「大学には価値がない」と一度は思って行かなくなったけれど、やっぱり復学した理由。

昨今あちらこちらで、「大学に行くよりサロンに入ろう!」などの言説とともに、「大学に行く意味はあるのか?」議論が散見されます。このテーマ、実は私がこの半年間、全身全霊で考え、悩み、向き合い続けてきたものでした。

結論から言えば、「私にとって、大学は行く意味・価値のあるところ」です。そして、行く価値があるかどうかは、自分の夢や理想のキャリアパスといった「目的」によって決まるもので、全員に共通する解は存在しないと思います。

今日は、昨今ホットなこのテーマについて、今の自分なりの考えを備忘録としてまとめておこうと思います。また、「備忘録」と言っているとおり、これは「誰かを説得しよう!」とか、私の考えを唯一の解として押し付けようなんて図々しいことを目論んでいるわけではありません。「異議あり!」って思う方もいると思いますが、全然想定内
この特定の話題については意見が違っても、他のトピックでは意気投合できるかもしれません。「敵だ!」とは思わずに是非仲良くしてほしいです。

また(「本題まだかよ!?」と思っている方もいるかもしれませんが)、もう一つ明記しておきたいのは、大学に通いながら「大学に行く価値はあるのか?」と迷えたこと自体、私はとても恵まれているという点です。

さまざまな理由で大学に進学できない人もいるなかで、大学に通えているというのは「特権」です。今から私の頭の中にあることを、極力簡潔に書くわけですが、大学に通わせてくれている両親への感謝も込めて、このような事項も認識していることを明示させてください。

また、ここからバックグラウンドも含めて書くため少々長くなります。その辺りはすっとばしたいという方は、「やっぱり勉強がしたい!」の部分までスクロールしていただいて構いません!

1. 大学への違和感
2. 「学校になんて行かないぞ!」
3. 「やっぱりどうしても学校に行きたい」
4.  まとめ

遡ること半年前

さて、早速本題に入ります。
備忘録とは言いつつも、書き手と読み手の認識の齟齬を少しでも減らすためにバックグラウンドをお伝えしておくと、私は現在東京都内の西の方にあるとある国立大学に通う学部生です。15歳から19歳までアメリカに住んでおり、12年生(日本の高校3年生に相当)時には飛び級して大学に通うような、勉強大好き人間でした。

勉強好きは今でも健在であり、(ちょっと変かもしれませんが)人生において勉強が嫌いだった時期は一度もなく、むしろ勉強が趣味!です。そんな私ですが、半年ほど前から、スタートアップの世界に身を投じるようになったことをきっかけに、自分とアカデミアとの関係を一歩引いて捉えようと試み始めました。

「大学に行く意味って?」

先月退社するまでお世話になったスタートアップでは、実に多くのことを学び、数え切れないほどの貴重な経験をさせていただきました。

一歩踏み入れた新しい世界では、自分が分析して書いた記事を会社のメディアを通して世に出すという体験や、自分一人では到底会えなかったようなたくさんの方々との出会いの機会に恵まれました。また、自分と同い年、または年下の起業家の方々がアプリを作ってバズっていたり、命を燃やすように会社の経営をしていたりする空間に立ち会い、普段学校で接している同年代の友達と明らかに違うなにかを感じました。

またこれは、私が自分の大学生活に疑問を感じ始めていました時期ともちょうど重なっていました。
先に述べたように、学問が大好きな私は、チャレンジングさを欠く授業内容や、授業中は携帯でゲームやドラマを見て、テストは先輩からもらった過去問を使って単位を回収する、という学生の態度に苛立ちを覚えていたのです。(→他人のことなど気にするな、という指摘はごもっともだと思います。ここには私自身の未熟さがあります。)

さらには、「こんなの、学歴をお金で買っているも同然じゃないか」と憤りさえ感じました。(→そういう「異質な他者」との交流も含めて大学だ、と言われたこともありましたが、大学に来られる=特権だと捉えており、「大学は本来勉強をする場なのだから、そういった生活態度的な部分は中学くらいまでに身に付けるものでは?」というのが個人的な考えでした。)

一度大学に失望してしまうと、もう、そこには居たくなくなってしまいました。「学校はもういい!私は実践の場でゴリゴリ働いて、経験値を上げるんだ!」という一心で仕事にのめりこみ、朝4時半の始発で出勤し、終電近くまで働く日々が始まりました。
ちなみに、言うまでもありませんが、仕事は「させられていた」わけではありません。頭を悩ます場面も確かにありましたが、新鮮な世界が「楽しくて」のめりこんでいったのです。

