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ファンの名前にまで性別を持ち込まないで欲しい

 性別に関する問題はみんなが思っているよりデリケートなものだ。日本社会はその意識が足りない。

自分には好きなアーティストがいて、ファンには名前が付いている。しかしそれをファンは、男には男っぽいファン名、女には女っぽいファン名、とアレンジしている。

私は基本的にアーティストが好きだが、それを許容しているアーティストは好きにはなれない。そりゃ大声でやめろと言えないということは分かっている。分かっているが、今の状態を放っておいたのは他ならぬアーティストであり、これからもこの関係はずっと続くのだから、いつかいいところで言ってほしいな、と思う。ファンの中に男や女に当てはまらない性別の持ち主がいた場合、彼らに名前をつけないのか?

こういう議論になると最初から分かっているのにわざわざ性別が2つしかないような名前を許容したアーティスト。差別を自ら作り出してどうする。

これに派生して、性別の話をしたい。

子供が産まれたら男がいい? 女がいい? というトークは私が最も苦手とするものである。

性別は2種類だけではない。もしその2種類の枠外の子供が産まれたら嫌なのか? 愛せないのか?

1回タイにいって性別の多様性を学んでほしい、と思う。

それを影響量のあるテレビなどで取り上げるから余計に嫌だ。めちゃくちゃ嫌だ。

性別にとらわれたくない。しかし、体が女の人の場合、体が男の人に力で勝つのは大抵の場合において無理である。

筋肉量が違う。

つくりも違う。

だから体が男の人の場合は、体が女の人に優しくしてほしい、と思う。

日本社会は女の人に厳しすぎるから。本当に男性優位に作られている。男性の、とりわけ年配に有利に。

女性専用車両の存在が女尊男卑というのなら、あなた方が声をあげて男性専用車両を作れば良いのではないか?

なぜ女性専用車両を廃止しろなどと言えるのか?

映画のレディースデーも同じである。

優遇されているほうを無くせ、などとなぜ言えるのか? 大人が知恵を出してずっと考えて来たことに対して、なぜあなたの一瞬の思いつきが優っていると思うのか? なぜ今までの女性の苦労を学校で習っているのに女性に厳しいのか?

これに関してフェミニズムについても語ろうと思う。

自分は性別の多様性を認めているため、フェミニズムに関してはすこし難しいところではある。しかし体が女性である場合、社会的不利になることは否めない。私がそうであったように、そう思っている人がいる。だからフェミニズムが生まれた。

フェミニズムには男性の協力が無くてはならない。フェミニストは男性と社会的に同じになりたい。しかし男性は女性に対して、男性を殴るように殴ってはいけない。触ってはいけない。

男性の協力が無いと成り立たない。しかし日本の男性はそれに対する理解を諦めている人が多いと感じる。

自分が良ければいいんだな、と感じる。

自分が良ければ辛い思いをしている人がいてもいいんだな。

なぜこんなにも男女差があるのか。なぜこんなにも日本男児は女性軽視な人が多いと言われるのか。

全ては私の勉強不足でまだ分かっていないが、「身勝手」という結論に落ち着きそうである、というのは分かる。


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