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(短編)幸せと涙と

幸せの呪い

 私は幼い頃から幸せの意識があって、それは多分親の宗教の影響で幸せ、幸せ、と言われていたからだと思うのだが、しかし、その呪文で私が幸せを感じる事は無く、それで私はいつも幸せを探すようになったんだと思う。

 それは多分幸せで無かったからか

 十分満たされてなかったからか

 お腹が空いてたからか

 遊び足りなかったからか

 実はいじめられてたからか

 頑張ってるのに我慢してるのに褒められ足りなかったからか

 よく出来る私のことはほったらかしで妹ばかりが母に構われていたからか

 分からない。

ベッドの上の特等席

 ある日その子はうちにやってきた。

 近くの公園でカラスにいじめられて血だらけだったのを妹が見つけ助けたのだった。家族で可愛いがったが、世話をするのはいつも私の役目だった。

 小さいその子は、最初はミルクで育て、すぐにカリカリを食べるようになった。その頃からやんちゃで、よく遊び、よく走り回り、そしてよく噛み付いてきて、爪を立てて引っ掻いてきた。

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 可愛がろうとすれば必ずその手を噛んできて、その手首を爪を立てて引っ掻いてきた。そんな時私は教育のためと考え、彼をしばしば叩いた。そうでもしなければこちらの血が出るまで噛みつき引っ掻いてくるからであった。私の手の指と甲と手首はいつも血だらけで絆創膏をぐるぐるに巻いていた。甘えてくるのでは無く、いつも警戒しながら寄ってきて、引っ掻くか、噛み付いてくるのであった。

 しかしその子との生活は充実していた。

 夜は常におとなしく一緒にベッドで眠る毎日だったし、彼は明らかに家族の中では私に一番懐いていたのが分かった。彼なりに。

 その子との生活は充実していた。

 それから半年ほどして猫が増えると彼は一気にお兄さんになった。新しく入ってきた猫は大人びた兄を見習って、最初から噛むような癖はなく、甘え上手だった。

 いつしか先の猫は私に近づくことは少なくなっていき、私の眠るベッドの上は新猫の特等席に取って代わられていた。

 その時あいつの寝床がどこになっていたかは分からなかった。気がつかなかった。

 あいつはほぼ完全に居候のような他人となっていて、一日に十回ほどこちらの部屋とあちらの部屋を往復するパトロールが日課になっている以外何も楽しみが無いようだった。

 部屋の扉が閉まっているときは私が開けるまで、だまってじっと待っていた。鳴けば、すぐ開けてやるのに。

 廊下で彼とすれ違うことが多々あったが、私が声をかけても彼は一言の挨拶も無い。

 私が普通に生活をしていると、彼も彼の人生なりに、普通に生活をしているようであった。

 新猫とも仲良くなり、一緒に寝ていることもあったが、夜はどこで寝ているか分からなかった。代わりに新猫が私の眠るベッドを特等席にしていた。

彼と私、それぞれの、人生

 それから半年ほど経ったある日、あいつの姿が見えなくなった。私は心配になり必死に探したが、なかなか見つからなかった。新猫は知らんぷりだった。

 私の不安は募り、必死に必死に家中を探したところ、数時間後、ベッドの下で血を吐いて冷えているあいつを見つけた。

 動物病院に連れていくと、すでに絶命しており、猫によくある原因不明の心臓発作、ということだった。

 私は動物の葬儀屋さんで火葬の手配をして遺骨となった彼を持ち帰って、納骨箱を部屋に飾った。

 新猫はそのことについては知らんぷりだった。

 家の中はしんとしていた。

 夜、寝る時いつも通り新猫がベッドに上がってきたので、甘えんぼの彼が近寄ってくるより早く、私は彼を引き寄せ抱きしめて横になった。

 その時私は、突然の涙と嗚咽が止まらなかった…。

 そのうち眠ってしまったが、それから私は何日も寂しさが拭えなかった。親戚や祖父母が亡くなっても、泣かなかったのに…。

 いま、私は分かる。

 彼がいたときは、私は幸せだったんだと。

 彼も、私といて幸せだったんだろうと。

 あいつはほぼ完全に居候のような他人となっていて、一日に十回ほどこちらの部屋とあちらの部屋を往復するパトロールが日課になっていた。

 部屋の扉が閉まっているときは私が開けるまで、だまってじっと待っていた。

 廊下で彼とすれ違うことが多々あったが、私が声をかけても彼は一言の挨拶も無かった。

 私が普通に生活をしていると、彼も彼の人生なりに、普通に生活をしているようであった。

 そんな彼の姿はもう見えない。

 いま、私は分かる。

 彼がいたときは、私は幸せだったんだと。

 彼も、私といて幸せだったんだろう、と…。

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