【第7CP→第8CP】おやすみパパおやすみママもう眠たくて…

記事初回入稿日:2009.08.15
最終改訂日:2019.08.04

2009年6月27日(土)
22:26 第7CP到着

本大会の最大の難関と名高い、摩周の山登りを終えました。

その結末や、第7CPからの「光の幻」を追い求めるという想いが強かったばかりに、私の中では意外とあっけなく終わってしまったようにも思えます

これはつまり何を証明したかというと、人の想い方、考え方、捉え方一つで、自分の中での感じ方が全く変わってきてしまうということです。

自分の場合は幸運なのか不幸なのか、過去の参加者の様々な声を多数いただいておりましたし、そもそもこのコースも4回目ですので、「予想ができる」ということもありました。

様々なファクターが絡み合うことによって、一見「100kmを歩く」という同じ行動をしたとしても、その感じ方は千差万別になります。

もちろん事前情報のみで変わる訳ではありません。時間軸・季節・天候・自分の体調・同行者など、本当に1回として同じ感情を抱くことはできません。

例えば、

 ・今回が初めての北海道だったとしたら?
 ・天気が去年のように濃霧で、なおかつ寒かったとしたら?
 ・朝、ユンケルを飲んでいなかったら?
 ・根津さんと一緒に、ずっと歩いてきていなかったら?
 ・「ネガティヴな発言をしない」という目標を立てていなかったら?

数少ない例えではありますが、どれをとっても、ここまで辿り着いたときに同じ感情はないでしょう。ユンケルは少し疑わしいですね。

ともかく、無事に第7CPに着いたことは事実です。

第7CPに着いた時には、勤務先の本社スタッフの方が迎えてくださいました。わざわざ道路にまで来ていただいて、本当にありがとうございます。

第6CPからここまで一緒に歩いてきたSさんは、いつの間にか、どこかへ行ってしまったようです。きっと我々のトークが不快だったのでしょう。お気を悪くしてしまい、申し訳ありませんでした。

さて、足のマメの痛みがひどくなり始めてきたときくらいから、私はサポートスタッフや巡回の方に対して、こんな言葉をかけていました。

それは、「Ciao!」(チャオ)です。

チャオといっても、少女マンガの「ちゃお」のことを言っているわけではありません。イタリア語のフランクな挨拶です。

ジローラモ氏のようなイタリア風チョイ悪オヤジを目指している私は、痛みがきつくなりすぎて頭がおかしくなったのか、イタリア風に陽気でありたいと願うようになってきました。

今考えると、その行為こそが自らの痛みを隠し、心身ともに全く異常がないというブラフであったのでしょう。ゴールする際も連呼していました。

ちなみに「Ciao!」の語源は、ベネツィアの言葉「あなたの奴隷です」なんだそうな。むしろ、その意味のほうが自分に合っている気もする。

だいぶ眠くなってはきましたが、第7CP名物のカニ汁を頂いてからにしましょう。2006年の初回から用意されているもので、過去の参加者からの絶大な支持を誇ると聞きます。

右にあるのは、川湯の仕出し屋「きたさん」特製の、五目御飯です。

カニ汁は、この写真の右奥にある大きいナベ(寸胴?)で作っています。

正直言うと、実はこの時点では、そこまでお腹も空いてはいません。しかし、カニ汁をすすったらやっぱり後に引く感じですね。どんどん飲んでしまいます。厚かましくも、2杯目をおかわりしてしまいました。

このカニ汁は、今後もこの大会の名物として、ぜひとも継続していっていただきたいものです。

夜食を済ませた後は、そろそろ床に着こうと思います。人間、暗くなったら寝るに限ります。

そんな感じでテントの中へ向かう途中、どなただったか本社スタッフの方に呼び止められ、

「ほら、カニ汁よそったからさ。持って行きな!」

と、3杯目のカニ汁を受け取りました。

ありがとうございます。。。おいしいので何杯でも食べられます。。。

…ちょっとお腹はタプタプ音がしている感じがしました。

ここからのCPはしっかりとテントが設営されていて、野外キャンプのような形になっています。そのテントに入ろうとしたら、第5CPで罵声を浴びせていただいた栗総帥を始め、顔馴染みの面々が多数いました。

