誤射してるぞ!ジェンダークレーマー!

虚無の先と名乗らせていただいている者です

今回はジェンダークレーマーの批判範囲の指定のガバガバさについて議論していきたいと思います。

ただ、今回文章があまりにも長く、内容に心理学的、哲学的なものも入ってしまって息苦しさも出てきたのでタイトルだけはふざけました。真面目なタイトルが良いのなら意見ください。変えます。

表現を攻撃したところでジェンダー平等は実現できない

思考実験

ちょっとした思考実験をやってみたいと思います。数百年前(江戸時代ぐらいを想定していただければと思います)の日本の農村を考えてみましょう。そこでは旧来的な男女分業の考え方が浸透しています。また、おそらく今で言うところの男尊女卑的な考え方も根付いていました。では、そこにアニメはありますか?そこに漫画はありますか?ないですよね?せいぜいあって春画ですが、産業革命に入っていないため当時は紙が貴重品だったので、春画の存在も考えづらいという状況です。それでもいわゆる男尊女卑的考え方があったわけです。すなわち、漫画、アニメなどのイラストが旧来の男尊女卑の思想の基盤ではないということです。

ちなみに漫画の存在時期は鳥獣戯画を最初の漫画とすると鳥獣戯画が13世紀付近なので漫画の存在時期と旧来の思想の存在時期で話すのは少し雑です。(とは言っても平安時代から男尊女卑と言われる考え方が続いているのなら十分にそれで語ることもできますし、今の漫画と鳥獣戯画が大きく異なる点もあるので語れないこともないですが)

逆に、欧米の男女同権(フェミニスト御用達のジェンダーギャップ指数使ってみます?)が進んでいると言われる国で日本の漫画、アニメが流行していないかと言われたらそれも違います。これら2つより、漫画、アニメで描かれるイラストと男尊女卑的思考は片方の存在にもう片方が依存している(=片方が無ければもう片方が存在しえない)とは言えません。

洞窟の比喩

上の「思考実験」で「漫画、アニメで描かれるイラストと男尊女卑的思考は片方の存在にもう片方が依存しているとは言えません」と書きましたが、多分ジェンダークレーマーは納得しません。その上、イラストとそのイデアに関してはもう少し関係性に振れ幅があるかもしれないと考えています。なので、最大限に関係があると仮定して考えてみます。まずはプラトンの「国家」第七巻を引用してみたいと思います。

地下の洞窟に住んでいる人々を想像してみよう。明かりに向かって洞窟の幅いっぱいの通路が入口まで達している。人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない。入口のはるか上方に火が燃えていて、人々をうしろから照らしている。火と人々のあいだに道があり、道に沿って低い壁が作られている。……壁に沿って、いろんな種類の道具、木や石などで作られた人間や動物の像が、壁の上に差し上げられながら運ばれていく。運んでいく人々のなかには、声を出すものもいれば、黙っているものもいる。

プラトンの「国家」第七巻

と、少しわかりにくいのでWikipediaから解説を持ってきてみます。

洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる[1]。「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。同じように、われわれが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%AA%9F%E3%81%AE%E6%AF%94%E5%96%A9
最終参照日:2022年4月5日

社会問題という「実体」に対する「影」である表現を攻撃したところで社会問題という「実体」そのものに何の影響もありません。ただその「影」を描き出す表現者にダメージが行くだけです。

このように表現と男女差別に多少の関係性があったところでそれでもなおジェンダークレーマーの行っていることは男女差別の解決には無意味です。簡単に手の届く形相程度で満足するのではなく、イデアそのものに突っ込まないといけません。ゆえに私はAV業界への規制強化論に対して、有害と考えられるものを思考停止して規制するそのイデアをアメリカの禁酒法の失敗に学び、反対するnoteを書きました。

また、このnoteも「表現を攻撃することで社会を改善できる」というイデアに攻撃しています。なのでジェンダークレーマーに言います:

ジェンダークレーマーは攻撃するものを間違えています。

あなた方が「性差別的表現」と呼ぶものではなく性差別そのものを非難すべきです。そこに関してであれば筆者も協力します。何だったら次のnoteは性差別というイデアそのものへの攻撃にしましょうか?(ちなみに多分これがジェンダークレーマーに対する筆者が持ち合わせる最後の優しさです)

ハンロンの剃刀

では、どうしてジェンダークレーマーは表現への攻撃、排除をするのでしょうか?ジェンダークレーマーは「男女同権を実現する」ことに対して何もしていません。それどころか、異性への嫌悪を煽る行動をとっており、男女同権への実現に必須と言える「社会の団結」への阻害要因となっています。ジェンダークレーマーは「漫画やアニメの表現が嫌いなのか?」と聞きたくなる気持ちもわかります。しかし、ここでハンロンの剃刀の出番です。

Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.
無能で十分説明されることに悪意を見出すな

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%89%83%E5%88%80

"stupidity"を「無能」と訳すあたりに訳者の有能さが出てますね…筆者なら直球で「バカ」と訳して「ジェンダークレーマーをバカと言うな」と怒られてるところです…。が、それは置いといて、ジェンダークレーマーは漫画やアニメの表現が嫌いなのではなく、ただただ無能であるだけとした方が適当かと考えます。(ある意味無慈悲ですが)

これに関しては「ジェンダークレーマー」よりも一つ大きな枠組みで考えたほうが良いのかなと感じるところでもありますが、インターネットには文章を読めない人間がたくさんいます。と表現をします。この文章においてはジェンダークレーマーは文章が読めないとしていただいても構いません。

「文章を読まない/話を聞かない」は無能な人間の特徴の一つであると考えます。(文章を読み、話を聞く人間が有能であるというわけではありませんが)説明書を読まずに失敗する人間見たことありませんか?Wiiリモコンのストラップつけずにテレビ壊したり、CPUのオーバークロックを何も見ずにやって壊したりするような人間、ほかにも、Twitterの懸賞キャンペーンでやることを間違えてる人間もたくさんいます(実は懸賞の主催をやったことがあるので…「フォロー RT」で検索して軽く探してみてください、びっくりしますよ)。そして、これらのやらかしは説明書を読んでいれば防げたものです。それでも読まずに(懸賞に至っては10文字に満たない指示も読んでないので「文章を読めない」なんていう次元ではないです)失敗しています。まあ一つ言えることは文章でしかコンタクトが取れない筆者が救えるものではないということですかね…

ほかの表現規制反対派がどうかについてまでは責任を負えませんが、ジェンダークレーマーは表現規制反対派をエロ表現しか守らないと批判しました。だったら全表現守ればいいじゃないと実は筆者は少し動きを変えています。もちろんこの程度で筆者が有能だと言う気はありません。筆者は自分自身を無能な人間だと思っています。が、最低限他人の書いた文章を読み、自分の血肉にすることぐらいはします。それだけです。

ではジェンダークレーマーはそのような行動の変容を行いましたか?表現物の炎上における批判的表現に変化はありましたか?個別の事象を見たところで変化がないので「いつメン」のいつもの反応を見ましたが、変化はありませんでした。せいぜい、言葉遊びの域を抜け出さない程度の変化です。まあ、批判の文章は読まれてないでしょうね…徒労感。

フェミニストの名で女性を攻撃することの愚かさ

「ゲインロス効果」という心理学的効果をご存じでしょうか?プラスの印象からマイナスの印象に移るとき、またはマイナスの印象からプラスの印象に移るときの影響が大きくなる効果です。いつもは嫌な奴のジャイアンが劇場版ドラえもんだとめちゃくちゃカッコ良くなるあの現象です。ただ、その逆で社会を良くするために活動しているはずのフェミニストが社会に生きる人を生きづらくしているとなってはかなり印象が悪くなります。

今のジェンダークレーマー的フェミニストを知る前…歴史の教科書でフェミニストの存在を知った時を思い出してください(難しい注文であることは百も承知ですが)。フェミニストに多少なりともポジティブなイメージ(と言うよりも今のネガティブなイメージを持っていなかったという方が正確かもしれません)を持っていた方が多いと思います。

では、初めてジェンダークレーマーを見た時どう思いましたか?筆者自身の経験から書くと、一応それ以前から今のフェミニストの過激性は多少見ていましたが、なんの非もない戸定梨香さんを攻撃する全国フェミニスト議員連盟を見て、そこに付随してきた今はジェンダークレーマーと呼ぶべき「フェミニスト」による誹謗中傷を見て、そして、その後に彼女が配信で言った「生きていてもいいんだ」という言葉で筆者はフェミニストに絶望しました。

「アンチフェミ」に関する一つの可能性

ここまで書いて思いました。現状のフェミニストに反感を持つ(フェミニズムへの反感ではないことに留意してください)人たち(それをここでは「アンチフェミ」と定義します)のうち、フェミニストによる表現者への攻撃からフェミニストに反感を持った方は多いのではないのか?と。

なので調査をしたいのですが、統計学的に有意とできる量のデータを集める力がないので誰かに任せたいと思います。(初めて弱いアカウントを運用することの後悔をした気がする)とは言っても一回自分でやってみるのは手なのでやってはみますが…

最後に

ジェンダークレーマーはこれまで性差別の解消に対して無意味な行動を多くとってきました。

それはおそらく、「影」である表現を攻撃すればその「実体」である性差別へ攻撃できるという誤解に起因するものです。ただ、実際は、レーザー光に対してじゃれつく猫のように暴れながら、その動きで、人を潰しています。その潰されている人がどれだけ声を上げようが無視されるのが現実です。他人の生活を脅かさないと達成しえない「正義」に意味はあるのでしょうか?

もしよろしければ、スキ、拡散への協力、Twitterへのフォロー、コメントなど、よろしくお願いいたします。


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