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『タッチ』を全101話観て、学びになったこと2つ

『タッチ』全101話(うち4話は総集編)を観終えた。

野球は、大学生の頃に一応マネージャーをやっていたのと、父も兄も野球をやっていたから、昔から「男のスポーツといえば」という価値観がわたしに植えつけられていた。たしか小学生か中学生の頃にみんなが観ていたドラマのチャンネルの裏で『H2』がやっていて、わたしはいつもみんなの会話に入れるかなんてどうでもよくて、『H2』を観ていたのを思い出した。

『タッチ』は、もちろん大体のあらすじは知っていた。双子の男の子たちと、幼馴染の女の子がいて、男の子のうちどちらかが甲子園に行く前に死んでしまって、もう一人の男の子が代わりに投げるという、たったその程度の知識だったし、まさか和也が101話中30話ちょっとで死んでしまうなんて思っていなかった。

おかげさまで、100話と101話はしくしく泣かせていただいたほど、いいお話だった。

特に好きだなと思った箇所(100話と101話に集中しすぎているけど)を2つだけ、以下にまとめます。


達也が達也になった瞬間

死んだ弟の和也のために、そして南のために野球を始めた達也は、甲子園への切符を手に入れるための予選を進んでいくにつれて、周りのプレッシャーもあり "達也らしく" いられなくなる瞬間が増えていってしまった。

そんな中で迎えた予選決勝戦。対戦相手である須見高校に押されている状況の中、監督代理の柏葉の一言で自分が "達也" でなくなっていることに気がつくことができた。その後は自分を取り戻し、和也としてでも、周りの期待に応えるだけの人間としてでもなくて、達也として投げ切って見事、甲子園行きを手にしたのだ。

「自分らしく」なんて言葉は最近飛び交い過ぎていて、なんだか平べったいし、胡散臭い気がしてしまうから、もっと具体的で良い言葉があればなと思う。

多分、「自分のペースで生きていく」とか、「自分の感覚に素直に従う」とか、そのあたりかなあー。気を張らずに、素直になって、自分の感覚や気持ちに正直になって、そのまま行動することがつまり、「自分らしい」なのかもしれない。


みんなが自分に正直になれた

野球が好きだと最後の最後で素直になれた柏葉監督、近くにいる大切な人に気がついた勢南の西村、甲子園に着いてから公衆電話で南に告白した達也、みんな自分に正直になれた姿は、すごく潔くて、シンプルで、強かった

すぐに正直になれるわけではないし、自分一人の力だけで素直になれるわけではなかった。

周りにいる優しさとお節介の間の人たちが、まるで暖簾に腕押しのようなかたちで一生懸命伝え続けて、ようやく素直になれたのだ。たった一言で変わることはないし、たった一度何か行動したからといって変わることはないのだ。

人間関係は、線引きが難しい。

優しさは行き過ぎるとお節介だし、お節介はある種エゴだ。「相手のため」というのは相手が決めることで、こちらが決めることではない。

でも、人が素直になるには、自分だけではない人の力が必要なのかもしれない。

それと、まだ自分の気持ちが分からない時は、無理しなくても良いのだと思った。

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