しかし、これだけ仕事が楽しくても、なぜかどこかに違和感が残ったままでした。

「やっぱり勉強がしたい!」

なんとなく感じていた違和感に向き合ったのは、学校が始まる直前のこと。

正直、来年春までは休学する、と一度は決めている手前、「やっぱり学校で勉強したい」という気持ちの芽生えからは目を逸らしていました。しかし、ビジネスの世界に片足を踏み入れたことで、「自分の学のなさ」を痛感し、「やっぱりもっと勉強したい」と感じ始めました。

大学に戻ろうと思った理由は列挙するとキリが ありませんが、いくつか決め手となったポイントを挙げてみます。

まず、大学に行く意味・価値は、「目的」により変動すると気付いたこと。
冒頭でも述べたように、自分自身「大学に価値はあるのか?」と自問自答した時期がありました。そして、一時的にではありますが、「実践の方が必要とされるのかもしれない!」と結論付けたのです。
そもそも、アカデミズムとビジネスは完全に矛盾するものではないと思うので(※議論の余地あり)、二者択一の問題設定をした私自身の無知も甚だしいのですが、仕事で様々な問題に直面したことで、明確な目的意識を持っていない者が「大学の価値」についてどうこう言うのは、あまりにも浅はかすぎる、と気付いたのです。

また、偶然手にとった校内誌に掲載されていた「イノベーションの担い手としての科学的高度人材」という特集を読み、アカデミズム領域のみならず、ビジネスにおいてもやはり基礎知識なしに世界で通用するものは生まれない、と確信したことなども今の考えに至る上での後押しとなっています。

また、2点目に、自分の考えを確立させ(もちろん思考の柔軟性や相手の意見を加味する能力の必要性は言うに及びませんが)、それらを説得力を持って伝えるために必要な自らの能力の欠如と、学びの浅さを痛感したことが挙げられます。(この点に気づいていなかった自分の無知も、書くのもはばかられるほどに甚だしいものです。)

私は、ジェンダーや女性をめぐる社会の課題に強い問題意識を持っているのですが、自分の考えを裏付けたり説得力を持たせられるほどの知識も、その知識を得る手段さえも十分に知らないこと、そしてそれらを欠いていては自分を守れないと感じています。一度は、アカデミズムの世界に背を向けかけたものの、一歩「社会」に出て、これまでの人生や大学内では触れ合わない人々や言説に出会ったことで、不用意に傷つくという体験をしました。それまでぬるま湯の中で育ってきたというのもあるでしょうが、自分自身が問題に直面してその重要性を再認識したとも言えます。

そして、3点目。「学問に安らぎを求めたから」という点です。実はこれが、復学する上で一番の決め手となった理由です。

自分が辛いことに直面した時や、問題に対峙することになった際に、私は学問や知識、アカデミアが持つ性質を頼りにします。

もう少し抽象度を下げます。あらゆる問題には、原因やその問題を作り出す構造があり、学問はしばしそれらをメタ的に理解する手助けとなります。もちろん、理解の手助けになることは必ずしもその問題の解決と同義ではないものの(むしろ、理解しているが故に苦しいこともありますよね。)、私はこのようにメタ的な理解を通して、直面した問題を乗り越えて来られた側面が大きいのです。

嫌なことがあった時や、苦しい時、自分の悩みやコンプレックスに対し、何に救いを求めるのかは人によって違うと思います。アイドルにハマる人、趣味に没頭する人、起業する人... 私にとっての救いが「勉強すること」だった、ということです。

昔から、「なんでそんなに勉強するの?」とよく聞かれていたし、最近は「なんで復学したんですか?」と聞かれるのですが、おそらく私にとって勉強は楽しくて大好きなことであると同時に、少し大人になってからはそれが救いになったからなんだろうなと思います。再現性のない回答で申し訳ないのですが、理由としてはざっとこんなところです。

おわりに

いつか今を振り返った時や、何かに迷った時に少しでも道しるべになるようにと思いを書き綴っていたら、(これでも添削して削りに削ったもの)あっという間に長くなってしまいました。いつか振り返った時の自分が、この文章で少しでもまた前を向けますように。

