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漫画的・アニメ的身体観

映画「鬼滅の刃」の大ヒットがすごいらしい
漫画もアニメも観たけど、どちらもおもしろかった
でも、刀振って鬼とたたかうだけなのに、どうしてあんなにヒットしたのだろう
アニメの作画はとても良かったけれど、漫画自体は自分にはひっかからなかった
少年誌独特の、友情、努力、勝利の方程式に自分がもう感化されなくなってるので仕方ない
それらはそれらで良いものだし、素敵な響きの言葉なんだけれど、
友情って必要?
報われない努力もある
誰のための勝利か
などなど、そういうことも考えてみると、盛り上がった熱気がプシューと冷めていく
いやいや、鬼滅の刃はそんな単純な話じゃないと言う人もいると思うけれど、主人公の選択している行動は基本的に少年誌の王道からは外れてないので、単純と言えば単純な話なのだ
むしろ単純じゃないとわかりにくいし、ヒットすることもない
でも、鬼滅の刃のような、まっすぐでひたむきな作品が青臭いとは決して思わないし、元気をもらったり、生きる活力になるなら、どんな物語でもじゃんじゃん読んだり、観ればいいと思う

そういった少年誌的王道の作品とは別に、
友情のいらない関係、
努力しても変わらない世界、
勝利によって世界が救われない、といった言葉で紡がれる物語も、この世界には同時に平行して存在していると知っていれば、そういう視点を持った上で観るなら、
どんなに単純な物語であっても、重層的な楽しみをもって接することができる

じゃないと、ただの好き嫌いや、子どもっぽいからとか、ジジイくさいとかいう理由で、世に出てくる作品を仕分けしてしまうことになりそうだ
それはもったいない
観られるものならぜんぶ観たい、それくらい好きだ
日本の漫画・アニメの、懐の深さと広さはたぶん世界一だろう
なので、現実の世界と照らして観るなら、ぼくのような素人でも、ある程度批評して観察するのはどうか許してもらいたい

そういうわけで、漫画もアニメも、もちろん映画も好きで、時間が空いたら観るようにしている
コロナになってからはネットサービスに加入したので、特にアニメは観る量が増えた
ここ一年半で観たアニメは、

・未来少年コナン
・慎重勇者
・弱虫ペダル
・キルラキル
・オーバーロード
・宇崎ちゃんは遊びたい
・日常
・天真爛漫!
・神撃のバハムート
・モノノ怪
・この素晴らしい世界に祝福を!
・Re:ゼロから始める異世界生活
・蒼き鋼のアルペジオ
・ソマリと森の神様
・刻刻
・色づく世界の明日から
・舟を編む
・痛いのは嫌なので、防御力を極振りしたいと思います
・機動戦士ガンダム
・機動戦士Ζガンダム
・機動戦士ガンダムTHE ORIGIN 
・異世界かるてっと
・交響詩篇エウレカセブン
・鬼平
・ボールルームへようこそ
・LISTENERS 
・ハクメイとミコチ
・ケムリクサ
・電脳コイル
・ガールズ&パンツァー
・幼女戦記
・あそびあそばせ
・ダンベル何キロ持てる?
・紺碧の艦隊
・炎炎の消防隊
・亜人ちゃんは語りたい
・プロゴルファー猿
・女子高校生の無駄使い
・魔法科高校の劣等生
・ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか
・けいおん!
・ゆるキャン
・東のエデン
・甲鉄城のカバネリ
・魁!男塾
・裏世界ピクニック
・波よ聞いてくれ
・鬼滅の刃
・デカダンス
・美味しんぼ
・盾の勇者の成り上がり
・どろろ
・呪術廻戦
・7つの大罪
・無限の住人
・魔法学院の不適合者
・ヴィンランド・サガ
・不思議の海のナディア
・魔女の旅々
・不滅のあなたへ
・銀河鉄道999
・映像研には手を出すな
・ゲームセンターあらし
・鋼の錬金術師
・ダイの大冒険
・トップをねらえ!
・イジらないで、長瀞さん
・灼熱カバディ
・ふしぎ駄菓子屋銭天堂
・蜘蛛ですが、なにか?
・.SK♾
・宇宙戦艦ヤマト
・俺だけ入れる隠しダンジョン
・約束のネバーランド
・ワールドトリガー
・極主夫道
・天地創造デザイン部
・DRIFTERS
・オリンピア・キュクロス
・魔王城でおやすみ
・ドラゴン、家を買う。
・ハイキュー!!
・おそ松さん
・旗揚!けものみち
・ド級編隊エグゼロス
・ゾンビランドサガ
・喰霊-零-
・86-エイティシックス-
・とある科学の超電磁砲
・ジョーカーゲーム
・となりの関くん
・いぬやしき
・邪神ちゃんドロップキック
・ブラックジャック
・怪物くん
・おぼっちゃまくん
・忍者ハットリくん
・たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語
・化物語
・あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない
・四畳半神話大系
・進撃の巨人
・メイドインアビス
・ブラックラグーン
・オムニマン
・怪物事変
・スペースコブラ
・キングダム
・ルパン三世
・ゴールデンカムイ
・オッドタクシー
・五頭分の花嫁
・3月のライオン
・ジョジョの奇妙な冒険
・平穏世代の韋駄天たち

