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佐那河内暮らし探訪第2回「下水道」第2部

目次
1.テーマ選定にあたって
2.下水処理の基礎知識
3.佐那河内の下水処理ポテンシャル 満足度
4.下水の勉強から見えたもの
5.エンディング
 
3.佐那河内の下水処理ポテンシャル 満足度 3つ★★★
<良い点>
(1)  佐那河内村の汚水処理人口普及状況(下水をちゃんと処理している人口の比率)は、徳島県NO1の94.1%(徳島県平均66%)
全国府県平均と比較しても13番目の高水準。ほとんどの家庭が下水処理している。水を汚してないのは単純にうれしい。

(2)川が雨水を受け止めてくれる。
佐那河内では雨水を下水道に入れない。二つの川が雨水処理の役割を担ってくれているからである。私が移住してから大雨が降って川が増水して国道が冠水したことが一度だけあったがすぐに水が引いた。佐那河内村では年に一度、村民一斉に河川の清掃活動をする日があるが、単にきれいにして気持ちがいいのではなく川を堰き止めてしまうような倒木や大きなごみなど障害物など除去して、大雨が降っても受け止めてくれる状態を保つための活動であると今回の下水の勉強を通してわかった。ていうか誰か教えてよ!やってる人たちもわかってないんじゃないの?そういう目でみると家の周りの小さな排水溝にたまった枯れ葉や枝が気になってきた。あなたのお住まいのお家の周りの側溝もきれいにしておくことをお勧めします。特に都市部にお住いの方は。

(3)棚田を含む田圃が残る
田圃は、雨水を受け止めてくれるダムの機能に加えて、いざとなれば汚物処理の機能も備えている。明治時代ぐらいまでは、人肥を田んぼに直接入れて稲作をしていたそうだが、戦後GHQが不潔だと嫌がり、化学肥料が手に入るようになったので人肥を使わなくなったが、田圃は畑と違い水を張っていることで、バクテリアが人肥を分解し栄養分をとり、残った水は土壌でろ過してくれるというエネルギーを一切使わない素晴らしい汚物処理施設だった。将来化学肥料の原料が輸入できなくなり昔の農業に戻ることがあったとしても田んぼさえあれば対応できる。田んぼはダムであり下水処理施設にもなり、水をろ過して飲み水も作るという素晴らしい機能の持ち主である。

(4)いざとなったら“の〇そ”ができる。
 阪神淡路大震災の時、私の姉は神戸市の六甲アイランドのマンションの8Fに住んでいた。電気も水道もガスも止まったが、何が最初に困ったかというとトイレである。水を節約するために家族4人で小用は皆できるだけ同じ時間にした。1階からエレベーターも止まっているので階段で運んできた貴重な水をトイレに流した。もっと高層階のマンションならどうなるのだろうか?都会では、土が露出しているところはほんのわずかである。公衆便所も人口に対して考えれば圧倒的に少ない。通勤時間帯に急に便意をもよおし、駅のトイレに駆け込んでも同じような人の行列ができていて、どこのトイレも朝は満員。間に合わなくてパンツを汚したことも。その点、土がいたるところにある田舎では、移植ごて一本あればなんとかなる。紙などなくてもその辺の草でふけばよい。この精神的な安心感はプライスレス。ほんとはやっちゃいけないけど…

<不安点>
(1)人口減少が続くと下水処理施設を維持することができなくなる。
農業集落排水事業を採択した佐那河内村ではあるが、全国ではわずか2.5%程度しか普及せず事業は存続していない。当初の建設費用は国費と県費で60%を負担したが、残りの4割は村の地方債として借入金が残り、村の広報資料によると昨年末で約6億5千万円になる。令和6年度から公営企業会計が導入され、独立採算が適用されると下水料金の大幅な値上げも予想される。そこに人口減少が加わると事業を維持できなくなる不安がある。

「農業集落排水事業とは、農業集落におけるし尿、生活雑排水などの汚水を処理する施設の整備により、農業用用排水の水質汚濁を防止し、農村地域の健全な水循環に資するとともに、農村の基礎的な生活環境の向上を図ります。」(農林水産省HPより)

(2)田んぼが維持できなくなる
まだ現時点ではかろうじて田んぼを保っているが、高齢化から稲作をやめる人は確実に増えている。先にも書いたように田んぼは日本の素晴らしい財産である。田んぼを守ることは、環境保全につながる。

4.下水の勉強からみえたもの
(1)うんちくのかたまり
  下水を調べるとどうしても歴史や国際比較を避けて通れないし、ちょっとしたうんちく(うんこだけに)ネタがあまりに多かった。人との会話が苦手な方は、世界中共通のネタでコミュニケーションを円滑にしてはいかがですか? いくつか例を紹介すると
★17世紀のベルサイユ宮殿にはトイレはなかった。貴婦人はスカートをしたまま用を足し、人のウンコを踏んでもいいようにハイヒールが発明された。
★登山ブーム到来山で大便をする人が増えた。登山家は排便を「雉うち」と呼ぶ。
★14世紀のパリでは、「水にご注意(Gare l!eau)」と三度叫びさえすれば窓から何を投げてもよかった。「水」とはもちろんおまるの中身。
★1857年から58年ロンドン市内の水洗便所から糞便がテムズ川に流れだし、岸辺の議事堂で開かれるはずの国会までが延期された。(国会議事堂がBig Benだけに←笑うとこ)
★江戸時代 汚穢屋(汲み取り人)ウンコの値段には5段階あり、大名屋敷が特上で牢屋のウンコが最低、長屋のウンコは下から2番目。
★戦後進駐軍は、銀座で肥溜めもいくつも載せた馬車が行き交い肥の取引や積み替えが行われていた。野菜に肥をかけて育てているのをみて、生野菜をサラダで食べるアメリカ人は戦慄した。
などである。
 
