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本当の「幸せ」って何? 10日間の瞑想合宿に参加してみた(2)【ストレスフルな現代社会に生きる皆さんへ】

誰とも会話禁止で、毎日約10時間超の瞑想を全10日間行う瞑想合宿に行ってきた話。ここではそこで教わる思想をご紹介します。

2.この瞑想合宿で教えている思想と瞑想実践方法


『ここでの教えは、教えだけでなく、実践を伴わなければ、あまり意味をもたない。』


と繰り返し合宿中繰り返されたくらい、実践無しの知識だけでは「体感」としては理解できません。
ですが、ここでの「思想」は、ひとつの「幸福感のあり方」、もしくは「ストレスマネジメント」として、役立つ内容だと思います。

具体的な実践の内容は、体験談の方で紹介しますが、それを読んでも自分が実践したことにはならないので、とりあえず「知識」として重要なのはこのパートです。

瞑想実践パートはあくまで実践で、何のためにそれをするのか、という理解が同時に必要です。

もしあなたが否定的な感情に悩まされることがあれば、それを解消するひとつの助けになる内容だと思います。

実際の生活に適用するかどうかは、個人の自由ですが、忙しい現代社会を生きる皆さんが、少しでもそのストレスを和らげるヒントになるのではと思っています。

ーー

この10日で教わる思想は、仏陀(ゴーダマ・ブッダ)の教えをベースとしています。

仏陀の教えをベースとはしていますが、「宗教」とか「宗派」の枠組みにとらわれず、ただ心を健康に保つための「瞑想法とその心得」としての思想にすぎないとも言っています。
(なので参加はどんな宗教の方も参加可)

というわけで、一旦そういった枠組みを考えず、読んでみてください。



さて、人は生きている中で何か問題が起きたら、「原因」をつきとめて、「事象」を確認し、解決策を講じます。

特にビジネスシーンでは、多くの人が当たり前に
実践しているでしょう。
でもなぜか、自分の「感情」に対してはこれが非常に難しくなるのです。

そもそもネガティブな、もやもやした、いらいらした、「感情」の「原因」とは何でしょうか?

それをこの瞑想法の思想と交えて解いていきたいと思います。

【この瞑想法での主な思想】

1. 苦悩、苦しみをひき起こす「原因」となるのは、大きく分けてふたつ、
「嫌悪」と「渇望」の感情。

2. 「嫌悪」や「渇望」といった感情がある限り、「苦悩」が生まれ、人は幸せから遠ざかってしまう。

3. では、その感情への対処の仕方とは?

という内容が、10日間教えられる主な内容です。

そもそも、「嫌悪」や「渇望」といった感情とはどんなものでしょうか。

「嫌悪」とは? 
人が心地が悪いと感じる、持続させたくない、逃げ出したい、と思う感覚。
強い、怒りや憎しみという感情に発展します。


『仕事で疲れて帰ってきたのに、また愚痴か。勘弁してくれよ。』
『ああ、あいつにこんなことを言われた。あのときは言い返せなかったけど、言い返してやればよかった。このことはずっとわすれないぞ。』

たとえばですが、「嫌悪」の例はこんな感じです。

「渇望」とは?
 人が心地よいと感じる、これを持続したい、失いたくない、と思う感覚。そして追い求めてもきりがなく、渇望したことが満たされるまでは、惨めさ、苦悩を感じてしまう。

例:
『ああ、もう少し給料がよければ、こんな安アパートじゃなくて少し良いところ住めるのに』(渇望1)
『よし昇給したぞ。立地の良い綺麗なところに引越しできた。でもひとりだとつまらないな。彼女ほしいな。。』(渇望2)
『彼女もできた。楽しいけど、衝突することも多くてストレスが増えたな。。もっと理解のある彼女だったらよかったのに。』(渇望3)

「渇望」の例はこんな感じです。終わりがない。

実際、日常生活でおこりうる全ての「ああいやだな」「ああこれが欲しいな」というできごと、感情は、生きている限り無くなりません。


瞑想の実践方法】

さて、それらの感情を、どう対処するのか?

