起承転結について調べてみたら

その構成自体は絶対的なものでは無い。

とけっこう書かれてた。
 
 
なんだったら文章の書き方として日本人は起承転結で教えすぎてるから一辺倒だしそれで挫折する人が多いので害悪。とまで書いてあるものもあった。
 
 
私はここ最近

起承転結をテーマに文章を書いていた。

そして今回 結 の部分に差し掛かった時それを知った。

 
話としては これがオチだ

と思った。
 
 
 
最後の最後で根本否定。愕然とした。
 
 
まぁそうは言っても諸説あるので一概に起承転結が全くダメって事ではなく、それに縛られ過ぎるのが良くないという事なので私がその事実に少し囚われすぎなのかもしれませんが。
 

 
確かに薄々感じていたのです。
例えば最近お笑いネタ番組でコントなんかを見ていると既存の設定に対しての覆し 裏切り 急展開みたいなものが割と早く出てきてそれがメインの笑い所だったりする。これは序破急と言っていわゆる3部構成だ。これだと早めに面白さのピークを感じられて飽きが来るスピードを避けられる。情報化社会ならではの進化なのだろうか?つまり起承転結の承を省いている。たしかに起と承の違いって何?と言われると具体的に説明しにくい。

 
音楽番組など見るとサビで始まる曲も目立つ。これはサビ頭や出だしサビと言うらしい。70年代の歌謡曲やアイドルソングで多用された手法で80年代でアニメソングでも使われ始め90年代のJ-POPブームで重要視されヒット曲にけっこうな確率でなっている。

 
榎本俊二のGOLDEN LUCKYという4コマ漫画が好きなのだが何も起こらず終わる事がある。ほんとに4コマ同じ絵で終わるのだ。最後にもう一度タイトルだけ見てそれが面白かったりする。意味不明な時もある。抽象絵画の領域だと思う。

 
そもそも私自身がこの文章、起承転結を意識して書いていない。話言葉のつもりでその時の思い付きを垂れ流しで綴っている日本語文字の羅列でしかない。600万年後に解読されたとしてもあまりの中身の無さに未来生命体も「コイツ暇だったんだな…」と一言言うだけになると思う。
 
 
さらに感じたのは、「結」という文字は別に終わりを意味しているわけでは無い。むすびつける。ゆわえる。つなぐ。たばねる。という意味であり組み合わせによって「結実」「結果」「結末」などの 実をむすぶ。しめくくる。まっとうする。という意味になる。だとすれば起承転結の結は終わりという事ではない。「けつ」と読むから「ケツ(尻)」の意味合いが大きくなっちゃったのか?

 
「おむすび」の由来をご存知だろうか?

昔の日本人は山を神格化し神の力を授かるため三角形の山形にご飯を握ったという説があり「むすび」とは「産巣日」と書き天地万物を産み出す精霊の事でありその思いを込めて名付けられたらしい。産み出すってむしろ始まりじゃね?
 
 
そう考えると終わりとは何なのだろう?
別に終わりなど無いのではないか?
終わりは終わりではなく始まりであるし続きでもある。
「結」はたまたま始まりと終わりを結びつけただけで終わりがまた別の始まりと結びついたらそれは終わりではなく続きなのだ。

文章構成として「結」は終わりなのではなく全体のまとめ、エピローグ的な役割である。と説いている視点も見かけた。結婚はゴールではなくスタートである的な言葉と似てる。逆に結婚は人生の墓場という言葉のふくみも一緒であるとも思う。生涯独身も別に終わってるわけでは無い。
 
 
なんかいろいろ感じて結びめがこんがらがってきた。 

思えば私はこういう文章や公の場で話す時いつもわけがわからなくなってグダグダになり上手く締める事が出来たためしがない。

もう流れ的にそろそろ終わらせたいのだがいい感じな終わらせ方が全く思い付かない。

ただそれが起承転結に乗っ取った文章になってないという意味ではそこから脱却した全体構成になってるのだとしたらそれはそれでいいのかもしれません。

以上を結びの言葉としてこの文章を締めくくらさせて頂きます。

 
 
どう?オチてた?