あんまりアクセサリーのたぐいを着けた事がありませんもので

ピアス、ネックレス、指輪、数珠、ミサンガ、ストラップ、ネイルアート、すごいよマサルさんが肩につけてるやつ、

そういった物はほとんど全く装着したことがございやせん。

ネクタイピンとかスーツに付けるちょっとしたブローチ、ワンポイントの物は好きな方なんですが、いかんせん 。

なんというか 見落とすのです。

TwitterやLINEのアイコンも最初はすぐ決めきれず、一回そのままにしちゃいがち。

思うに概念化が下手なのです。

抽象からの具象が苦手なのです。

 
絵を描くのは好きなんですが似顔絵が描けません。
人の顔のパーツが見極められない。というか人の顔が覚えられない。
道案内も得意じゃない。建物の配置やそもそも造形をあまり記憶していない。
目の前にある物を探してしまう。ちゃんと見ていない。
一度見たことある本や映画を途中まで見てから「これ前に見たことあるな」って気付く。

ぼんやりとしか把握してないんです。

 
最近 認知特性テストというネット上の簡単な診断みたいなものをやってみました。
認知特性とは人によって「見る、聞く、読む」などの情報処理の仕方の優位性の違いみたいなものらしく、
私は「聴覚」が優位なタイプだと結果が出ました。

まぁ正直これがどれくらい信憑性のあるものかわかりかねるのと
それ自体が絶対的なものではなくグラデーションであり時期とかで変わるものだと説かれていたので心理テスト感覚でやってみたのですが、結果として「なるほどな」とも思ったのです。

というのも私は受ける前まで
なんとなく自分は「視覚」が優位なのかな?と思っていまして
そのつもりでチェック項目を記していたら違ってたので「なぬん」となったのです。

視覚が一番低かった。

思い返せば先程のような傾向が診断結果に表されている。
つまり視覚を重視してないのです。
ですが情報の80%は視覚から吸収するらしく個人個人の体感は目が見えないとかではない限り視覚優位と感じがち。
なのでは。

なんというかやっぱり忘れがちなんだよなぁ。
特に細かい部分が見れてない。

絵が描ける描けない問題も思うところがあって
私の絵ってざっくり言うと 「武田鉄矢のモノマネ」みたいな絵なのだと思う。
つまりある程度誰でも出来るラインの絵の描き方。
細かすぎてないから伝わるモノマネなのだと思う。
それは実は視覚優位性ではない。

私の知り合いにも絵が苦手だと自認しててイラストなどを描いてもらうととんでもなくアグレッシブな曲線美を奏でてしまう人が何人かいる。ただそういう人って私よりテレビゲームが上手かったり、写真撮るの上手かったり、動画編集が出来たりする。そういう時私は「えぇっ!?」ってなる。「なんで?むしろ視覚優位じゃん」ってなる。これはどういう事だろう?

ここからはわかる人しかピンと来ないかもしれないが
昔、深夜のテレビで「ぷっすま」という番組があってその中で「記憶力絵心クイズ」みたいな企画があった。
そこで草彅剛が描く絵がひときわ面白かった。常識に囚われてないアグレッシブな筆遣いの下手さだった。
ただこの感じの下手さが先程言ったテレビゲームが上手いタイプの視覚優位の人の描く下手さっぽいのだ。
強調するポイントを押さえててその全体のバランスの取り方が技術として追い付いてないみたいな感じ。
例えが渋滞するが「モノマネ王座決定戦とかで画面下に挟み込まれる鼻の穴を通常より大きく描かれている北島三郎のイラスト」みたいな絵なのだ。
たぶん練習方法を覚えて体得したらむしろポップになる気がする方向性の絵が視覚優位なのではないだろうか?
特徴とか印象を捉えすぎていて逆に下手になっている絵。
私の絵はどちらかと言うとユースケ・サンタマリアが描くみたいな絵なんだ。

ユースケは同企画で草彅より下手じゃないけど独創性に欠けるぼんやりとした弱々しい筆圧で絵を描いてて、それだと盛り上がりとして不安なのかよく吹き出しを加えて余計な一言で笑いを足そうとしていた記憶がある。
この気持ち私はすごくわかるんだ。たぶん同じようなタイプなんだと思う。つまり言葉とか音声でコミュニケーションをはかってる。ユースケの喋り自体に共感を覚える。言い方とか雰囲気で場を繋ごうとしててそこに神経を使ってる気がするのだ。抑揚があるのに感情がこもってない。誰だかわからないけど常に誰かしらのモノマネをしているかのようなイントネーション。コメディアンじゃないのにずっとちょっと面白い空気。これをもう少し強めて演技性を高めたのが大泉洋であり、これをもっと弱めて文学性を色濃くしたのが羽田圭介だと思う。

なんの話だっけ?
そうだ視覚優位のはなし。
私がついつい話がその時のノリで長くなりがちなのは聴覚的だからなのかもしれない。
そう、その時のノリで描いてるような絵だしその時のノリで捉えている視覚性なのだと思う。
だからどんどん忘れてくしどんどん抽象画と化してゆく。
漠然と朦朧と雰囲気に流されてゆく。

私がアクセサリー的なものを好まない理由、というか着用しようとする認識までに至らない理由は 
そういう事なのだと思う。
象徴化、形状化、記号化したものにピンときてないんだ。

 
なんて事を思ってたら
ユースケ・サンタマリアがかつて鬱病を患っていたという記述を見た。
似たようなタイプと感じてたから不安になってきた。

数珠でも買~お。