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文字にできることはまだあるかい

絵師に比べて物書きはモテない。
これは実感に基づく事実である。
誤解でも思い込みでもない。
「モテない」と表現することがマズいのであれば、「人気がない」と言い換えてもいい。

私は趣味とは呼べないほどの手遊びでVTuberのファンアートを描いたりしてもいるのだが、ラジオでメールが採用された時よりも毎回はるかに反応がいいのだ。
こんなド下手な代物が。
嘘だと思うならお手数だが私のpixivを見に行ってもらえばご納得いただけるだろう。
ね?下手でしょ?
こんなのでもウケるんです。

それで思い知らされるのは「文字では絵には勝てない」ということ。
なにしろ絵は見れば分かるのだ。直感的に。よほどパンチが効いていなければ。
絵は国境を超える
だが文字ではそれが無理だ。
少なくとも翻訳にかけるなどの手間がいる。
その手段がない相手、時、場合、などには使えない。
事実私のファンアートでも様々な国の方々から嬉しいリアクションをもらえている。
ラジオメール、二次創作小説、画像を含まないネタ、などなどの文字だけでのものでもらえたことはない。
残念ながらどうあっても文字では絵には勝てないのだ。
翻訳を仲介すればそこに翻訳者の意図が含まれ、その時点で純粋に著者自身の物ではなくなってしまう。

では、文字や物書きなどいらないのだろうか?


さすがにそれは極論であり、暴論だ。
漫画にだって台詞やオノマトペなんかは必要不可欠だ。
なくなったらめちゃくちゃ困る。少なくとも私は。
ならばどうする。
物書きの生きる道はどこだ。
……ある。
主に文字愛好家からのニーズに応えることだ。
イラスト好きがいくらいようとも、増えようとも、文字愛好家はいなくはならない。
それだけは確かだ。
彼ら彼女らを大事にしよう、自分たちのためにも。

文字には文字の良さがある。


イラストは一目で非常に多くの情報を伝えることに長けているが、そこを好まない層もいる。
逆に言えば、文字には自分なりの想像の翼を広げる楽しみがある
「ああなのかな?こうなのかな?」と妄想する余地と可能性が絵よりもずっとある。
私も自分のドラマ台本が採用されたものを実際に声優さんが演じられたのを聴いて、「そういうニュアンスで来るかーっ!」と膝を叩いたことが何度もある。
いざ具現化した時に予想したいたものとの差異を楽しむという高等テクニック(?)もありけり。

「絵が描けないから文字を書くしかない」という消去法ではなく、自らの意思で物書きを選んだのだ。
私はこれでも少年の頃に本気で小説家を目指し、かの電撃ゲーム小説大賞にも応募したこともある。
結果はあえなく一次審査落選でしたがね。今読み返すとそうなって当然のクオリティ。
絵は好きだが、それ以上に文字が好きなんですわ。
日本語には平仮名があってカタカナがあって感じがある、なんならローマ字なんかも混ぜられる。
言葉遊びには事欠かないわけです。
言語としては非常に習得が難しいが、それだけに使いこなせれば楽しい。
日本語が堪能な海外の方々は心底敬服いたします。

文字ネタの魅力に、もっと多くの人に気付いてもらいたい。


そして願わくば絵師と並び立てるぐらい物書きの人気が上がればなあ、と。

ラジオでメールが採用されるとニコニコでコメントが流れるでしょ?
「またおま」「いつもの」「わんわん」「🐶」なんかに混じってたまにこんなコメントがあるのです。
「もはや作家」「野生の公式」
違いますけど!?
だったらどんなによかったか。
絵師さんと違ってお仕事依頼だのスカウトだのとは縁遠いもんです。
まあそもそも私なんて伝説のハガキ職人でもなんでもないんですけどね。
それにしてもテキスト職人には夢がない。
そんなスカウトが来たら今すぐにでも転職するんですがね。

というかね。
誰からも1回も「どうやったらそんなに面白いメールが書けるようになるんですか?」って訊かれたことねーよ!
こんなにやってて!こんなにやってて!(2回言う)
メール職人憧れられなさ過ぎでしょ。
文字ネタ職人ドリームはないのか。
あると信じなきゃやってらんねーわ。

「配られたカードで勝負するっきゃないのさ」

(by某白黒犬)
最初はそうかもしれない。
しかし、そこからそれにどう意味を持たせるか、どう進めて行くかは自分次第なんだから。
やれることをやれる時にやれるだけやろう。
ゼロのままでは何も始まらないし生まれない。
もし誰かが結果を出した時、それを羨む権利があるのは同じことかそれ以上のことをした人間だけだ。

私には文章力がある。発想力もある。モチベーションもある。
だからやる。続ける。
テキストネタ師の人口がこのまま増えないのであれば、その分独占させていただきます。


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