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【教育移住】インド人と怒鳴り合える子供を育てたい

INDEX
学校の隠れた価値提供は「同級生」
誰が英語をしゃべっているか
異なる背景が子供の対人能力を磨く
能力のかけ算が子供の将来の人材的価値を高める

学校の隠れた価値提供は「同級生」


英語での教育を求めるだけなら、日本にあるインターナショナルスクールに行かせれば良かったかもしれない。
「全人教育」「知識つめこみ型ではなく問題提起・解決型、アウトプット型の教育」「子供の個性を伸ばす教育」なども、日本でも求められるものでしょう。

ただ、日本にあるインターナショナルスクールでは潤沢に提供できないものがある。それは同級生です。よほど特殊なスクールでないかぎりは、日本にあるインターナショナルスクールは日本人学生が過半数~圧倒的。英語で勉強を学ぶだけではなく、外国人と上手くやっていく、うまく喧嘩するスキルは、実際の学校生活を通じて、子供が外国人同級生と付き合って体得していくしかない。語学(英語)が刀ならば、対人スキルは剣道の体裁き。いくら武器だけ良いものを持っても、それを使いこなす訓練をしていないと、役立てることはできない。
対非日本人の対人スキルや交友関係を身に着けて欲しい。
これが私が子供を日本のインターナショナルスクールに入れず、オランダのインターナショナルスクールに入れた理由のひとつです。

誰が英語をしゃべっているか

21世紀において、英語は国際共通語になっています。どうしても日本人は英語というと、イギリス人のもの、アメリカ人のもの、というように英語の大本の国の人と付き合う、彼らの発音をネイティブとありがたがり、目指す、というイメージになりがちですが、それは20世紀のお話。
21世紀においては、ノンネイティブスピーカーの英語話者人口の方が圧倒的に多く、必然的に英語ネイティブと遭遇する機会より、ノンネイティブと接する機会のほうが、多くなると言える。

英語人口の80%はネイティブじゃない!?
ダイヤモンドオンライン

そしてビジネスの発展上、中国人やインド人と英語で仕事をする機会がこれからもっと増えて行くでしょう。
私の目指す子育てのゴールは、英語でインド人や中国人と怒鳴り合い友達になりビジネスできるような大人に育てること。とくにしゃべりだしたら止まらないインド人に英語で対抗できるようなコミュニケーション能力は、10年後に大人になる子たちにとっては欠かせないスキルとなると考えています。
うまくビジネスをするためには、語学能力だけでは足りず、相手の文化や考え方を体感として知っている必要があります。お互いが、なにを理想とし、なにを恥とするか。なにをメリットと考えるか。なにをどこまで許せるか。それは衝突し、それを乗り越え解決策を見出していく作業の積み重ねによって身に着く経験知です。怒鳴るにしても、相手に刺さるここぞという呼吸で、相手のプライドを傷つけずに、サッと切り込まなければならないのです。
ロシア語同時通訳者として有名な米原真理さんが「成功した国際会議とは、インド人を黙らせ、日本人にしゃべらせること」と言っておられますが(『ガセネッタ&シモネッタ』文春文庫)、そのくらい、まくしたてるエネルギーの強い人に割って入ること自体が日本育ちから見ると難しいのです。

2018年にご縁で、ある学校グループの外部カリキュラムアドバイザーとして学校幹部の方とお話させていただく機会がありました。その学校グループは幼稚園から短大まで、一貫して20世紀は良妻賢母教育をやってきた名門女子校。けれどこれじゃ時代の変化についていけないということで、大英断、卒業生の反対を押し切り短大を取りつぶし、かわりにインターナショナルプリスクールを増設し、イマージョン教育を取り入れた小学校を新設、男子も入学させることにされました。
その出来たばかりのインターナショナルプリスクールを見学させていただきましたが、どっこい「英語」と言われると20世紀的な発想が抜けきらず、イギリスに長くいらっしゃった人を校長に抜擢、校長は、「子供たちの発音を聞いてください!Apple,Cat!ネイティブと同じですよ!」といかにイギリス人アメリカ人に近づくか、という教育をされておられた。

