女性専用車両と人格権

 複数車両から編成される列車のうち一部の車両の利用を、男性であることを理由に阻まれた場合、その人格的利益(人格権)を違法に侵害されたものと言えるでしょうか。

 今日では、一部の公営鉄道を除けば、鉄道会社も私企業が運営しています。しかし、「私企業であれば、属性に基づく差別的な処遇を自由に行って良い」というわけではありません。

 確かに、私企業対利用者という私人間の法的関係については、憲法第14条は直接的には適用されないのですが、「個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、(中略)場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る」ことが可能とされています(最判昭和昭和48年12月12日民集 27巻11号1536頁)。

 憲法第14条第1項は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定めており、国際人権規約(B規約)第2条第1項は、「この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。」と定めています。このように、日本においては、性別によって経済的または社会的関係において差別されないことも憲法上保障されていると言えます。

 この2つのテーゼを組み合わせると、「性別によって経済的または社会的関係において差別されない」という個人の利益が私企業により具体的に侵害されまたはそのおそれがある場合、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、「性別によって差別されない」という利益を保護することが可能だと言うことになります。

 「複数車両から編成される列車のうち一部の車両の利用を、男性であることを理由に阻まれる」ということは、本来利用者の個性に着目せず、所定の料金を所定の方法で前払いした人々に対し平等に旅客運送サービスを提供することが予定されている鉄道会社において、その利用者が男性であると言うことによって利用できる車両の範囲が制限されるということですから、男性であるが故に不利益な処遇を受けたと言えます。つまり、ここでは、当該編成の乗客たる男性は、男性であるが故に一部の車両の利用を排除されるという点で、「性別によって経済的または社会的関係において差別されない」という個人の利益を具体的に侵害されまたはそのおそれがあるということができます。

 そして、「男性である」という生来属性により公共スペースから排除されるということは、その人の存在そのものの価値を生来属性故に貶めるものですから、屈辱感を与える程度が大きく、その人格的利益を大いに損なうものです。そして、後述するように、排除の理由が「痴漢」という犯罪対策だとされていることは、自分が「男性」という生来属性を有しているが故に「女性が乗車している車両に乗車すると痴漢をする蓋然性が高い」人物として取り扱われているということを意味するので、より大きな屈辱感を味わされることになります。

 これに対しては、複数編成車両のうち一部の車両のみを「女性専用」とするのみであれば、男性も目的地への移動はできるので差別にはあたらないとする見解もあるようです。しかし、人種や性別、社会的身分や門地故に異なる扱いを受けること自体が屈辱であり、人格的利益を害するのです。その差別的な取扱いによる実利的な不利益が特にないということは、それが差別ではないということを意味しません(さらに言えば、差別の程度が低いことを意味せず、社会的に許容されるべきことを意味しません。)。

 したがって、問題は、その態様・程度が社会的に許容しうる限度を超えていると言えるかどうかにかかることになります。そこで問題となるのは、「社会的に許容しうる」というのはどういうことをいうのかということです。とりわけ、「差別されない利益」というのは、しばしば多数派による差別に対抗する場面で意味を有しますから、そのような差別的処遇を容認する人々が多いというだけで、「社会的に許容しうる」とするべきでないことは明らかです。私人により基本的人権が具体的に侵害された場合であってもそれが「社会的に許容しうる」ものである場合には民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等を運用してまで救済を図るべきではないとされる理由は、侵害する側の私企業の営業の自由との調整を図る必要がある点にあります。したがって、当該差別的処遇が「社会的に許容しうる」といえるためには、私企業による当該営業活動の目的・性質からみて合理性を有することが必要だと言えます。

 では、複数車両から編成される列車のうち一部の車両の利用を男性であることを理由に阻むことには合理性が認められるでしょうか。

 現行の女性専用車両の導入目的は、性犯罪とりわけ痴漢対策だとされています。しかし、特定の男性による特定の車両の利用を拒むことにより発生を防ぐことができるのは、当該車両においてなされる痴漢に限定されます(男女共用車両における痴漢を防ぐことはできません。)し、そもそもその男性が女性も乗車している車両に乗車した場合には痴漢をするだろうと言える場合に限られます。したがって、女性も乗車している車両に乗車した場合には痴漢をするだろう蓋然性が高いとする具体的な根拠を有しない男性について、痴漢対策を理由に、特定の車両の利用を拒むことには合理性はないと言うことができます。男性の中に痴漢をなす者がいるということは男性であれば痴漢をなす高度の蓋然性があることを意味しない以上、男性であると言うだけで特定の人物を特定の車両から排除することは、当該車両における痴漢予防策としての意味さえないのです。

 これに対しては、「痴漢をするだろう男性とそうでない男性とは外見上見分けがつかないので、男性であると言うだけで一律に特定の車両の利用を拒絶するのには合理性があるのだ」という見解が有り得ます。しかし、見分けがつかないからといって、男性であると言うだけの理由で、女性と同じ車両に乗車した場合には痴漢をする蓋然性が高いものとして差別的処遇をすることは許されません。自分に対して差別的処遇をすることが不合理であることの立証責任を差別的処遇を受ける側に負わせるべきではなく、当該人物に差別的処遇を課すことが合理的であることの立証責任を差別的処遇を課す側が負うべきだからです。




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