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Very Best

 昔高校生の頃アルバイトしていたお店で私店長に「Very Best」って変ですよ〜、そんな英語、無いですよ。って言ったら店長は…いや、あるんだよ、調べてごらん。って。その時は調べてもよく分からなかったのでモヤモヤしたままそのシールを商品に貼ってた。今思えば店長も店の人も孤独だった私をあたたかく迎え入れてくれてた…。

 私は高校は一番最寄りだったという理由で県で一番の公立の進学校に進んだのだけど、その初日から私やらかした。その入学初日で変わらぬ景色に愕然としたものを感じて、というのは、当たり前ではあるのだけど入学式またはクラス替えがあった時の始業式後の、最初のホームルーム前後の休み時間の独特の雰囲気、つまりクラス皆んなが「友達を作ってやるぞ!」という気負いでギラギラして周囲の人にほぼ全員が声をかけまくっている、よく言えば賑やかな、和気あいあいとした、青春に目を輝かせたそのひととき、その儀式に私は耐えられなくて、冷めた引いた目で見てしまい、全てが嘘のように感じ、それで、その場から逃げ出した(なぜそれだけで私もそんな気分になれなかったかは、高校受験の際の親友との出来事に一因があるのだがここでは割愛する)。

 それで私はあてもなく、まだ慣れない校舎のなるべく人のいない廊下をさまよって、とぼとぼ歩きながら、今のうちに教室を覚えてしまおう、とか考えてた。見ると、わりあいまだ新しい校舎のようだった。春のひんやりとして埃っぽい空気の中、どこを見ても直線で薄暗い校舎は美しかった。それから私は、どこで今後お弁当食べようかな、お世話になるであろう保健室と図書室はどこかな、美術室と音楽室はどこかな、知っておこう、とか考えて歩いていた。今度こそ美術部に入ろうか…でも、さっきの光景を見ると気が重いな。…美術部。中学で入りたかったのに先生と合わなくて入らずじまいだったのだ。今度こそ…。でも…。

 私、どうしちゃったんだろう…、嫌なことしか思い浮かばない。するとめまいがしてきた。思わずふらついて、廊下の壁に寄りかかってうつむいてたら、突然(私にとっては突然)、通りすがりの女子二人組に声をかけられた。

「大丈夫ですか?」

(うん、大丈夫です…。あ。)

 声が全く出なかった。あれ?おかしいな…。喉が痛いわけじゃない。声はもともと小さいが、なんともならないほどじゃない。二人がキョトンとしてて私もキョトンとしてるのに気がついて、慌てて首を横にふった。喉を掴むフリをして。喉が痛いわけじゃない、ただのジェスチャーではある。二人は怪訝な顔をしながら立ち去った。
 助かった…。と思った。冷や汗のようなものを感じた。なにやら悪い予感がした。声が出ないことは今までもたまにあった。喉を温めて安静にして半日もすれば治るはずだ。原因不明。しかし大した問題じゃない、大人になれば治る、そう思ってた。チャイムが鳴った。

  ホームルームが既に始まってるクラスに戻り、入室し堂々と遅刻した。担任が私に向かって何か言ってるようだが無視した。私は誰とも目を合わさず席に着いた。
 つまらないホームルームを終えて、本日は帰宅となった。視界の片隅にはクラスでは先ほどの続き、大・友達獲得合戦が始まった様子が目に入ったが、もう既に、私は周囲を見回すこともせず、まっすぐ教室を出て家路に着いた。

 言っておきたいのだが、私は友達を作るのが苦手なつもりは無い。親の都合で幼稚園の前から何度も転校を余儀なくされてきたので、その度に友達作りを経験する機会に恵まれていた。小学四年生の時は明確に、友達作りが得意だと確信した時のことを覚えている。その時同時にもう一人男の子が同じクラスに転入したので、しばらくしてその子と比較すると明らかに私の方が注目を浴びて人気を先に得た、と自覚したのだ。私はクラスの中心になった。私は発明家で、いつも新しい遊びや話題やジョークや漫画やテレビの話題を皆に振舞っていた。勉強も難無くできたから積極的に分からない子、宿題が出来てない子に教えてあげていた。なので教えるのも上手くなった。しかも、嫌味なく「教える」ことが出来た。クラスの委員には積極的に立候補した。誰も手を上げない時に手をあげるのが好きだった。遊ぶのも得意で、珍しいゲームも持っていたし、女の子ながら男の子と一緒にゲーセンに通いもした。大人びた分厚い小説を読んでクラスの秀才メガネくんと語り合ったりした。絵を描いたら先生が勝手にコンテストに送っていて毎年何かで入賞していた。音楽もそういう血統で才能があった。見た目も、私は細身でロングで背も普通にあり猫目が大きく手足は細長く、目立ってたつもり。代わりに運動は途方もなく出来なかったが、私は間違いなくクラスの中心にいた、中学を出るまでは。ところが、前述の高校受験の結果の出来事とこの初日の雰囲気とで、私は一気に冷めてしまった。

