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本当の「幸せ」って何? 10日間の瞑想合宿に参加してみた(2)番外編【ストレスフルな現代社会に生きる皆さんへ】

2.この瞑想合宿で教えている思想(番外編)


毎日約10時間超の瞑想を全10日間行う瞑想合宿に行ってきた話。その間毎日、1時間超にわたって瞑想するうえでの思想の講話を聞く時間があります。

9日目の講話の内容が、この10日間の思想のまとめに近いなと思ったので、その一部をご紹介します。

一部なのですがそれでも長いので、講話をまとめると、こんな感じ。

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・感情を押し込めたり、外にぶちまけたりしても何も解決にはならない。
むしろ意識では気づかない、深層意識のところに根付いてしまう。

・なので、「観察」する。

・感情そのものを直に観察するのではなく、「呼吸」と「身体の感覚」の変化を通して、その感情を観察する。

・「観察」していくと、いつかはその「呼吸」と「身体の感覚」の変化はいつかは無くなってしまう。その全てにおける無常を知る。

・何事も人のせい、周りのせいにしていたら、いつまでも幸せにならない。自分が苦しんでいるのは、全て自分の責任なのだから。

・なぜ自分の責任なのかというと、自分でその外側の事象・感覚に「反応」してしまい、苦しみといった感情を生んでいる。なので、無意識に「反応」しないように、感覚を意識して、「観察」する力をつけなさい。

・「観察」して、常に何が起こっても「平穏・平静」であることができれば、それは真の幸せに近づくのです。

ーーー

ここから講話の内容抜粋

日常は、嫌なことが起こり続けます。時々嬉しいこともあるかもしれません。

この瞑想法は、日常の浮き沈みにあって、いかに心穏やかに、健やかに、調和を保っていけるか。
その具体的な処方箋です。
嫌なでき事が起き辛いとき、たいていの人は、そこから逃げようとします。
何かの娯楽に興じて、忘れようとします。
映画や踊り、お酒やギャンブル、テレビを見たりして、苦しみを忘れようとします。

それは実際の解決にはなりません。
苦しみは、なくなるわけではありません。
昔の頭の良い人たちは、そのことに気づき、別のやり方での解決を試みるようになりました。

そのひとつは、嫌なことがあったら、娯楽に逃げ道を作る代わりに、もっと健康的な対象、たとえば自分の信仰する神仏に気をそらすことをかんがえました。
神仏の名を唱える、もしくは、神仏の姿を心の中に浮かべます。

強い信仰心をもっていれば、確かに高ぶる感情も抑えることができるでしょう。
しかし、それら娯楽に興じて嫌な感情を打ち消したり、信仰で感情を外に気をそらしたり、というような方法は、長い目でみるとうまくいきません。

気をそらすということは、その問題を抑圧し、実際には潜在意識の奥深くへ押し込めるだけだからです。

結局のところ、自分では気づかないレベルの潜在意識のところで、苦悩を増やすだけなのです。
そもそもなぜ、「苦悩」は生まれてくるのか。

一見、それは自分の外からやってくると感じますが、実は、それは「自分の内側」から始まっているのです。

心の中に怒りや憎しみ、悪意、恨み、情欲、恐怖、嫉妬、というようなネガティブな気持ちを生むとき、
その瞬間から人は「苦悩」を感じ始めます。
では、そのような苦悩を感じるとき、どうすればいいのか。
それらを、真正面から客観的に「観察」するのです。

客観的に観察するということは、感情を好きなように表に出し、それを見ている、というようなことではありません。
それでは、他の人を害することになります。
反対に、その感情を押し込めることでもありません。

押し込めるのでなく、押し出すのでなく、ただその感覚を客観的に「観察」するのです。
それらは必ず、「無常」で、最終的には去っていくのです。
ですが、言うのは簡単ですね。

実際に怒りなど強い感情が湧き出て来るとき、観察してる場合ではありません。怒っているのですから。

それに、観察すると言っても、怒りという感情には、色も形もありません。
では、その怒りの起こった瞬間ついて観察する?

