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あの子がくれた贈りもの

もうすぐで試合の時間…私は車椅子バスケの選手をしている『小坂愛菜』
私にはとても大切なものをくれた子がいた。
その子の話を、少ししてみようかな

私は幼い頃、とある病気で入院したことがあった。 
川の近くにある新しくて綺麗な大きな病院で、
窓にぴたっと耳をくっつけてみると川のせせらぎが聞こえるくらい私の病室は静かだった。

私は骨の癌だった。その時病で片足の膝から下を失くして、唯一の取り柄だったバスケができなくなって自暴自棄になっていた。けれども同じ病室に居た『岡田結菜』という1人の女の子が私にたくさん話しかけたり一緒にゲームをしたり絵を描いたりしてくれた。
結菜は『急性骨髄性白血病』という病気で毎日苦い薬や痛い治療を受けていたのに結菜は私に沢山の『贈り物』をくれた

まず、結菜は私の選択肢を広げてくれた。 結菜は私に「車椅子バスケットボール」があることを教えてくれた。 それから私はバスケができるようになるためにより一層義足と車椅子の扱いを練習した。
結菜も私のことをたくさん応援してくれた。
転んだ時には励ましてくれた。
結菜は私の一番の友達になった。
それから結菜はよく1人で絵を描いていたけれど、何を描いているか聞くといつも決まって「内緒〜」と答えていた。
私が退院する数日前のこと、結菜は骨髄移植のために違う病室に入ることになった。
私は寂しかったけれど、これで結菜が退院に近づいたら今度は元気な結菜ともっとたくさん遊べると思えば嬉しかった。
結菜は川を眺めるのが好きだったから、私はレジンで川のように透き通った水色の星形のお守りを作って結菜にあげた。
すると結菜はまるで太陽のような笑みを浮かべて「絶対に元気になって遊ぼうね! 」と少し寂しそうに言ってみせると看護婦さんにつれられて新しい病室へ行ってしまった。

私が退院してしばらくした後のこと、 ポストに可愛らしい包装の小包が入っていた。
宛名を見ると結菜のお母さんからで、中には二通の手紙と中くらいの額縁に入った車椅子バスケットボールをしている私の絵だった。 端には『愛菜ならできる!頑張れ!』と書いてあった。他にも私のイニシャルの入ったお守りも入っていた

手紙を読むと、まずは結菜のお母さんからの手紙だった。『小坂さんへ 娘 岡田結菜は
かねてより病気療養中の処 薬石効なく去る9月25日に享年12歳にて永眠致しました
早速お知らせ申し上げるべき処でしたが
ご通知が遅れました事を深くお詫び申し上げます
尚 葬儀は誠に勝手ながら
近親者にて9月27日滞りなく相済ませました
ここに生前のご恩を深謝し心より御礼申し上げます

平成25年9月30日』

訃報に私は動揺が止まらなかった
ずっとずっと悪い夢だったらよかったのにと思った。

もう一通の手紙は結菜が生前に書いた遺書のようなものだった。
『愛菜ちゃんへ
これを読んでるっていうことは私はもう死んじゃってて、もう愛菜ちゃんに会えなくなっちゃってるってことだね。
私はもう長くないってわかってるから、この手紙を今のうちに書いておきます
まず、愛菜ちゃんは私に生きる勇気をくれました。愛菜ちゃんの頑張るまっすぐな姿は、ダイヤモンドより輝いていて私も頑張ろうって思えました。愛菜ちゃんには感謝しかありません!愛菜ちゃんはとっても優しくて、一緒に遊ぶと楽しくて楽しくて痛い治療も苦い薬も頑張ることができました。
きっと愛菜ちゃんなら車椅子バスケットボールの選手になれると思います♪
愛菜ちゃんが出る試合は私、お空から観ます!
愛菜ちゃんの自分の好きなことをしっかり持って、たくさん頑張る姿は国宝級です!いつまでも私の大好きな愛菜ちゃんを大切にしてあげてください!
来世でも私と仲良くしてくれたら嬉しいです!その時は一緒にバスケしようね!
沢山のことを与えてくれてありがとう!

結菜より』


と書いてあった。
涙が止まらなくて とにかく私は泣き続ける事しかできなかった。

結菜のために頑張ろうと思って、それから私は車椅子バスケを続けた。

結菜は、私に『勇気』という最高の贈り物をくれた。
今は私、選手してるよ!結菜、観てる? 試合、頑張ってくるね!


~fin~


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