以上
数珠繋ぎで観てるので、傾向が多少偏っているのは否めない
漫画で読んでから、アニメを観たものもあるし、アニメだけのものもある
膨大な話数の「美味しんぼ」や「銀河鉄道999」などは、残念ながら最後までは観れていない
少女漫画系は、BASARA、花より男子、ガラスの仮面、動物のお医者さん、パラダイスキスくらいしか読んだことがないので視聴数は少ない(そもそもアニメ化はされてるの?)

最近観た中でぼくがおもしろかったのは、

「スペースコブラ」
「不滅のあなたへ」
「メイドインアビス」
「ジョジョの奇妙な冒険part4 」
「進撃の巨人」
「映像研には手を出すな」
「日常」
「3月のライオン」

このあたりの作品はすこぶる気に入っている
いいアニメは、キャラクターの演技(声優+アニメーション)もいい
こんな動きができたらとか、こんな声が出せたらとか、盗みたいものが続々と出てくる

役者は、現実の出来事からさまざまな影響を受けて演技を組み立てるのだとしたら、漫画・アニメから受けた影響でも演技を組み立てることは可能だ
ほんとか?
ただ、これだけ多くの漫画やアニメに囲まれていれば、もはやそれも現実の一部なわけで、ぼくの身体観にも漫画的・アニメ的身体なるものが蓄積され、肉薄したリアリティをもっているのだと思う

たとえば演技をデザインする上で、
そこもうちょっとグラップラー刃牙みたいに、
ジョジョ立ちで、
もっとエヴァっぽく、
でもそれだとのび太になっちゃうから、
ジャイアニズムを強調して
、とか
なんのこっちゃかもしれないけれど、伝わる人には伝わるのだから、これはこれで立派な共通言語でもある
文学からの引用に寄せれば、
芥川らしく軽妙に、
三島由紀夫の饒舌さでもって、
太宰治みたいな文体で、
村上春樹っぽく遠まわしに、
星新一ばりのタイトさで、
江戸川乱歩のようにしつこく
、とか
動物なら、
虎のように猛々しく、
蟻みたいに細々と、
象のようにゆるやかに、
いも虫なみの鈍重さで、
どぶネズミみたいに美しく
、とか
役者が演技のためにトレースするような素材は、あげればキリがない

漫画もアニメも、役者その人が自分の次元に落とし込める限りは、他の日常の素材と同じように演技を助けるものとして利用できる
いろいろなものが血肉になって、役者の身体的教養が醸されるなら、使えるものは哲学でも漫画でもウンコでもなんでも使ったほうがいいと思う
体系立てるのなんか後でよい、身体が勝手に繋いでくれるから大丈夫だ
知らんけど

じゃあ、漫画を実写化した映像作品はどうか
残念ながら、実写化されたもので、これは!というものにまだ出会ったことがない
何かおすすめのものがあれば教えてほしい
「翔んで埼玉」はおもしろかった
ちょっと興奮した
ぼくは東京生まれなので、関東圏あるあるはドツボだった
でもそれくらいなのである
すべての実写化作品を観たわけではないので、これだ!というものがあれば誰か教えてほしい

実写化作品がほとんどうまくいってないのは、制作的な、予算的な、大人の事情がいろいろあるのだろうけど、いつも感じるのは二次元から三次元への引っ越しがとっ散らかってるということだ

漫画、アニメ、実写、それぞれリアリティを感じるポイントは違う
それぞれ、視聴者の情報処理の範囲と速度が変わるからだ

漫画を読むときは、セリフと絵とコマ割りの全体を目の端で俯瞰しつつ、見るべきものとまだ見なくてよいものとに分けて、焦点はコマ割りの通りに読みすすめる
そしてあらゆる情報は、読者それぞれがもつ固有の時間感覚によって、画から喚起された脳内イメージ(音や動き)と共に、読者の頭の中で再構成される