それではその怒りの原因をまた思い出して、怒りを倍増するだけです。
だから、自分の「呼吸」と身体の「感覚」を使って、観察するのです。

この瞑想法を正しく訓練していれば、自分の感情に何か否定的な感情が起きるとき、必ず、「呼吸」に変化が現れることがわかります。
ほんの少しかもしれませんが、速く、強くなっていくことがわかります。

呼吸より繊細な変化では、身体に、生化学的反応が生まれます。
これは、自然の摂理で、すべての人間にあてはまることです。

その身体の感覚を、観察するのです。

抽象的な感情を観察するのは非常に難しく、ほとんど不可能に近いことです。
しかし、呼吸を、身体の感覚を観察することは、訓練すれば2・3日もすればできるようになります。
呼吸と身体の感覚を観察することは、現実から逃げ出すのでなく、現実に直面することです。

呼吸と身体の感覚を観察するとき、心の内に起こっている否定的な感情をも、同時に観察することになるのです。
それを直視し、客観的に観察することによって、いくつもの不純物が浄化し、消えてゆくでしょう。


ちょっとここらへんは、合宿で瞑想を実際にやっていないと「?」となるかもしれないですね。
私もここらへんの科学的ロジックはわからないです。

この瞑想法のよいところは、すべての問題を自分の内側でとらえる、ということです。

人は、全ての苦悩は外側からやってくると思いがちです。

「ああ、夫が、この部分だけでもちょっと変わってくれたら、私の世界はこんなに変わるのに」
同様に、「ああ、妻がここだけちょっと変わってくれたら」
「ああ息子が」「娘が」「娘の彼氏が・・・」など、永遠につづきます。

自分のことは、すっかり忘れていまうのです。

そもそも、外の世界、他者を変わらせることは本当に困難です。

ですが、自分自身はすぐにでも変えられるのです。

太陽の光が私には強すぎるからと言って、太陽の光を調節することはできませんよね。代わりに日傘をさすのです。自分を守るための方法です。

この瞑想方法も同じことなのです。
例えば、誰かがあなたを嫌な気分にさせようと、嫌なことを言ってきたとします。あなたは悪くありません。

すると、あなたは頭の中の舞台で、その嫌な出来事を何度も上映します。
その相手は、たった一度、あなたを嫌な気分にしようとしただけなのに、あなたは何度も、何日もその苦しみを味わうのです。

たまに「このことは一生忘れないぞ」とか、ひどいときには「このことは7度生まれ変わっても忘れないぞ」などという人がいます。
そうして、自分で自分を、苦しめているのです。

誰の責任でしょうか?

これは全て、自分に責任があるのです。
誰かがあなたに悪口というプレゼントを渡そうとするなら、それを受け取らなければいいのです。
ただ微笑んでこういえば言いのです。
「そんな悪意を抱えて、苦しんでいるのですね。でもご一緒するのはご免です、」と。

人は、どうしても外側に対象を向けがちです。
たしかに、腹を立ててる私も悪いかもしれない、けれど、もともとはあの人があんなことをしたからだ。と、考えます。

ですが、外側にあるものは、悪口を言った、その人の苦しみです。
憎しみや悪意を生み出さず、悪口を言うことはできません。
悪口を言ったその人は、自分で生んだ憎しみや怒りで、自分自身を不幸にしているのです。

みなさんの苦しみは、それに「反応」するときに始まります。

「感覚」に「反応」してはいけません。
反応してしまうことは、自分を苦悩を増やすことなのです。
この瞑想法を修行、訓練を続けている間に、すべての責任は、自分のうちにある、と認めるときが来るでしょう。

自分に内に起こっていることを、感情の波に飲み込まれることなく、客観的に観察するとき、
「苦悩の真の原因が、自分のうちにある」
という現実が、見えてきます。
どこで苦悩がはじまったのか?なぜこれほど自分が、苦悩しているのか?
そうして、間違った決断、間違った理解を正し始めます。

そうして反応をやめるとき、苦しみが、以前ほどなくなっていることに気づくでしょう。
この瞑想法で、自分の内のどんな感覚にも「平穏」さをもって観察できるようになるよう、懸命に修行・訓練を続けている間に、自分の中から苦悩、ネガティブさがぬけていくことがわかるでしょう。

そうすると、心が本来もっている、愛と慈しみが湧き出てきます。
この瞑想で心が浄化され、心から愛と慈しみが溢れるとき、
何の見返りを期待せず、施しをしようという気持ちが、自然に生まれてきます。
それで得をしたり、名を上げたりしたいという下心をもたず、ほかに認められたいという気持ちさえも持たずに。
それは純粋な「徳」になります。
これらの「徳」を、自分の心のうちに育むことによって、さらに心を浄化し、最終のゴール(悟り)に至るのだ、ということを心に命じ、修行を続けてください。

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というのが、9日目のざっくりとした講話の内容でした。

番外編はこんな感じで、実際の10日間の様子はのちらから。

本当の「幸せ」って何? 10日間の瞑想合宿に参加してみた(3)【ストレスフルな現代社会に生きる皆さんへ】



もーっと気になる方は、実際の創始者が語る生の声をどうぞ。


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