人と違うような経験をしても、「昨日は夜中の3時に寝ました」くらいに思えるかっこよさがほしい

わたしはまだまだ自己主張は強めだし、ちょっと人と違うような経験をするとネタにもなればなと思いながらぺちゃくちゃ話してしまうお子ちゃまなのですが、世の中には「え、そんな経験あるの?!」ってほどのことでも、「昨日は夜中の3時に寝ました」というレベルでその経験を認識しているようなかっこいい人がいますよね。

だから、自らぺちゃくちゃその話題を話したり、その話題に触れられうような話の流れにもっていったりとかすることはなくて、こちらが聞くと淡々と話してくれる。かっこいいなあと素直に思う。

たぶん、わたしのような人間は、さまざまな経験によって自分のアイデンティティを主張したいということと、認められたいということ、そして少しだけ自慢したい、そんな気持ちが入り混じっているのだと思う。だから、人から見ると嫌味に捉えられてしまうこともある。そりゃそうだよなと思う。だって、いやらしい気持ちが少しだけでも入っているのだから、当たり前だ。

そんなわたしとは反対に、人とは違う経験をしてもクールでいられる人は、そもそもその経験を自分の中で特別視していないのだと思う。自分の自然な意志でその決断をして、人生の駒を進めただけなんだから、何も特別なことではない、そう認識しているのではないだろうか。人と違うとかそもそもどうでもいいし、なにか決断をする時に「これは人と違って特別そうなことか」ということが決断の軸に入ることは有り得ないのだろう。

わたしは、往々にして「人と違うことがしたい」「みんなと一緒は嫌だ」というのが軸のひとつになり得るような性格なのだ。小学生の頃でさえ、卒業式や合唱祭ではみんなが歌うならわたしは一人で伴奏したい、そう思うような子供だった。だから、人と比べない方がいいよと、人からたくさん言われてきたし、自分でも人と違うことがしたいと思いながらも、他人と比較している実感はなかったらそれなりに苦しんだ。わたしは、One of themになりたくないだけであって、実際に友達と競争しているつもりはなかったし、敵視している人だっていなかった。

いまでももちろん、人と比較しているつもりはないのだけれど、自分の自尊心を保つことも大事だと思っている。つまり、自分の周りという小さい世界の中だったとしても「やっている人が少ない」ということが自分の自尊心に繋がり頑張れるのであれば、なんでもいいかと思うようになった。こう書いていても、やはりちょっとひねくれてるなと認めざるを得ない感じがするけれど、、謙虚に頑張りたいと思っているのです。

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