第5CPから横になっておらず、ちょっと足も張ってきた感じがしたので寝る前にマッサージをお願いしようと思いました。

そこにいたのは、会社のお取引先様の1人、AR氏。この方にマッサージをしていただきます。

第5CPのKさんといい、AR氏さんといい、みなさん、マッサージのプロと言っていいほどに、マッサージがうまいです。何でこんなにうまいのかをAR氏に聞いたら、こんな答えが返ってきました。

AR氏「ほら、この大会のマッサージの神こと、トキッタさんから伝授されたからだよ。」

トキッタさんとは、私の同僚であり、勤務中は私の隣で仕事をしている方です。この大会の中では「マッサージの神」として崇められ、この方の前には行列ができるほどと云われます。一緒にカラオケにいったりと、非常に良好な関係を築けている人の中の1人です。

そんなこんなで、AR氏に10分ほど丹念にマッサージをしていただきました。とても体が軽くなったような気がします。本当にありがとうございました。これで快眠は間違いなしです。

私がAR氏のマッサージを受けている中、根津さんも、近くでマッサージを受けていました。

そしてマッサージが終わってから数分、確か23時過ぎだったと思います。私は、眠りに就くのでした。


日にちを跨いで6月28日(日)、午前1時過ぎに携帯のアラームで起床しました。願わくば、もう少し寝ていたかったのですが、根津さんをこれ以上お待たせするわけにもいきません。

後々聞いたところによると、根津さんは私の起床を待っていたといいます。長い間眠らせていただいて、本当にありがとうございました。ダメ人間を全開に披露しました。

我々が来た時に比べれば、休んでいる徒歩参加者は少なくなっていました。

我々が最終なのかと思いサポートの方に伺ってみると、「まだあと2人くらい、来てない人がいるよ。もう少しで着くらしいけど」ということでした。

ここのタイムリミットは1:30。あと30分弱ですので、きっと着くのだろうと少し安心しました。

一旦トイレに行ったあと、そろそろ出発することにいたしました。第7CPでは、この日一番ゆっくりした時間を愉しみましたので、最終メンバーではないですが、満足です。

ちなみに、足の指はこの時点で相当ヒリヒリしていました。きっとマメがたくさん潰れているのだと思います。

しかし、この大会を本格的に楽しんでいる自分からしてみれば、こんな痛みはどうってことありませんでした。「痛い」と何度も言ったところで痛みが引くわけではないですので、この大会の醍醐味の一つだと思って、愉しみを以って痛みを共にしてやろうと決めました。

ついに第7CPを後にしようとした時、テントの入口あたりには第6CPに向かう際に少しお話した、ドロンジョ様がいました。

少し微睡んでいた私は、どのような経緯でそうなったかはわからないのですが、私と根津さんのユニットに、ドロンジョ様が参加することとなりました。

我々からしてみれば、当初ドロンジョ様にとっては悲劇であったであろうとしか言いようがありません。なぜなら、男子校のノリで今まで歩いてきた我々に女性が参加してくるわけですから、まさに不安でならないでしょう。

しかし、結果から言うとこのユニットは、最後まで結束を強めたまま、ゴールまで向かうこことなるのでした。

この3人の見た目こそ、まさにタイムボカンシリーズに出てくる「ドロンボー一味」と言えました。

左から、ドロンジョ様、私、根津さん。この時の私は、軽く寝ぼけている感じです。私の握り拳に隠されているのは栗総帥です。あとあと聞いたところ、栗総帥は心霊写真のように写りたかったそうです。

