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あちらもこちらも勃てろ

 気がつけばズボンのチャックが開いている。まあ大抵は排尿後、排便後である。原因としては不要物を体から取り除いた爽快さゆえにチャックを閉めることに気が回らない、ということである。
 稀に、3日に1回ほどは「あらあなた3時間ほど開いてたんでないの?」みたいなこともある。余談ではあるが僕はよくトイレに行き、就業中であれど20分に1回はふいにふぁっと股間を弄ることもあるので、よほどのことがなければ3時間以上のチャック解放戦線は成り立たず、ゲリラは早々と制圧されるのである。
 しかし3時間といえども、大の大人がチャックを解放して辛うじて布一枚隔てている程度のチンポを、駅職場飲食店などの公衆の面前に晒しているのはいかがなものかと思われる。もとよりチンポを公衆の面前で晒したところで弱ったり恥じたりするような矜持人間ではなく、イカがもタコがもないが、あくまでも常識ある社会人としての一般論である。
 そこで、本音と実際の見てくれはどうであれ、僕はこの悪癖を矯正する方向に尽力することとした。というのが年末の仕事納めあたりの話である。

 年末年始は6日間休暇をとった。家には祖母の部屋にしかエアコンがないため、外と変わらないほどの冷気が漂っている。
 僕は長袖下着、綿ニット、パジャマシャツ、フード付きサーマルガウン、さらにはメリケン御用達のN-3Bを重ね、下はくたびれたスウェットパンツを二枚履き、弟へのクリスマスプレゼントという名目のもと購入したゲーム機で、New Yorkの治安維持に尽力していた。なのでチャックも開閉の具合もなく、そもそも実家なので恥じらう必要すらもなかった。
 6日間のうち半分は出かけていたが、全てが飲酒の用であり、人員も海綿体を備えた者のみで、むしろチンポを出していたほうが良い、くらいの会であった。ともすれば本番は社会性ムーブの定番であるところの仕事初めの日だ。

 来る仕事初め、家を出る2時間前にシャキリと目が覚めて優雅にコーヒー、軽い運動、意気揚々と出勤。と年が明けたくらいでそう糞便より少しマシくらいの人格が変わるわけはなく、家を出る20分前に起床してありとあらゆる擬音を立てたのち家を飛び出す。最寄駅に着き自分が乗る電車がくるまで2分、トイレに駆け込む。用を済ませて、ここだ、ここでズボンのチャックを閉める。ほらできた、簡単なことじゃないか。苦手意識がそうさせていただけで僕はチャックを閉める天才だったのだ。今年の抱負のようなものは8割達成されたも同然である。
 30分の電車を経て屠殺バスに2時間揺られ職場に到着。ニコチンを喫み血の代わりにタールを流す喫煙者はひとまず喫煙所へ。労働前の一服はなんてまずいのだろうか。感染症対策で換気されているとはいえ屋内喫煙所の空気は肌に重くまとわりつく。寒くもないのに知らんおっさんが吐いた息が可視化され直接体に降りかかり、しかも臭いというのはかなり気色が悪いと改めて思わされる。

 不味いタバコを急いで吸い終えて、トイレへ向かう。小便器の前に立ち、ベルトを緩めようとすると、既に緩んでいる。緩んでるというよりそもそも左側の四角い金具の枠に右の革が入っておらず、ベロンチョしている。僕は最寄駅のトイレに入った際、チャックを閉めることに意識を向けていたのでそちらは無事完遂していた。しかしチャックに向ける過集中によって擦り切れた神経はベルトのことをすっかり忘れてベロンチョし続けていた、と考察できる。3時間弱。しかも平面が少し開いているくらいのチャックの締め忘れと違い、ベルトの閉め忘れはかなり立体的で躍動感と力強さがある。よく3時間も気づかなかったものだ。

 このようにその瞬間その場所その状況において目立つところや世間体、見栄えを意識しすぎて、本当に大事なところが疎かになっているなんてことが往々にしてある。体隠して尻隠さず。玉隠して皮隠さず。多様性を意識してリメイクされたアニメ実写化はありきたりのガンアクションで中身伴わず。健康増進して人権保護せず。ポーズとって意識変えず。
 
 あちらも勃ててこちらも勃てろ。やらねばならぬと思い、僕はベルトと気持ちをギャっと引き締めるのであった。

(カバー画像は今話題の絵描きAIに描いてもらった少林寺三十六房だ。まるっぱげのサンダが見える。)

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