 友達を作ろうとして作るなんて、何だかいやらしい。って…。

 それからの高校生活は味気ないものだった。私は教室で孤立していた。暇を持て余すのが実は辛かった。本を読んだり、次の授業の予習をしたりしていた。学校には中学時代の同窓生も若干いたが、目が会うことがあっても、声をかけられることは無かった。中学時代は、私はこうじゃなかったから、何事かと思ったことだろう。その変わり様が薄気味悪かったのでは無いか。あの頃私はクラスの中心にいたつもりだったが、高圧的だったのかも知れないな、と今書いてて思った。私は結局高校では、同級生の名前を一人も覚えなかった。授業は、今までと同じように、よく聞いて、ノートを自己流に取った、もっともすでに予習済みの内容であったが。かつてのようにノートの余白いっぱいに展開する理子ワールドの落書きはもうしなくなっていた。その余裕があるときは、むしろ耳にした単語を詳しく調べる時間に当てて、それもノートに取った。当てられたら普通に、頑張って声を出して端的に答えた。大概的確に答えられていたと思う。しかしグループワークとなると話しは違った。今思い出しても青ざめる思いがする…。

 「好きな人とグループになって」

 するといつも私は孤立した。他にも孤立しがちな子がいたのでそんな時は私はその子と一緒になることが出来た。しかし、ある日その子が休みな時、孤立して、私は一人チームになった。それではまずいので先生が指定したチームに入らされた。そのワークで私は適切な意見だと思う、それを述べたところ、男子から「あ、喋った」と言われた。私は何を言われたか一瞬で理解して、固まった。血の気が引いていく気がした。続けて喋ろうとした時、はっと気づいて、私は思わず喉を掴んだ。声が少しも出なくなっていた。私は顔が紅潮していくことと、冷や汗を感じた。同時に青ざめる自分を感じた。私はたとえ孤立していても「毅然とした態度で堂々と」をモットーにして背筋を伸ばして歩き、振る舞っていたつもりだが、この時ばかりは、続きを話さなければならない、その気持ちで焦ってしまった。うつむいてしまった私は男子に顔を覗き込まれ、私が話さないことを確認すると、「じゃあ、他の意見」と流されてしまった。

 …悔しかった。それに、その後に彼らで意見交換された中身より、私の主張の方が合理的で端的じゃないか、と思った。私は殻に閉じこもった。席は彼らのそばに着座しているが、私は教室の片隅の天井から彼らと喉を掴んで青ざめている私を眺めているイメージが想起された。悔しかった。私の主張の方が適切なのに――。

 そのころからだったと思う。私は休みがちになっていった。両親は共働きで、兄たちはもう家を出ており、妹はまだ中学で、母は先に出るときと後に出るときとあったので、私が先の時は一旦「行ってきます」と家を出て、その後あたりをぶらぶらして時間を潰して、母が出た頃に自宅に戻っていた。勝手に休んでいたのだ。最初は自分で学校に仮病の連絡を入れていたが、次第に連絡もしなくなっていた。一週間に一回のペースが、だんだんと増え、三日に一回になっていた。生徒手帳に休んだ日を記録していた際に、校則の中に、最低出席日数のことが書いてあって、三分の一まで休めることが分かったので、よく数えて卒業まで三年間、実際にきっかり三分の一、不登校した。

 学校を休む日は晴れの日と決めていた。外をぶらぶらして閑散とした公園でホームレスのおっちゃんと仲良くなった。でもあまり外で時間を過ごすのではなく、家に帰るか、電車であてどなく遠出した。車窓から見える遠くの美しい片田舎の景色を眺めるのが好きだった。どうして遠くの景色はゆっくり動くのに、近くの景色は早く動くのだろう――?そんなことを考えたりした。そして夜は何食わぬ顔で家にいた。母に学校のことを指摘されたことは無い。先生からも問題視されなかった、多分成績が全く問題なかったから。しかし母は気づいていたのだろうか?多分気づいていたのだろう。そのことが実は心苦しかった。幸い妹が家で騒いでくれるので母は悩む暇がなかったかも知れない。家でも私はろくに喋らなかった、猫とぐらいしか。しかし私は何か気を紛らわしたかった。そんな時、中学時代の同級生のデブの男の子が、アルバイトをしていて私にもどうかと誘ってきた。パソコンのエロゲにハマっててそのことを楽しそうに話してくるので私は大変興味を持って聞いてあげてるうちに仲良くなった友。高校は劣等校だ。私はすぐに乗った。それは地域の町のスーパーの、高級国産牛を取り扱う、お肉屋さんだった。

