性的搾取と性的消費

 社会学者やフェミニストの方々は「性的搾取」「性的消費」という言葉を糾弾的な意味でよく用います。ただ、独自の用語について定義を示すことによって批判を受けやすくするという文化が乏しいようで、その意味するところは必ずしも明確ではありません。
 マルクス経済学用語としての「搾取」って、大雑把にいうと、労働者の労働によって生み出された成果物のうち、賃金として労働者に分配された残りを、資本家等が無償で取得することを言います。マルクス主義の人たちはそれを「不正」だと考えるわけですが、マルクス主義者が少ない現代日本では、そのこと自体を不正と考える人は少ないと言えます。
 これとパラレルに「性的搾取」という言葉の意味を考えるとすると、労働者がその性的な魅力を消費者に向けて提供することを含む労働をした成果のうち、賃金として労働者に還元された分以外の部分を資本家が無償で取得することを指すのかなとも思えてきます。他方、「性的消費」というのは、労働者等が提供する性的な魅力を消費者等が享受することを指しているのではないかと思えてきます。
 そうだとすると、搾取自体を不正と考えるマルクス主義を支持していない限り、性的搾取自体は不正でも何でもないと言うことになります。また、市場において提供されている性的魅力を消費者が消費することも、何ら不正とされるに値しないということになります。
 性的な魅力の消費者への提供を含む労働自体をフェミニズムでは許せないのかもしれません。ただし、フェミニズムという思想からは許せないからと言ってそのような労働を禁止することは、そのような労働者の職業選択の自由を制限するものとしては合理性を欠いているように思います。ある集団における道徳律から市民を解放し、その意思に沿った職業選択を自由にできるようにすることこそ、職業選択の自由を憲法上保障することとした理由の1つだからです。そして、性的な魅力の消費者への提供を含む労働をそうでない労働(例えば、専らその労働者の知識や事務処理能力を活用する労働)と比べて劣っているものと決めつけ、そのような労働を女性にさせること自体を「性差別」とする見解は、故なく職業に貴賎を設けるものであって、むしろ差別的と言うべきでしょう。
 「性的消費」については、業として提供されているわけではない女性の性的な魅力を男性が感じ取って性的な興奮を覚えあるいは快感を感ずることまで含む概念として用いられていることが少なくないようです(中にはそのような意味で「性的搾取」という言葉を用いている人もいるようですが、「搾取」概念と共通点のないものに「搾取」という言葉を用いるのは単純に間違っていると思います。)。
 ただ、それは、その女性の性的な魅力がコントロールしきれずに外部に流出していたことによって生ずる現象であって、これを性的に消費した男性を責めるの間違っていると思います。魅力的なものを見て快感を感ずることは人間としての根幹に関するものであって、そのことをもって法的または社会的な制裁を課すことは、その人の人格的な存在を否定することであって、むしろ憲法第13条により保障された幸福追求権を侵害するものとすら言えそうです。

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