かたやアニメでは、音声とアニメーションが入ることで、フレームの繋がった一連の時間が生まれることになる
製作側は基本的に、一時停止や巻き戻しを前提にアニメを作らないので、
視聴中は、その時間の流れをコントロールすることはできない
前のページに戻ることはできないし、最後のページだけチラ見することもできない
全体を俯瞰しようにも、得られる情報は画面に映っているもののみになる
セリフに関して言えば、漫画は視覚で文字情報を認識するので、どんなに長いセリフでも、パッと見て塊として把握できるけれど、アニメの場合は、キャラクターがセリフを喋り続けないと次の新しい情報を得ることができないので、同じ長セリフでも漫画とアニメとでは視聴者の体感時間は変わってしまう
漫画では違和感がなかったのに、アニメになると、なんかこの人よう喋りますなぁ〜、という印象をもつのはそのせいだ

実写になると、加えてこんどは3Dとしての奥行きが出てくる
平面(2D)の段階では、手前に映る人物と、後ろの背景の山はただ重なっているだけで、薄い書き割りを並べるように、その間には何も無いということになる
つまり、そこにあるはずのものは描かない、という表現になる
ここに奥行きが加わると、人物と背景の間に、距離という概念が生まれ、その距離分の空白を埋めるために、人物と山の間に、街だの川だの草原だのを立体的に描写することになる
そうなると、視聴者が画面から得る情報は、平面よりも格段に多くなる
しかも、平面では記号的に表現されたキャラクターの動きや表情は、実写では生身の人間が演じることで、記号度合が極端に下がり、複雑化する
視聴者が処理する画面内の情報量は多岐にわたって増えることになる

漫画、アニメ、実写はそれぞれまったく別の表現方法だ
だから、引っ越しは大変なのだ
同じタイトル作品でも、それぞれ表現される情報量が変わるので、それに対応した演出、あるいは脚本を変えていかないと、間のびした作品になるのだと思う
よく言われる「原作と違う」という批判は、この表現の次元が変わってしまうことによる影響も考慮した方がいい
そう考えると、ハリウッド映画の「アベンジャーズ」シリーズは本当にうまいことやっていたんだなと感服する
バカにしてごめんなさい

それなら、漫画を舞台化した作品はどうか
二次元をモチーフに生身の身体で物語をつくるとなると、もういろいろな飛躍を得ないと成立しないんじゃないかと思うけれど、
むしろ、目の前にお客さんがいるので、共犯関係さえ成立してしまえば、そもそも生身での忠実な再現はできない、というバイアスも手伝って、やりたい放題やっても大丈夫なんじゃないかと思う
でも残念ながら、いわゆる2.5次元の舞台をぼくはまだ生で観たことがないので、これはなんとも言えない
ごめんなさい

逆に、
もし自分のやっている舞台表現を、漫画化する場合を想像してみると、多岐にわたる複雑な情報を抽象化していくことになる
自分の地味な私生活は二次元化にはまったく向いていないが、
舞台は、いわゆる3Dで、自在に変化する時間軸も加えるとすれば、4次元の表現であり、お客さんの視点も加えるなら5次元にも(むりやり)なるので、漫画化には苦労するだろう
ぼくは普段からむずかしいことをやってるんだなぁと、自分で自分をなでてやりたい

新しい表現は、いつも新しい身体観から生まれる
漫画的、アニメ的身体観は現実を表現し、時に現実を更新するものとして、社会的な機能を充分に果たしていると思っている

かつて、文学における自然主義、耽美主義などの潮流が生まれたように、
漫画では、ジャンプ派、アフタヌーン派、web派、
アニメではジブリ派、ノイタミナ派、新海誠派など、
緻密に分派した表現は淘汰をくり返しながら、大きな流れをつくっている

舞台役者の演技論も、その影響を受けたり反発したりながら、時代に合わせてさらに変化していくのだろう
したらいいなと思う
美術館や劇場に行くように、漫画やアニメを見ることも一般教養として地に足がついてくれば、
こそこそと日陰でやりとりしていたオタク的コンテクストの交感は、今よりも堂々と陽の当たるものになる
その擦り合わせによって生まれた身体観を持つ新人類は、今よりもさらにぼくを惑わせるのだろう
その戸惑いに行き詰まりながら、未知の演技について考えることは、とても幸福な時間だと思うのだ



小菅紘史の記事はこちらから。
https://note.com/beyond_it_all/m/m1775a83400f9


読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteの詳細や書き手の紹介はこちらから。 https://note.com/beyond_it_all/n/n8b56f8f9b69b これからもこのnoteを読みたいなと思ってくださっていたら、ぜひサポートをお願いします。