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「やり抜く」ために一番大事なものは、やっぱりこれか|スナック サナギ営業10日目


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今日も一日、おつかれさまです。


自分の経験と他人の経験を分析していると、何かを始めてやり続けたり、やり抜くには、"思い込み力" が必要だなと感じていた。

思い込み力というのは、わたしが命名したものなのだけれど、意味としてはそのままで「わたしはこれをやるために生まれてきたんだ」とか、そこまでいかないでも「わたしはこれが好きなんだ」とか、そういうことを深く信じられるという意味です。

真実なんてどこにもないけれど、真実とかを疑うことをせずに邁進できる原動力、それが思い込み力かもしれないと思っていました。

今日、ある本を読んでいてまさにそのようなことが書いてありました。

ある研究によれば、人間は自分のことを理解していると思うときに、人生に意味を感じるという。ここで肝心なのは「思う」ということだ。真に自分を知ることではなく、そう感じることが人生に意味をもたらす。だから、ストーリーは正確でなくても効果を発揮する。

(『残酷するぎる成功法則』より)

上記は、人間は人生に意味を感じていると前向きに生きる選択ができて、それはやり抜く力(グリッド力)にも繋がるという話に関連した話なのだけれど、まさに自分に対して一貫したストーリーを紡いで(自分にとって一貫性のないマイナスなことは無意識に省くらしい。「限定合理性」というらしい。)、それを信じられる者にこそやり抜く力が備わっているということだ。

わたしは昔は、ひょんな小さなきっかけだったとして思い込める力が結構あった方だと思う。実際にそれに比例するようにやり抜く力もあった。けれど、ひとたび疑うということを覚えてしまったり、自分ですら一貫性を保てない行動を繰り返してしまうと、思い込み力が著しく低下してしまうと思うのだ。現にわたしがそうだ。

大人になるにつれてそのような現象が起こる可能性もあるけれど、わたしはいまそのように感じている。そこでの一縷の望みは、過去に味わった大きな経験や感情だけだ。その後の行動に一貫性があるかどうかはおいておいて、人生で一番大きな経験だけは死ぬことなく生き続けてくれる

これは単なる思い込みではないのだと自分で思うことができて(もちろんそれが実際には思い込みであろうとも)、それで受けた衝撃や感情だけは信じられると思うのだ。

大人になってから、新しく出会ったものに対して思い込むというのは少し難しいかもしれないけれど、人生で一番大きな出来事に対しては、きっと思い込むことができるだろう。

「思い込む」というのはちょっと皮肉交じりの言葉になってしまうので、今日先輩とお話しして「おまじない」という言葉の方がいいかもねなんて話た。


noteに考えたことをつらつら書き続けていった結果、本などで答え合わせができる瞬間が増えてきてなんだか楽しい。考えたことが意外と科学的に証明されていると、かなりの納得感があるからだ。


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