映画「ショーシャンクの空に」

 無実の罪でショーシャンク刑務所に投獄されるが、苦難を乗り越えそこで出会った仲間たちと生きる意義を見つけていく。

 アンディは裁判では無実を主張したが、物的証拠も無しに無期懲役の刑となる。
 刑務所で知り合い親しくなる年配の男「レッド」はその事を聞くと、「ここにいる皆が無実だ」と言う。

 その事は冗談か、本当かは分からない。ただ、多くの囚人はここでの辛く厳しい服役の中にあって、本当に辛そうな表情をしている。

 無実であっても、濡れ衣であっても、誰かの都合によって隙を突かれて罪を着せられたとしても、刑務所に入れられたらもう遅い。冤罪を刑務所でいくら主張しても殴られるだけであるので、辛く厳しい現実に堪えなければならない。そして、次第に本心から己の無かった罪を、また、それ以外にも思い当たる数々の罪を思い出し、反省する日々を送ることになる。そして彼らは、希望を、笑顔を失っていく。

 贖罪の日々。

 それが、辛く、痛々しい。

 しかし、アンディはすこぶる頭が良く、敬虔で、真摯であった。そこで、レッドと組んで、彼なりに少しづつ努力して、刑務所の仕組みを、施設を、雰囲気を変えていく。
 殺人を犯したら、終身刑となる場合が多い。しかし、その罪を一生背負わせると言う法律は一体何をさせたいのか。被害者から・社会からの報復なのか、悲しみに対する憎しみの感情を一生送り続けたいのか。それによって本当に彼らに平穏が得られるのだろうか?それとも犯罪者を投獄することによって再犯を防ぐことが主な目的なのだろうか?または、終身刑には、その犯罪者の更生度合いによっては仮釈放が得られる場合がある。では、終身刑は、犯罪者の更生を願ってプログラムされた服役・教育労働が十分なされているのだろうか?少なくとも、この映画の背景はそうでは無いようです。

 しかし、レッドは四十年に及ぶ服役の中で、何度も仮釈放評議会の同じような質問の審問を受け、その度にリジェクト(拒否)されてきた。その間に親友のアンディはついに用意周到に脱獄してしまったので、友を失い気力も尽きかけた上での審問では、とうとう自暴自棄に答えてしまう。なぜか。長期に渡った服役の末には、彼ら出獄者は社会的に行き場を失い、ろくな働き口も、生きがいも見つけることが出来なくなってしまうのです。仲間が出獄後それによって自殺していた。それで、冒頭で自らも「無実」だと主張していたレッドだが、審問で罪を犯して後悔しているか質問されると、

「後悔しない日など無い。罪を犯したその日からだ。彼と話したい。まともな話をしたい。」

 と言った……。

 彼は仮釈放となった。

 解放された外の世界は少し変わっていて物珍しくもあったが、清々しかった。かつての仲間がいた部屋を彼も借りた。しかし彼にとっても同じだった。毎日が不安で、目的ももはや無く、刑務所に戻ることすら考えてしまう。慣れた、懐かしい、恐ろしく無い刑務所を……。その時、ふと、アンディとの約束を思い出した。友との約束。彼は、約束の場所へ向かった。

 国境を越せるといいが。

 親友と再会できるといいが。

 太平洋が青く美しいといいが。

 I hope.

ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン主演。1995年米。

楽しい哀しいベタの小品集 代表作は「メリーバッドエンドアンドリドル」に集めてます