ノンネイティブスピーカー同士のやりとりなんて、発音の悪さはお互い様。文法間違いもご愛敬。お互い誤解がなければそれでいいんです。それより重要なのはお互いのメリットや新しい解決策を、交渉する中でひねり出す能力です。そして(日本で英語を子供に習わせるときに親御さんがよく言う)「グローバルに活躍する」という状態は、スマートにペラペラ英語でプレゼンすることではなく、むしろ毎日の泥臭い英語でのトラブルシューティングの連続のことだと、私は思う。

私はそれを理解していただきたくて、その学校幹部の方々に、「インド人と喧嘩できるような子供を作ってください」と言いましたが、いまいち真意は伝わっていないようでした。

異なる背景が子供の対人能力を磨く

このような能力は、つねに同質的な同級生と関わっていても磨かれにくい、というのが、インターナショナルスクールのような大学を出た自分の経験からの感想です。その大学は立命館アジア太平洋大学と言いまして、2000年の開学当初「3つの50」つまり、50カ国からの留学生、留学生比率50%、外国人教員率50%、を掲げてデザインされた学校です。今では80カ国以上から留学生があつまっているようです

「異なる背景が子供の対人能力を磨く」とは、どういうことか。同質的背景(日本人同士など)の人間同士ならばめったに問題にもならないようなことが、背景の異なる人間環境の中では大きな課題として立ち上がってきます。その課題の出口を探す経験を何度も自然にしていることによって、学生時代に子供の外国人に対する対人スキルがどんどん勝手に磨かれていくということです。
例えば、クラスでなにか工作をして散らかったので、みんなで片付けましょうとなった時、インド人の同級生が「私は掃除をするカーストじゃない。だから掃除は参加しない」と言い出す。そんな時にみんなが不公平に感じず、インド人同級生も納得し、教室も綺麗になる、という着地点はあるのか。「普通みんなで掃除するでしょ」と日本人が思っても、その「普通」を相手は共有していない。異なる背景、異なる価値観に柔軟に対応できるようになるためには、頭の柔らかい若いうちからの方が良いのは言うまでもありません。
(実際のAPUは、インド人が私はそういうカーストじゃないから掃除しないと言い出せば、その横でイスラム教徒がお祈りを始め、中国人が前回自分はたくさん掃除したから今回はしなくていいよねと言い、さらに韓国人が自分はそんなに汚してないと言い出すような、フリーダムな状況でした。今は留学生ボリュームはベトナム人が最大派閥らしく、ベトナム人も自己主張が激しいですから、どんな面白いことになっているのかな。まさにダイバーシティのカオスというのにふさわしい状況でした)

能力のかけ算が子供の将来の人材的価値を高める

ところで、ビジネスで売上を安定させ、伸ばしていくには、大きな顧客を1社持てばいいでしょうか。それとも小さな顧客をたくさん持った方がいいですか?
イチローや大谷のように、なにかひとつの能力で世界レベルになるのと、これとあれとそれをこなせる人といえば〇〇さんしかいないだろうなあという「絶妙に思い出してもらえるポジション」につくのは、どちらが万人にとって実現性が高いですか?

答えは両方後者です。
前者は社会の流行や運・才能など人間がコントロールできない要素に左右されやすく、結果の再現性がありませんが、後者は人間がコントロールできる要素を高める手法なので、結果の再現性がある=万人が採用できる方法だからです。後者は工学とも、設計とも、戦略とも呼ばれます。

能力の掛け算をして、人材としての市場価値を高めろ、というのは藤原和博氏が提唱しておられます。

藤原和博氏が教える、100万人に1人の存在になるための「掛け算戦略」
https://diamond.jp/articles/-/290782?page=4


もちろんコアとなるスキルを最低3つは持とう、という話なので、私は子供たちがインターで身に着けてくれるであろう「ダイバーシティのカオス」をなんとか渡っていく力を、子供のコアスキルの1つとして加えられたらいいな、と思っております。

2024.2.4


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