源やTaylor Swiftのようないわゆる「ポップス」も好きだし、ヒップホップは日常的に聞き返す。クラシックの作品も最近は楽しめるようになってきた。

俺は博愛主義なんじゃないかと思うほどに、色々な音楽を楽しめる感性が身についた。だが、あまりにどんよりした音楽や、チャキチャキしたテクノっぽい音楽はまだダメだ。先日、ちょっと苦手だと感じた音楽に出会った。その音楽への第一印象は「チンコ小さそうだな」だった。

そうか!俺はチンコが小さそうな音楽が苦手だ。日光を浴びてなさそうで、運動をしていなさそうで、自分一人だけで盛り上がってそうな音楽。実際にそのアーティストのチンコが小さいと言っているのではない。そんなのは知りようがない。音楽そのものの「チンコ」のサイズがある。女性アーティストの音楽であっても、「チンコ」はある。

と考えていたところ、ロバート秋山のラジオ「俺のメモ帳」で曲のバックル=股間と言えるような歌詞に注目するコーナーが始まった。曲を象徴するような、一番キモになる歌詞をバックル=股間として取り上げ、その歌詞だけを繰り返して一曲のメロディを歌い切るというコーナーだ。そう、歌詞にも「チンコ」があるのだ。

「性趣向」としての「性癖」が拡大解釈され、単に趣味のことが「性癖」と呼ばれている。俺はこの拡大解釈にやや反対だが、しかし世の中がそう動くなら仕方ない。「性」を過剰に適用してやる。世界中のあらゆるものに「チンコ」がついている。音楽や絵画にとどまらず、車や靴下や、はたまた概念にも「チンコ」がついている。あなたの周りで「チンコ」が小さなものを見つけたら、ぜひ教えて欲しい。たぶん、俺はそれを好きになれないだろう。


p.s. 当ブログで近頃チンコだのうんこだのが続いてすみません。

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