この時点ではまだ予想外な3人のグループですが、辺り一面、綺麗な星空で覆い尽くされたコースへと出発していきます。

ここから次のCPである第8CPへは、だいたい6~7kmくらいです。この先ゴールまでは、CP区間の距離がそんなに長くありません。

今まで10km前後のスティント + 急勾配を経験してきた自分に、この時点で、ある感情が芽生えてきました。

それは、大会が終わってしまうことへの切なさでした。

過去3年間、この100km大会を本部スタッフとして経験してきましたが、実際に自分が徒歩参加できる今年に至るまでは、様々な出来事がありました。

話は少し外れるのですが、この大会が開催されるきっかけとなったのは、幹事長である加藤氏が、愛知で行われている「三河湾チャリティー100km歩け歩け大会」に参加し、感謝・感激・感動を得たものを地元でも行いたいというものでした。

もちろん地元で行いたいというのは、自分が生まれ育ってきた川湯温泉を、このようなイベントで観光誘致できれば、という意味合いが強くありました。

この大会の第1回(2006年)が終わった後の10月に、三河100km大会があったので、当初は私も参加したいと思っていました。それは、三河100km大会を体験することで、この大会にフィードバックできる何かがあると思ったからです。

しかし、同じ会社に努めていた上司のK氏(第1回大会で本部スタッフとして行動を共にしていた)にそのことを話したところ、このように返されました。

「まずは北海道で100km歩いてごらん。それからでも遅くないから。」

この上司のK氏は、三河100km大会ウォーキング大会の経験者です。私は何故K氏がこのように話したのかは、実を言うと理解できませんでした。ただ、これを守った上で得られるものはきっとあると思い、上司の言いつけを今まで頑なに守ってきました。

上司のK氏は、私にとって、物事の考え方、生き方を変えた人でした。その人が言うのですから、きっと私にとって得るものが大きい方に導いてくれたに違いないでしょう。

なぜ北海道100kmを先に歩いたほうが良かったのかを、もう今では上司のK氏に聞く術はありません。その時に、どのように考えていたのかを想像するしかないです。その答えは、いつかきっと自分が見つけることができると信じています。

そのようなやりとりが3年前にあった上での今回の徒歩参加。大会が、あと7時間足らずで終わってしまうことに関しては、寂しい気持ちばかりでした。

その感情を例えるならば、

卒業を間際に控えた、文化祭も終わった高校3年生の2学期後半のような、

楽しみにしていた花火大会の終盤のスターマインのような、

好きなバンドの解散ライブのアンコールの時のような、

北海道からの帰りの飛行機に乗り込む時のような、

もう何とも切ない気持ちです。

足の指の痛みなんて、その感情のつらさに比べれば、何てことはありませんでした。

少し歩いていたら、本社スタッフのAさんが、車で応援に駆け付けてくれました。

「もうゴールまではそんなに距離がないんだからさ、頑張りなよ!あたしはもうそろそろ帰宅しなきゃならないからさ、車からの応援で悪いけど。」

こうやって深夜までサポート・応援をしていただけるのは、本当にありがたいことです。しかもAさんは、我々の歩くスピードに合わせて、しばらくの間、話しかけてくれました。そんなことをしていると、アップダウンが全く苦になりませんでした。

実は第7CPまでが上りの区間ではなく、その後、摩周第三展望台までは、アップダウンが何回か繰り返します。

過去の参加者は、第7CPで登り終えたと思いこんでしまい、その後の起伏で精神的なダメージを喰らうと聞いたことがあります。それがなかったのは、少しメンタル面で余裕ができる要因となりました。

続いて現れたのは、この大会の道先案内人、栗田さんです。後ろから来ました。

私は飲み物を求めましたが、残念ながら持ち合わせていなかったようです。代わりに、2本持っていた杖を交換させていただきました。第7CPを出た時点では、左右の大きさ・長さがチグハグなものを選んでしまったので、少し扱いづらかったのです。栗田さんの車の中にはたくさんの杖が入っていたので、2つのバランスがいいものを選びました。

