この肉体を なんのために維持しているのか。

那覇市松山のキャバクラで酒を飲んでいる。
お呼ばれして奢ってもらって酒を飲んでいる。

那覇市松山のガールズバーで酒を飲んでいる。
知り合いの社長の話を聞きながら酒を飲んでいる。

那覇市松山の寿司屋で酒を飲んでいる。
職人の手裁きに惚れ惚れしながら酒を飲んでいる。

那覇市松山のラウンジで酒を飲んでいる。
ウイスキーの知識に酔いしれながら酒を飲んでいる。

私は次の日の仕事を遅刻する。
でもまたその日の夜に松山で酒を飲んでいる。

働くとはなんだろうか?

私はこの席で不慣れなテーブルトークをしながらこれは仕事ではない気がするとだけは思っている。

かと言って遊んでいるのかと言われるとそうでもない気がする。

プラマイゼロなにもしてない

と言われるのも違う。

酒を飲んでいるのは好きだから
美味しいものを食べてお喋りするのは楽しいから

ただなにをしているのかと問われたら
一番しっくりくるのは現実逃避

このまま酒を飲み続け明日が来なければいいのに

なぜこんなにも狂いたがっているのか みな

辺りを見渡すと私を呼んでくれる社長も

シャンパンを入れてもらって飲んでる女の子も

2本目を入れてもらえるから飲まされてるボウイも

他の席のお客さんも
店に流れる音楽も
そして私も

狂い急いでいる。

アップテンポで狂おうとしている。

それはまるでコンベアーに乗せられた流れ作業

日々の雑惑を振り払うが如く

働くように狂ってる。

マニュアル通りに狂ってる。

自らの精神と肉体を切り離そうと躍起に高鳴る自己変革

産業革命ならぬ革命産業

デカルトの論法も書き改め直さなければなりません。

私はと言うと
眠たい脳をこすりながら「これでいいか」と思っている自分がいる。

昼間に松山交差点を歩き 松山公園を眺め 辻の風俗店を通り過ぎ 波の上のラブホ街に趣を感じながら最終的に海沿いまで辿り着く。

海の周りのオラオラ感はいつの時代もそうなのか

生き急いでいるとか働き過ぎているとか
そういうんじゃなくて 波打ち際のなるようになれ精神のどうしようもなさ そして重んじる雄々しさ

松の木は遷移が未発達の厳しい場所に生えるというイメージが強いが実は極めて耐陰性や耐病性が低い。
厳しい環境下でも生育できるようにマツ属は自身の根に菌類侵入させそれを通じて土壌中の栄養分や水分の吸収を助けてもらっている。

男らしさや生命力の正体はそこにあると思う。

社長が「テキーラボール!」と叫んだ。
今日で3回目だった。

女の子もボウイも白目を剥きかけながら「イェーイ!」と言っている。

私はその状態がやっと面白く感じて来た。
どうでもいいじゃないか。

運ばれてきたテキーラボールの黄色さに目を見張りながら私はそれを栄養分と見なし体内に吸収させる。

次の日遅刻をした。