国や地方公共団体から助成を受けたら、極右に配慮した作品にしないといけないのか。

文化芸術基本法は、第1条において、以下のように定めています。

この法律は、文化芸術が人間に多くの恵沢をもたらすものであることに鑑み、文化芸術に関する施策に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務等を明らかにするとともに、文化芸術に関する施策の基本となる事項を定めることにより、文化芸術に関する活動(以下「文化芸術活動」という。)を行う者(文化芸術活動を行う団体を含む。以下同じ。)の自主的な活動の促進を旨として、文化芸術に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図り、もって心豊かな国民生活及び活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。

その上で、同法第2条において、「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。」(第1項)などの基本理念が定められています。

そして、第8条において、「国は、文学、音楽、美術、写真、演劇、舞踊その他の芸術(次条に規定するメディア芸術を除く。)の振興を図るため、これらの芸術の公演、展示等への支援、これらの芸術の制作等に係る物品の保存への支援、これらの芸術に係る知識及び技能の継承への支援、芸術祭等の開催その他の必要な施策を講ずるものとする。」と定められ、第26条において、「国は、美術館、博物館、図書館等の充実を図るため、これらの施設に関し、自らの設置等に係る施設の整備、展示等への支援、芸術家等の配置等への支援、文化芸術に関する作品等の記録及び保存への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。」と定められています。

そして、同法第36条は、「地方公共団体は、第八条から前条までの国の施策を勘案し、その地域の特性に応じた文化芸術に関する施策の推進を図るよう努めるものとする。」と定めています。

これらの規定に基づいて、国や地方公共団体は、自ら芸術祭を開催したり、芸術作品を芸術祭や美術館等で展示するに際して財政的な支援を行うことができます。

では、国や地方公共団体が開催しまたは支援する芸術祭にその作品を出展したり、国や地方公共団体が設置する美術館等にその作品を出展したり、あるいは、その作品を美術館等に出展するにあたって国や地方公共団体から財政的な支援を受けたりしている芸術家たちは、その出展する作品について、政治的メッセージ性を排除するなどの特別の配慮をすることが法的に求められていると言えるでしょうか。

文化芸術基本法を見る限り、国や地方公共団体から財政的な支援を受けたからといって、芸術家にそのような配慮をさせる旨の規定は見当たりません。むしろ、同法第2条第1項が「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。」と定めている以上、国や地方公共団体から財政的な支援を受けてもなお、文化芸術活動を行う者は、その信念に沿った文化芸術活動を行うことが当然に許されると考えるのが自然です。国や地方公共団体が財政的な支援することで文化芸術活動に足かせをはめるようでは、文化芸術の振興策としては本末転倒ですから、そのような規定を置かなかったのは当然と言えます。

もちろん、国や地方公共団体の設置する美術館等で美術品等を展示する以上、来場者や職員を死傷させるような事故を起こすわけにもいきませんから、そのような事故を生じさせかねない展示物については、美術館等の管理者等から、必要な安全性を確保するために必要な修正を求められたり、場合によっては展示の中止を求められたりすることもあるでしょう。また、美術館等の委託を受けて設置した作品が、美術祭のテーマに沿わないとか、第三者の権利を違法に侵害するおそれがあるとか、その美術館等の展示物として求められる芸術性を満たさない等の理由で、修正を求められたり、場合によっては展示の中止を求められたりすることもあるでしょう。それは、美術館等の設置者側の自由と、出展する芸術家の自由とのせめぎあいの問題です。

しかし、国や地方公共団体から財政的な支援を受けたとしても、あまねく市民から歓迎される作品に仕上げることは全く求められておらず、特定のイデオロギーを持った人々から反発を受ける作品を仕上げて国や地方公共団体の設置する美術館等に展示することは当然に許されるというべきです。

ですから、「表現の不自由展・その後」について、自分の金でやればいい、自分のアトリエでやればいい、公金を使ったことが問題だ、国や地方公共団体が設置する美術館等で展示することが問題だなどと言っている人たちには、違和感を覚えずにはいられません。

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