また、ここまで書いていて思ったのは、「学校がつまらない!大学になんて価値はない!」と思っていたけれど、本当は、学校がつまらないと感じるのは、大学の問題というより「自分自身の問題」である部分も大いにあるということです。自分の問題なのに、原因を外部に見出し押し付けようとしていた自分がとっても恥ずかしい。家入一真さんの言う、「敵を見誤るな」と通じるところがあるかもしれませんが、自分が責めているもの、問題視しているもの、怒りの矛先としているもの、その対象って、本当に矛先として正しいのか?というのは常に意識してゆきたいところです。


ここまでお読みいただきありがとうございました。冒頭でも述べましたが、異論がある方もいると思います。が、私の側面ってこれだけじゃないので、ぜひこれからも仲良くしてくださいね。

ご質問・ご相談もDMにて受け付けていますので、何かある方は、お気軽にご連絡くださいませ!それでは、まだまだ書き残したいことがたくさんあるので、近いうちにnote更新したいと思います。

今後ともよろしくお願いします!

追記:これだけ偉そうにつらつらと述べたものの、大学には卒業のために必修の単位があり、やっぱり「時間の無駄では、、?」と思ってしまう時間はあります。特に帰国子女の私からすると、英語の授業はつまらなかったり、、。これに対しては明確な対策を見いだせていないものの、現段階では①シラバスを読み込み、友達や先輩にも聞いて最も自分が身になると感じられる授業を選択する、②授業中、課題や宿題は最小限のエネルギーで済ませ、他の時間は頭の中で他のことを熟考する、などで対応しています。根本解決にはなっていませんが、学生の皆さんは参考までに、、!


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

いただいたサポートは、今後より深みのある文章を書くための、、、とか高尚なことを言いたいのですが、美味しいものを食べて元気を出すのに使わせていただきます!!

拙い文章ではありますが、スキありがとうございます!
142

江原ニーナ

note編集部のお気に入り記事

様々なジャンルでnote編集部がお気に入りの記事をまとめていきます。
1つのマガジンに含まれています

コメント8件

ニーナさんはじめまして。
自分は今まさに大学受験に失敗した身で、ニーナさんの直面した問題以前のところでつまづいたのですが、とても参考になりました。

それと同時に、当たり前なのですが、検索よりも思索の方が大切だと思い出しました。

一つ聞きたいのですが、大学の卒業ということに関しては海外でも日本でも変わらないでしょうか?
というのは、海外(今自分が考えているのはイギリス)に留学するとして、一年間頑張れば今の実力的には英語力が身に付くとは思うのですが、それでも大学を卒業した、というのは何かアドバンテージになると思いますか?
長い文章ですみません。
>quaさん
はじめまして。わざわざコメントありがとうございます。お返事が遅くなってしまいごめんなさい。

そうだったのですね。まずは受験生活お疲れ様でした。
実は、私も第一志望の大学には足切りで落ちてしまったので、少しだけ気持ちはわかるかもしれません。私が直面した問題以前、なんてことは全然ないので心配しないでくださいね。

大学の卒業については、私も100%こうだとは言い切れないものの、一般的にも言われているように、アメリカの場合は卒業する方が入学するよりも難しく、学生生活において勉強が占める割合もかなり高いです。私は政治学専攻でアメリカの大学に一年通っていましたが、めっちゃきつかったです!笑
また、将来どのような分野で活躍したいか、どんな可能性を残しておきたいかにもよりますが、大学の学位が持つ価値はどこにおいても高い(アメリカだと、日本よりも学歴およびアカデミアの世界での経験が重要だという話も現地の方から耳にしたことがあります)ので、私だったら通います。

ポジショントークになってしまうので、適当に聞き流していただいて構わないのですが、もしまだやりたいことが決まりきっていなくて、可能性をできる限り広げておきたいなら、大学で様々な学問分野に触れて、色々な人に出会うのが最適解かな、と感じます。でも、本当にこれは私のポジショントークでしかないので、聞き流してくださいね。

また何かあれば、いつでもご連絡ください。待ってます。
ぼくは、大学を卒業したのは、もう20年も前ですが、受験に失敗した時の夢は今でも見ますし…
それでも入った大学で、全く無為に、過ごしてしまうことを、変えることもできずに、卒業してしまったり、今でも、大学とは?って考えます!
また、note書いてくださいねー!🙃
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。