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青雲の志

こんばんは。初回の投稿で触れなかった米軍機の低空飛行訓練の政治的な経緯ですが当方の推測でしか無い事を承知の上で読んで頂けると幸いです。まず日本国内の低空飛行訓練は米軍の朝鮮半島有事の作戦計画5027及び5029に備えるものである事は多くの軍事専門家も指摘して居ます。またこれらの米軍のプランは日米防衛協力の指針(ガイドライン)とも関連している事は当然の事では無いでしょうか。また韓国の国内にも米本土や日本国内と同じく米軍の低空飛行訓練空域がある事は米軍の発行している航空図などにも記載されている事です。これらの事柄から朝鮮半島有事の際にはこれらの訓練を積んだ米軍の作戦機が参加して大規模な反攻作戦が計画されている事は論を俟たず空母や地上基地からおびただしい数の戦闘攻撃機が飛び立ち近接支援や阻止攻撃などのミッションをこなすものと思われます。これらの事柄は可能な限り持論を含めずにまとめたものですが、次に本題に入り米軍機の低空飛行訓練の政治的な経緯を持論を交え述べて行きたいと思います。話は一見、飛躍するようですが1950年代後半から60年代前半にかけて沖縄地域の伊江島でも本土の水戸周辺でも米空軍のF-105Dサンダーチーフ戦闘爆撃機が核攻撃の訓練であるトス ボンビング(核爆弾を空中で切り離し自機を核爆発に巻き込まない様に投弾する機動マニューバ)を繰り返していました。これにはF-105D機に装備されているLABS(低高度爆撃システム)が使われ、このシステムにより模擬爆弾等の搭載物は自動的に機体から切り離されますがタイミングの設定が微妙で、それが少しズレただけで正確には標的を目指した投弾は出来ず逆に何処に落ちるか判らないという欠点があり、現にそれらの地域では米軍機による誤射誤爆が大きな社会問題になっていたそうです。また沖縄の伊江島では1959年9月6日に遂に悲劇的な事件が起き戦闘爆撃機がLABSを用いて投弾した模擬核爆弾MD-6が民間人の農地に着弾して当時28歳の農夫の青年の生命を奪いました。その後、1964年5月に防衛庁が代替の射爆場の選定を中断してからはこの種の訓練を米軍は行わなくなり背景としてはF-105戦闘爆撃機などの任務がベトナム戦争の関係で通常爆弾での攻撃に重点が移された事やその他の運用や機体の調達スケジュールの変更などが背景にあるものと思われますが、私見を述べますと最大の原因は1960年1月19日に調印され同年5月20日に国会で承認された新日米安全保障条約にもとづき日本国内に展開する在日米軍の部隊にも非核三原則が適用され兼ねない状況で外務省をはじめ日本政府が粘り強く在日米軍司令部や米本土の国防総省などに訓練の中止を申し入れ協議を重ねた成果であると思われます。一見、米軍機の低空飛行問題と直接関係ない様な事を長々と書いてしまいましたがご容赦ください。

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