その後栗田さんは前に進んでしまいました。

が、少ししたらまた戻ってくるではありませんか。

一体何があったのかと思ったら、あの言葉。

「あと3.5kmだよ!」(確かそのくらいだったと思います。記憶が不鮮明)

わざわざ第8CPまで行って、引き返してくれていたのでした。本当に頭が下がります。

それから間もなく、我々ドロンボー一味は「摩周第三展望台」に到着しました。

私のプライベートで摩周湖を見るときは、ここが一番多いです。理由は、「お金がかからない」、「景色が良い」、「人が少ない」からです。意外と摩周湖ウォッチの穴場なんでしょうか。

我々はここで休憩することにしました。

狭い駐車場の段差に座り込み、座ったまま後ろに倒れ、星空が無数に散りばめられた夜空を見つめます。

星座の話をしたり、天の川の話をしたり…。

そして道東の醍醐味、流れ星を見つけることにしました。みんなが見つけられたら出発しよう、という話もしていた気がしたのですが、

私「全然見つけられないですね…」
根津さん「あっ、またありました。あ、そこにも。」
ドロンジョ様「うーん、ないかなぁ…あっ、見つけた!」
私「全然見つけられないですね…」
根津さん「やっぱり結構あるものですねぇ。どうです?」
ドロンジョ様「少しは見られましたね!やっぱり北海道の星空はすごいなぁ。」
私「全然見つけられないですね…」

という、バラエティ的にはおいしいポジションを得ることができたのですが、これでは根津さんとドロンジョ様に気を遣わせてしまうので、なんとか見つけたいと思いました。

ただ、ここでのんびりしすぎてしまうのも悪いと思い、あと3分だけ探してもらえるようにお願いしました。

私「全然見つけられないですね…」
根津さん「あそこに見えましたよ!北斗七星の右あたり」
ドロンジョ様「あっ!見えましたよ、それ!」
私「全然見つけられないですね…」
根津さん「うーん、、、あっ!あれなんかどうです?」
ドロンジョ様「あ、あっちにもありますよ!」
私「全然見つけられないですね…」

ということで、自ら設けたタイムオーバーに達したので、諦めることにしました。

摩周第三展望台を後にした我々は、これからしばらく続く下り坂へと差し掛かりました。ここからは上り坂はもうありません。ゴールまでにあるのは、上りよりも勾配のきつい下り坂と直線だけです。ここから第8~9CPまで、下り坂を進むことになります。

しばらく下り坂を歩いたら、第7CPの直前の時のように、遠くから話し声が聞こえてきました。僅かながら、左下の方に明かりも見えます。

もう第8CPはすぐそばなんだろうと思いヘアピンカーブを左に曲がったら、すぐに第8CPが見えてきました。

道路に、これから出発しようとする方々がたくさんいます。サポートの方たちも、大きな声で送り出します。そうか、さっき聞こえたのは、きっとこの声なんだろうな。

そうして午前2:33、第8CPに到着しました。

第2CP、第5CPでお世話になった地元サポーターのIさん、先程のスティントの途中に我々のペースに合わせて車から応援してくれたAさん、暗くなってから顔を合わせることが多くなった栗総帥、昨年、後夜祭で一緒に酒を酌み交わした助さん格さん、この大会で、いつも「おブッチギリに愛を届けて」くれるTMさん、そして「伝説の超(スーパー)サポタ人」、みっちーさん…

他の方を全員書ききれなくて大変恐縮ですが、今までこの大会でお世話になった顔馴染みの面々が揃っていました。

しかも、徒歩参加で序盤にCPでご一緒させていただいた事務局長の雄二さん(写真右)までもが出迎えに来てくれました。ここで休んでいたようです。

そして何でこの写真で私は後ろを向いてしまうのか…。ドロンジョ様も後ろ向いてますね。何か後ろにあったんですかね?

【第8CP→第9CP】最後の敵に打ち勝て につづく