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ルワンダに渡ったスポーツチャンバラ5(戦いを学ぶ意味)

前回のノートで述べた通り、私はスポーツチャンバラを武道の一種として取り組み、指導しています。では、試合で勝つこと以上に本当の戦いに焦点を当てて稽古することに、どんな意味があるでしょうか。まあ、実用的な面では護身術として役立つと言えます。ただ、実際の護身術は試合とは全然違うことを断っておきます。まず、護身とは相手を倒すことではなく、自分の身を守ることです。そのためには戦いはなるべく避けなければなりません。戦いが起こる前に相手を取りなしたり、その場を立ち去るなどが具体的な方法です。そうするためには、落ち着いて行動できるように自分の腕っぷしへの適度な自信が必要であるし、逆に、殴り合うことのリスクをよく理解して、相手を挑発しないことも必要です。普段、道場で行われる稽古がこういうことに役立つのであれば、護身術として有効であると言えます。

こうした護身術の意味ばかりではなく、もっと、普段の生活に密着した強さというか、自信を持つことにも武道は役立ちます。写真の町並みは、スポチャンの稽古場がある湖の反対岸を登った街の景色です。ヨーロッパの街並みと見間違うような高級住宅街に大きな屋敷が立ち並んでいますが、その屋敷の中にもスポチャンの生徒がいます。彼はインド系商家の裕福な家庭に生まれ育ちましたが、あまり運動を好まず、ゲームに熱中することが多く、よく風邪をひいたそうです。でも、ベンジャミンから数年間スポチャンを習うことで、ポッチャリした体は引き締まり、顔つきも精悍になって、病気もしなくなりました。彼が試合に出るときは、両親が揃って見に来てくれます。お父さんは大きな工場の重役で、息子の成長ぶりに大変喜んで、ルワンダのスポーツチャンバラには色々と金銭的に貢献していただく程、理解を示していただいています。なんだか、庶民の自分が金持ちの問題解決に役立っているなんて、不思議な感じです。

同じように、スポチャンをやることで健康を手にした人は他にもいます。彼は、私よりも年上で、ルワンダでベンジャミンと数人で細々とスポチャンを始めた頃から稽古を見に来ていました。その頃、彼はヨボヨボとした歩き方で、とてもスパーリングをできる状態ではありませんでした。そこで、そんな状態でもできる軽い運動を教えていました。ところが、私がルワンダを訪ねるたびに彼の顔は若返り、歩き方も軽々となりました。去年、彼と会った時には、若者達と互角にスパーリングをしていました。始めに会った状態からは、想像もできない光景でした。

最後に、自分にとって、武道がどんなに支えとなったかを述べたいと思います。私は、元々、争いが嫌いな性格で、やられてもやり返せない方でした。まあ、生来の性格と家庭環境の両者が作用して、こうした性格が形成されたのだと思いますが、これは、いじめを好む子供達には格好の的になってしまいます。小学校の高学年の2年間は、ほぼ毎日、罵られ、殴られ、自分の生きている意味が見出だせない程でした。勉強に打ち込むことで、その後は、そんなに酷い状況に置かれることはなかったのですが、それでも、何か漠然とした対人恐怖症を抱えていました。10代も終わる頃に武道を始め、型を中心に学ぶものからスパーリング重視するものへとシフトして行きました。その中で、相手と対等に戦い、戦った後に仲良くなれる体験を重ねて行きました。いじめとは、やり返せない状況で一方的にやられる体験なので、対等に戦う体験を続けることで、戦うことへのネガティブな感情を上書きして、心の傷が癒されました。

元々、身体能力が優れ自信がある人ならば、メジャースポーツで活躍するはずです。武道を目指す者は、色々な意味で自分の弱さを認めて、それを克服しようと行動を始めた人々です。つまり、色々な意味で弱い者が生き残るために出来ることが、武道ではないでしょうか。英語圏では、虐待された経験があり、その後、回復した人々のことを「Survivor」と言います。これは生き残りの意味の「Survival」の派生語で「生き残った者」の意味です。正に、このSurvivorを目指すためのマニュアルが武道ではないでしょうか。言い換えれば、「生き残りの方法」が、広い意味で自分の身を守る護身術としての武道です。

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