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それぞれの正義と喧嘩と第三者

いつも喧嘩をしている人たちが、また喧嘩したそうだ。

「あなたは間違っている。」

お互いの主張はいつもこうだ。

ああ、そうか。
そうだよね、言いたくもなる気持ちもわかる。
私は今第三者だから冷静だけど、当事者ってそういうもんだ。

だけど立場変われば正義も変わる。

ほとんどの人は自分が間違っているとは思っていない。
むしろ間違っていると自分で気付けば自ら謝るだろう。
お互い自分が正しくて、相手が間違っていて、相手の間違いを自分の正義で支配したいのがケンカだ。
だからあなたは間違っているとお互い責める。
それ言い出したらもう戦争だ、戦うしかない。
片方が黙っても冷戦だ、和解ではない。
加えて世間体という言葉の勝手な連合軍を出して攻め合えば、もう手が付けられない。

まあ、そういうもんなのかもしれないけどさ。

「あなたは間違っている。」ではなくて、
「私はこう思う。」という風に、自分のことしか本来言い切れない気もする。

相手の思考や行動を制限することなんか出来なくて、言えることといったら自分がどう思うかだけで、

「あなたにこうされると私はこう思う。」

と、自分のことしか伝えられないというか。
相手のほんとうなんてわからないからね。

と言うか私なら、私のことを間違っていると責めてくる人の言うことを聞こうとは思わないし、ましてや従おうとか優しくしようとかできない。

そして私も、人にいっぱいそういう思いをさせて来たんだろうな。

ちょっと胃がむずかゆい思いのまま、話を聞く。

そりゃ自分が正しいと思うから一生懸命話して相手の非を主張してるんだ。
人に話す時には自分の捉え方だけで無意識の脚色もあるだろう。

「大変でしたねぇ‥」

正解の相槌なんてわからないけれど、そこで正論を言わなくなっただけ、少し私は大人になった気がする。


#エッセイ #正論 #喧嘩 #大人になったものだ

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