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あなたの背景には何が映っていますか?

全ては「今」にある。

これを書いている今であり、塾の設立の為にあれこれ考えている今であり、いろいろなお仕事を頂いている今である。

それは、「おはよう」と言った今朝のような30年前に産まれた日から、「おやすみ」を言う寝る前のような30年ほど後のこの世を去る日の間のただの1日でもある。

時間という感覚ほど信じられない感覚は他にない。なぜなら、無いからだと思う。

それを言ってしまえば、全ての感覚は無いのだけれど、感覚の中で一番無いのにあると思わされている感覚だから危険だとも思う。

とまぁ時間感覚の話は一旦おいておいて、現代人はいつになれば今を生きるのだろう?それは自分を含め。

輝かしい未来を目指して、美しい過去に見惚れて、もしくは苦い過去に歯を食いしばり、今を生きる。さも素晴らしい生き方のように聞こえる。しかしそこには大前提が抜けている気がする。

今を生きなければ、その未来も過去もない。なぜなら未来も過去も今しか見ることはできないからだ。

「全ては背景が物語る」

これは今BESOがふっと思いついて言った言葉。

人には、その人が歩んできた今までの足跡が。
物には、その物が作られた背景というストーリーが。
場所には、その場所で繰り広げられたドラマが。

それぞれには背景があり、真実や本質はその背景にこそ現れるのだと思う。表向きはいくらでも飾ることが出来る。人を欺くことも惑わすことも一時的にはいくらでも可能だと思う。しかしすぐにそれは崩れ去る。

だからマジシャンは常に新しいタネも産み続ける。詐欺師は新しい詐欺を考え続ける。ピッチャーは新しい魔球を探し続ける。これはトリックが下らないとか、詐欺が卑劣だとか、魔球なんてないとかを言っているのでは無い。そのマジックやマジシャンの背景にどんな「想い」があるのかという点だ。

マジックを見て喜んでいるお客さんの笑顔の為なら、どんな苦しくても難しくても新しいタネを生むだろう。これはお笑い芸人も音楽家も作家も映画監督も同じ背景だと思う。出てきた中では詐欺師だけが違うだろう。私腹を肥やす為だけに詐欺をしているのだろうから。

その背景はややもすると簡単には見えないかもしれない。特にルーティンワークの多い作業の仕事をしている人の背景は見えにくいかもしれない。
それもそのはずで、なぜなら「背景」だからだ。

見えてしまうと一気に距離感がつかめなくなってしまって立体感がなくなってしまう。タネを知ってしまったマジックと一緒でリアリティや驚きがなくなる。しかし、背景を知っても、むしろ背景を知ってより好きになったり深まる物がある。それが「本物」だ。

では、もう少し視野を広げて、いろいろな背景を探る旅に出よう。

あなたの家族には、どんな背景があるのだろう?
あなたの学校には、どんな背景があるのだろう?
あなたの会社には、どんな背景があるのだろう?
住んでいる地域には、どんな背景があるのだろう?
日本には、どんな背景があるのだろう?
アジアには、どんな背景があるのだろう?
令和には、どんな背景があるのだろう?
地球には、どんな背景があるのだろう?
宇宙には、どんな背景があるのだろう?

それを紐解く鍵が「今」にある。背景は今を中心に過去と未来がある。つまり今が無ければ過去と未来も無い。ちょうどさっきのマジシャンの背景を見てみよう。観客が大歓声をあげるマジック愛好家も仰天のマジックを披露した。その背景には、それこそ血の滲むようような努力があっただろう。誰も思いつかないようなトリックを考え抜いた苦悩があっただろう。それはいつやったことだろう?確実に過去だ。過去に思いつき、道具を用意し、練習したから「今」披露できたのだ。

しかし、その練習をしていた時には、その大歓声を聞いている「今」は未来だった。来るかもわからない。しかし、その未来を信じて練習した「今」があったから練習は過去になり、当時未来だったショーを披露する「今」が来た。そして1回目の披露が過去になり、2回目3回目も過去になっていき、また新たな奇想天外なマジックを生み出す。

おそらくそこに、観客を沸かせたいという人の喜びの為にという想いが無ければ、なされなかったと思う。そしてその想いをその時々の「今」を必死に生きることでしか生まれなかったはずだ。そうして生まれた作品やショーが本物となって人々の心を動かす。

つまり、人の喜びの為に必死に今を生きている人だけが背景を見につけることが出来るのでは無いだろうか?これを人はオーラと呼んだり、後光と呼んだりするので無いだろうか?

あなたの背景にはどんなストーリーが隠されているだろう?鏡には映らない背景はあなたの周りの人たちの目にしっかりと映っているのだろうか?


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