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木枯らし2022

 そのとき僕は、風だった。コンクリートの上の塵は舞い1月の凍てつく空気は一筋に切り裂かれた。
 そのとき僕は、韋駄天だった。サイズの合わぬ靴で地面を叩き音を置きさる。両の腕を鎌のように直角に曲げ前後に振り、人とすれ違えば外套の裾がひるがえる。
 
 驀進、がむしゃら、全速力、超特急、トップギア。脱兎の如く遁走した。さながら日没前のメロス。兎なのかメロスなのかはっきりしないが、そんなことはどうでもいいのだ。目の前で繰り広げられる不条理からできる限りの距離を取ることが最善であり、唯一の解決手段であった。

 1月1日。いわゆる元旦。東京某所で例年のごとく新年会を取り行っていた。新年会はほどよくしょうもない飲酒から何に祈っているのかも分からないような初詣まで、万事快調に進められていた。しかし1人の発言によって風向きは変わる。
 「マンネリじゃない?」
 このメンバーで大忘年会・大新年会と銘打って飲酒をすること7、8年になるだろうか。喜怒哀楽、絶叫、しっぽり、と毎年何かしらの特色を持った会であったが、たしかにマンネリ感は否めない。そうだね。と頷くもの、聞いていないもの、反応はそれぞれであるが、僕はマンネリだという指摘に肯定的であった。

 すると何やら場に異様な雰囲気、色でいえばピンク色のような、沼でいえば毒の沼に熱帯魚が泳いでいるような、そんな景色を感じた。

 また別の1人が口を開く。
「いかがわしさ匂い立たせたいなぁ」
いかがわしさ匂い立たせたいなんて言葉はおそらく正式ではないが、あえて単刀直入にいわないことで彼の願望が脳に直接伝わってくる。

 「めんどくせえなぁ」と言いながらすでに目が勃起している者、五反田までのタクシー代を調べる者、ATMで金を下ろす者、パチンコで元手を増やそうとする者。5人もいて、否定的な意見は微塵も出ない。ひとまずもう一軒入って作戦会議をする運びとなった。

 作戦会議の結果、場面転換。5人それぞれ、それぞれが決めたいかがわしいところへ。あまりにもむさ苦しく、結果の分かりきった流れだったので詳細は省く。


 詳細は省くが結果からいうと、僕は込み込みのお代であるところの金壱万六千圓を握りしめ呆然として眼前に立つ頭脳系チンピラのようなダサ眼鏡をかけたヒョロ長いどさんぴん面をした生粋のどさんぴん野郎、を見つめている。すると彼はもう一度言った。

「基本料金深夜料金2時間コースで締めて十三万圓となります。」

僕はすかさず切り返す。これは自然界でも同じだ。襲いかかる爪牙を甘んじて受け入れる穏やかな草食動物はいない。現代社会に蔓延る守銭奴の悪意に易々と狩られるわけにはいかぬのだ。
「いやでもね、お電話かけた際に『風俗伝説を見た』って言いましたよ。」
第二の牙が襲いかかる。男はほざく。

「合言葉違いますよ。ここに書いてあるじゃないですか?」

彼が差し出したスマホの画面を見ると書いてある。【合言葉は“魅惑の美女に逢いに来た”です。電話越しで伝えていただかなければクーポンは適用されません。あらかじめご了承下さい。】
 確かに書いてはある。大きめのゾウリムシの整列か、もしくは画面から発せられる静電気に寄せられた埃、くらいの小ちゃな字ではあるが、書いてある。彼の思う壺ではあるがこちら側の非を指摘された以上、声が小さくならざるを得ない。

「いやでもね…クーポンがね…いやぁ…」

とモゴモゴしていると、彼はため息をつき優しさとも妥協点ともみえる甘い毒牙を差し出す。

「じゃあ分かりました、お店の方にことの顛末を説明して交渉してみますよ。今回だけですからね。」
といい僕に背を向けお店に電話をかける。

「お客さんが合言葉を間違えたみたいで〜、そう、そうなんですよ〜。そこで相談があって〜。え?難しい?いやそこをなんとかね…」

 元旦の夜になんてものを見せられているんだ。猿には悪いが、お手本のような猿芝居だ。交渉の末に十三万圓が一万六千圓になったらそれは大した猿だよ。はあ。とかとか。思っていると、猿回しの猿であれば優等生でありそうなどさんぴんは交渉を終えたようで、こちらを振り返る。
「お客さん、良かったですね。お店の方から了承いただきましたんで、はい、こんな具合になりました。」と慣れた手つきで電卓を叩き、画面を僕に見せる。
『90,000』
我慢して、目の前のクソどさんぴんが期待しているような神妙な面持ちを作っていたが、ついに笑ってしまった。