ここでやっとここでの瞑想法にいたるわけですが、ここでの10日間やっていた瞑想をひとことで説明すると

“自分の呼吸を観察し、身体の感覚を観察し、平静である。感覚に反応せず、客観的に観察する“

につきます。

ちなみに瞑想の公式WEBサイトに載っている言葉では、この瞑想の概要をこう説明しています。

“自己観察による自己変革の方法です。
この瞑想法では、心と体が互いに影響を与えている深いレベルに焦点を当てます。
体の感覚は、肉体の生命を形作り、同時に精神の生命と途切れることなく関わってそれを条件付けます。
その身体感覚に注意を定めることで、心と体の相互作用を直接に体験することができるのです。
この自己観察に基づく自己発見は、心と体の深いレベルまでたどっていくことで心の汚濁を取り除き、愛と慈悲に満ちた、バランスのとれた心へと導いてくれます。”

全然何言っているのかわかりませんね。

つまり、もっと簡単な言い方をすると、

・あらゆる感情は、確実に「自分の身体」につながっている。
・その「身体の感覚」を徹底的に、客観的に観察することで、最終的には感情に流されず、客観視し、現実をありのまま見ることができることになる。

ということです。

さらにもっと具体的にいうと、

修行レベル1:まず、感情(心の変化)が、自分の「呼吸」とつながっていることを観察する。
修行レベル2:感情(心の変化)が、呼吸と、そして 自分の身体の「感覚」とつながっていることを観察する。
修行レベル3:そしてその「感覚」を観察するとき、どんな感覚を感じても、反応せず、「平静な、平穏な心」で「観察」できるようにする。

ということを繰り返しやっていると、あら不思議、自然と心のコントロールが徐々にうまくいくようになり(というより感情の波が穏やかになる)、現実をしっかりみられるようになるではありませんか、

というのがここで教わった瞑想法です。

そしてここでの瞑想修行は9日間みっちり、上記の内容、つまりとにかく自分の呼吸と感覚を観察する瞑想に向けられますが、最後の1日は、別の瞑想法を学びます。

それは、他者への「愛と慈しみの心」をもつ瞑想です。

自分の心が平安に、平静に包まれるならば、それを他の人とも分かち合いなさい。
いやむしろ、他人へ愛情を注いで行動をとるからこそ、真に心の平静が得られる、という教えです。

自分の平穏のために人に施しを与えるのであれば、それは最終的には、利己的になるのかもしれません。
実際ここの教えでは、それも真実だ。ともあっさり言い切っています。

ただ、本当の心の平穏と調和は、何も見返りを求めない、無限の愛と慈しみ、をもててこそ、得られるのだそうです。


この最後の10日目には、とにかく、そんな気持ちが持てたらいいな、みたいな瞑想法も追加されました。(瞑想中の意識だけで、見た目は変わりませんが)

以上が、10日間を通して学ばされる思想と実践方法です。

まとめると、


嫌なことがあっても嫌悪を抱かず、
渇望にとらわれず、
愛と慈しみをもって、他人に接して生きること。


それこそが、真の心の平和、幸せの道なのだと説いています。(そして解脱〔げだつ〕への道とも)





んーー、わかる、わかるけれど実際、そんな聖人になるなんて無理!渇望しないなんて無理!

と、感じるでしょう。
少なくとも私は思いました。合宿中盤はその思いで苦しみました。笑

ここの教えでは、嫌悪、怒り、憎しみ、恐れ、嫉妬、情欲、渇望、といった否定的な感情をつくるな、とは言いません。

ただ、それをとにかく「観察」する力を磨くのだ、と、繰り返されます。

そうすることで、その感情から逃げずに直視しつつ、対処できるようになることで、
自然と心が軽くなるのだ、ということです。




合宿の間、毎日1時間超にわたって、講話(この瞑想法の思想やブッダの教え)を聞く時間があります。

そこではもうちょっと噛み砕いての話があったので、そのまま抜粋して番外編としてご紹介します。

さらにかなり長くなるので、こちらは詳細ご興味ある方はどうぞ!

本当の「幸せ」って何? 10日間の瞑想合宿に参加してみた(2)番外編【ストレスフルな現代社会に生きる皆さんへ】

とりあえず細かいところはいいとして、実際の瞑想合宿の体験談の話は下記よりお進みください!

本当の「幸せ」って何? 10日間の瞑想合宿に参加してみた(3)【ストレスフルな現代社会に生きる皆さんへ】

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