(2)敗戦と工業化がもたらしたもの
第二次世界大戦まで日本の下水処理は世界最高水準の持続可能システムを構築していたが、敗戦とともにすべての仕組みはなくなった。経済の発展(=工業化と都市部への人口集中)と生活水準の向上という名目で。
下水道建設が本格化したのは1963年で建設省の5か年計画の初年度、64年の東京オリンピックに向けて高速道路や新幹線と同じように普及した。その中で下水道は工場配水も積極的に受け入れることを基本方針としていた。工場排水の処理は儲かるからである。
1960年代に入り水俣病が問題となり、工場排水が原因であることが指摘され、工場排水処理が当初の目論見通りにはいかず、オイルショックで排水量が激減し、その後の企業側が工場内での排水浄化を進める。下水は汚水、生活排水、雨水に加えて、工場排水も含まれることを追記しなければならない。
今回の勉強のために、あのパイレーツオブカリビアンで有名なジョニーデップが製作主演した映画MINAMATAを観た。伝説の写真家ユージンスミス氏の実話を映画化したものである。観終わった後、本来日本人が作らなければならなかったはずの映画だと強く思った。世界中の人たちが教訓をシェアし繰り返してはいけない事件である。
会社も法人という人である。人である以上排泄する。MINAMATAでは、化学肥料の原料を作るチッソという会社がメチル水銀を含んだ排水を海に流し、そこで捕れた魚を食べた住人が主に脳などの神経を侵され様々な障害が発症した。敗戦まで化学肥料を使わず人肥を使っていた日本で、化学肥料の製造のためにこのような人災を引き起こしたことは皮肉という言葉が適当なのか浅はかさを感じる。
自分が生産した汚いものは、自分の目の前から水に流して無かったものにする。これは個人も法人も同じ。都合の悪い過去はなかったことにする。なんか今のおかしな世の中にすべてこの排泄処理という行為がつながっているような気がするのは私だけだろうか?
 
(3)子供は「うんこ」大好きだったのに
うんこドリルというのが流行ったらしいが、なぜ小学校に上がる前まではこどもはうんこが大好きなのだろうか。排泄行為に子供は快感を感じるという話を聞いたことがあるが定かではない。ところが学校にあがった途端に、あんなに好きだったうんこが学校でできない子供が多いという。これは象徴的な事象だと思う。
戦後間もないころの日本人の70%は、寄生虫の宿主だった。しかし寄生虫病の発症率がたかかったわけではない。GHQは自分たちの清潔感だけを絶対とし寄生虫撲滅大作戦の号令を発する。結果、1970年代には0.02%まで激減する。しかしかえって免疫力が低下し、花粉症、アトピーなどのアレルギー、O157のような感染力の弱い大腸菌にも抵抗力がなくなったと指摘するのは「カイチュウ博士」で有名な某大学教授である。
たしかに昔は検便と言えばマッチ箱。ギョウチュウ検査と言えばシールを肛門に貼ったものだった。人間の健康は微生物との共生によって維持される。腸内細菌がいなければ消化ははかどらない。われわれのために努力を惜しまず戦ってくれた腸内細菌の骸こそがウンコの半分を成している。コロナ過で加速した異常なまでの消毒好きの日本人の子供たちの未来は大丈夫なのだろうか?

5.エンディング
生まれたての赤ちゃんから、アタマツンツンのパンクロックのお兄ちゃん、○○坂48のお姉ちゃんとか、100歳のおじいちゃんまで、ほぼみんな毎日うんこをする。どんなきれいなお家に住んで、自動で蓋が開け閉めしてくれるトイレでしようが出すものは同じである。このNoteをきっかけにご自分の出したものがどこでどのように処理されているのか興味や関心を持っていただければ幸いです。
人生でこれほどうんこという言葉を書いたことはない。今回は紹介できなかったエピソードはまだまだたくさんある。「パリの犬の糞集め、インドムンバイのスラム、ケニアマサイマラ国立公園、イエローハットの社長のトイレ掃除話」などなど続きをお聞きになりたい方は、どこかでお会いした時に声をかけてください。さあみなさんもうんこの話で盛り上がりましょう!

最後に今回の参考図書「うんこから学べ」より一部抜粋したものを転載します。
 「つまるところうんこは誰もがするものである。そしてこの事実から目をそむけないことこそが、環境倫理の核心である。つまり環境を守るための倫理とは、誰も何も切り捨てない。すべてのことを考慮に入れるという決心に他ならない。
これは、すべてのことに通じる真理ではないか?人間だれしも嫌なことからはできるだけ目をそらしたいし、関わりたくないと思うのである。社会問題が山積している。問題を先送りしても何も解決しない」「人間の自立とは、ウンコをしないようになることではなく、一人でウンコができるようになることである。」
ガンジーの言葉 「排泄とは、食事と同様に重要な行為である。そして最も望ましいのは、すべての人が自分の排泄物を自分で処理することなのだ」

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

<参考図書>

とことんやさしい下水道の本 日刊工業新聞社
ウンコに学べ ちくま新書
下水道のバランスシート 北斗出版
私の人生は「トイレ」から始まった! ポプラ社
世界の変なトイレ 株エクスナレッジ
水の環境史 PHP新書
トイレの話をしよう 日本放送出版協会

<取材>
徳島市中央下水処理場
アクアきらら月見ヶ丘
佐那河内村役場産業環境課

<参考URL>
農林水産省HP

<参考映画>
MINAMATA


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