 ようし。ようーし。僕は腹を括った。さんぴん奴は変わらず何かいっているがあまり耳に入ってこない。おそらく一度ここを出て一緒にお金を下ろしに行きましょうかと促している。そもそも九万も口座に入っていたかなと思い、適当な空返事をうち上着に袖を通し出る準備をしつつ、さんぴん奴の中綿の化繊ジャケットに包まれた体躯を観察する。
 補足ではあるが、僕はこの手のお店に行ったことはないのだ。いや1回あったかな?2回?まあ何回行ったとかは問題ではなくて、何が言いたいのかというと要するにあまりいかがわしいお店の場数を踏んでおらず、映画だのドラマだのに出てくるいかがわしいお店の男店員のイメージが頭によぎるのだ。映像の中の彼らはたいてい過去に傷のある荒くれ男であったり、落ちぶれたボクサーであったりと剛腕自慢であることが多いのだ。
 この男は見てくれがあまりにも貧相で、現代の『三下奴』という言葉の画像として用いられそうであるが油断はならない。減量中のボクサーである可能性も否めない。空腹の猛獣が一番怖い。
 しかし僕が行動をしない限り、おそらく目の前にあるのは“最後まで出さずにゴネて三下仲間複数人からのリンチ”と“渋々お金をおろしに行くが足りないのである分を差し出した上で三下仲間複数人からのリンチ”という地獄の二択のみである。

 部屋を出て、受付を過ぎ、外に出る。右へ30歩も進めば僕にとって最悪の結末、どさんぴんにとっての年始の景気付けとなるであろうコンビニエンスストアのATMがある。ゆっくりと歩を進めていく。その距離30歩であるのでゆっくり進んだところで高が知れている。
 
 29歩目、僕は前に出した左足を起点にして腰から上を思い切りコンビニと反対方向へと振る。大きく右足を出し。右足が地面に接したかと思えばすかさず左足を前に振る。後ろは振り返らず、両足の交互運動を続ける。
 
 すると僕は風になった。1月1日夜の木枯らしとなった僕はネオン街、住宅街、高架下を吹き抜ける。それも長くは続かず冬の気温に反比例して、うだるような暑さの夏の午後を感ずる生ぬるい風となった。もういいだろうと思って背後をチラと振り返るとどさんぴんは30mほど後方にいたが、僕の視線に気がつくと
「こるぁぁ待てぇ!」
と叫ぶ。うける。言動までさんぴん奴じゃないか。僕は勝利を確信したが気は抜けない、生ぬるい風を維持し、それだけに集中して前へ前へと進む。2回角を曲がって50mほど吹く。後ろを振り返るとそこに不快な眼鏡をかけたどさんぴんの姿はない。逃げ切った。

 カボチャの語源となったといわれる某王国でも現地人10人ほどに囲まれて逃げ果せたことがあったが、おそらくそのときを超えるほどの加速を飲酒した状態で行ったため猛烈な不快感が五臓六腑を襲う。脇腹に手をやり、当てもなくヨタヨタしていると電話がかかってくる。一緒に行った友人だ。どさんぴんとの攻防に精一杯で失念していたが、僕含め5人いたのだ。電話に出るとやはりやられたのだという。そして僕と全く同じ遁走という選択肢をとって無事に逃げ果せた。他2人は彼が早急に連絡して対応したためにどさんぴんと顔を合わせることもなく出てきたとのこと。(もう1人はそのときは連絡がつかず、まあ死にはしないだろとも思ったため、朝まで飲む体力が残されていなかった僕は終電で帰ることにしたのだが、帰りの車内でめちゃくちゃ良かったわ〜などいう呑気な報告がきていた。)

 日中に詣でた神社に集合することしたので、よたよた歩き、神社が見えたときは安堵と疲労、飲酒からくる不快感で物凄い嘔吐をした。その日胃に入れた酒や飯と共に、新年一発目から引いてしまった業、悪運を全て吐瀉物として体外に排出した、マーライオンを凌ぐともいえる立派なものであった。是非とも見せて差し上げたいものである。

 幸か不幸かマンネリ感は皆無、刺激的でヒリヒリとした1年の幕開けとなった新年会であった。良い年になりそうである。最後まで読んでくださった皆様にも2022年のご多幸をお祈り申し上げます。

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