 私の初めてのアルバイト。学校が終わったような時間から、なるべく入るようにした。彼と、店長とその奥さん、店員のおばちゃんに歓迎されて、接客を、配置を、測り方を、笑顔の挨拶を、棚卸しを、コロッケの揚げ方を、仕込み方を、掃除を、肉のさばき方を教えてもらった。どれも新鮮で楽しかった。加えて、私はこれらに関しては不器用で実はなかなかモノにするのに時間がかかった。いつもと調子が違う。実テでは県内1位を取ったこともあるのに。しかし徐々にモノになっていき、次第に、手で持つだけで50g単位で量がわかるようになった。それから、どういう値付けが売れるのかを、いわば肉屋のミクロ経済学を教えてもらった。新鮮な赤いお肉の下に少し古いお肉を混ぜるテクニックを教えてもらった。賞味期限が切れた商品も一回は札を付け直すことも教えてもらった。夫婦の営みがどの位の頻度で行われるかも教えてもらった。どれも新鮮で楽しかった。お客さんは近所のおばちゃん達で、名前も、その家の様子も、誰がいくらの価格帯のお肉を注文するかも覚えた。いつも楽しく挨拶して会話させてもらった。私がいろいろ不憫なこともあることも理解してもらった。いきなり最後の話しになるが、私が「辞めるんです」という挨拶をした時は、おばちゃんたちは、泣いて、カウンター越しに手を握って祈ってくれた。今もその頃のおばちゃん達の顔を、何人か、思い出すことができる…。

 秋になって空気も涼しげになり紅葉も色づいてきた頃、アルバイトで新しく同じ年頃の女の子が入ってきた。小動物のような、可愛らしいおさげの、宇佐美いちかのような(誰って?調べてね)明るい子である。私たちは三人で楽しくアルバイトをすることが出来た。その子はとてもとても普通の良い子だったので、私は私の闇に取り込むまいと注意して深入りせず彼女と接した。その子が休みで私と友と二人きりの時に、彼女の話題になった。お互いの彼女の現時点での評価を語り合ったのだが、思いのほか彼の評価が高かったので、私は冗談で、でも君は、デブで、頭も悪く、デブだから釣り合わない、といつもの調子で言っただけのつもりだったが、彼は突然、怒りつつも泣き出して、すごい剣幕で言った。それでも、僕にだって努力する権利はある、挑戦するチャンスはあるはずだ、僕にだって、僕にだって…と。私は驚いて焦ったが、すぐに必死に謝って、適当にごまかして謝って、その難を逃れたが、本当に驚きの出来事だったのでよく覚えてる。私は調子に乗っていたのかも知れない…反省した。彼が、このデブが、むっつりスケベが、真面目さなんてかけらもなかった天然KY男子が、真剣に女の子に恋してるなんて思ってもみなかったから、その後何日も私そのことを考えてしまった。実はその時少し私は、何でだろう、少し敬虔な気持ちにもなった。少し嬉しかったのかも知れない。それ以来、私は彼を冗談でもからかったりはしていない、決して。

 学校での私は相変わらず三分の一チャレンジを続けていた。たまに行く学校は既にまるで喫茶店の喧騒の中かえって集中して読書したりリラックスできるのと同じような場所になっていた。もう誰の目も、何にも気にならなかった。一人でも平気だった。いや、一人の世界だった、という方が適切かも知れない。学校を休んだ時は、一日中雲を眺めて雲の数を数えてたり、ピアノを弾いたり、猫とねころんで遊んだり、市の図書館で本を、心理学や哲学、天文学や進化論、数学や各国の文学の書物を借りて読みまくった。自分がどうしてこうなのかと、世界はどうしてこうなのかを知りたかったから。あと、好きな教科も好きじゃない教科も手当たり次第、勉強したりしていた。次々身につくのが面白かった。パソコンで地球シミュレーターを自分なりに考えてプログラミングして実験してみたりしていた。オゾン層が破壊されたらどのくらいで人類は絶滅するのか、とか、巡回セールスマン問題の最適アルゴリズムを追求したりとか。そして夕方からバイトに行った。その頃からもう、分かり始めていた。私このままずっと一人なのかなって。その頃からもう、分かり始めていた。

 そんなある時店長とちょっとした論争になった。

 「Very Best」って変ですよ〜、そんな英語、無いですよ。って言ったら店長は…いや、あるんだよ、調べてごらん。って。その時は調べてもよく分からなかったのでモヤモヤしたままそのシールを商品に貼ってた。今思えば店長も店の人も孤独だった私をあたたかく迎え入れてくれてた…。

 それから私は無事、転校することもなくその高校を卒業したのだが、気づけば社会人、フリーターになっていた。卒業式も行かず。あれ?という感じだった。そういえば三年になっても進路とか考えたこともなかった。親にも何も言われなかった。先生も進路相談の面談とかするものじゃないの?私はそういえば呼ばれなかったか、私が気づかずに無視したのか。後日卒業証書を取りに行った時に先生にため息をつかれて言われた。

 …進学しなかった生徒は君だけだと。

 県で一番の進学校で毎年全員進学している中で本年は唯一、進学しなかった生徒が一人いた、と。なんか、申し訳ない気分になった。私は社会に一人、放り出された。友と、いちかはその後付き合って、そして別れた。
 

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