天国に行く条件とは何ですか

前回の集会で、マー牧師はこの2つの節について話しをされました、「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。」(テモテヘの第二の手紙 4:7-8)。彼はこう言いました:「今は終わりの日であり、主が降臨されるという預言は基本的に成就されています。ですから、私たちはこれからも主のために懸命に働き続け、もっと色々な所へ足を運び、もっと労力を費やすべきです。そうすれば、私たちは主が来られる時に天国へ引き上げられるでしょう。私は以前この地域には教会がなかった時のことを覚えています、主に従っていたのは兄弟姉妹の僅か数人だけでした。そして、私はあちこちを走り回って主の福音を伝導し始めました。雨の日も、風の日も、雪の日も、私は休みませんでした。作物を刈り入れる時間がない時すらありました。未信者の中に私を笑う者がいましたが、私は気にしませんでした。なぜなら、私は主が私を認めてくださっていると分かっていましたし、天国に入るためにはこの苦しみに耐える必要があると知っていたからです。」マー牧師の交流を聞いた兄弟姉妹は全員が感心に満ちたまなざしで彼を見つめ、私は秘かに満足しながらこう思いました:「主の信仰を始めて以来、主のために精一杯の代償を払って労力を費やしてきているからな。どうやらこの苦難が無駄になることはなさそうだ。」

しかし、ヂェン兄弟は一生懸命に働いていれば天国に入れるというマー牧師の考えに対し疑問を投げかけました。ヂェン兄弟はこう言いました:「私たち主の信者は、主のために説教をして、労力を費やすことでパウロを見習いながら、休むことなく働いていれば、主が再臨される時に直接天国に引き上げられると全員が考えているように思えます。人の目にはこのように実践することは正しく映り、誰もそれには反対しません。しかし、私たちは主の信者として全てにおいて真理を求めるべきです。このような実践は人々の観念には適っていますが、はたして神の御心には適っているのでしょうか?神の御言葉は私たちの行動原則であり、全ての人々、物事、そして出来事を判断する基準であることを私たちは知っておかなければなりません。神の御言葉に従いながら実践していれば、間違いなく神の承認を得られるでしょう。しかし、神の御言葉に背き、自分たちの観念と想像に基づいて実践したら、確実に神から忌み嫌われ、排斥されるでしょう。

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ヂェン兄弟の解釈を聞いた後、私は心の中で反感しました:「私の払った代償は牧師や長老ほどのものではないにしろ、私が払った労力と犠牲は一応の基準を満たしているはず。教会でも熱心に様々な活動に参加して、多くの犠牲を払ってきた。私が行ってきたことは神の御心に適っているはずだ。」私は自分の考えに疑問を投げかけられた時、とてもそれを受け入れられませんでした。しかし、ヂェン兄弟の話しを聞いた後、私は彼の言葉は合理的であると思いました。

ヂェン兄弟は続けて交流しました:「主イエス様はこう仰りました:『わたしにむかって「主よ、主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって「主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか」と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」(マタイによる福音書7:21-23)。主の御言葉から、主イエス様は「ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」としか仰っておられないことが分かります。主は主のために懸命に働く者全てが祝福され、天国に入るとは仰っておられません。パリサイ人が福音を伝導するために地と海を渡り、骨折って働いていた時のことを思い出してください。彼らは神のために懸命に働くことを投資とし、人々に自分たちを崇拝させ、自分たちに従わせていました。主イエス様が働きをしに来られた時、彼らはユダヤの民の多くが主イエス様に従っていることを知りました。自分たちの地位や生活を失うことを恐れた彼らは狂信的に主イエス様に逆らい、主イエス様を非難し、ついにはローマ政府と共謀して主を十字架に釘付けにしたのです。なので、彼らは神のためにどれだけ一生懸命に働いていても、結局は神に逆らい、悪事を働いていただけなのです。それで天国に入れるわけがないのです。現在存在する各宗派と分派に属する人々を見てください。その多くは苦しみ、代償を払い、主のために休みなく働いても、決して主の御言葉を実践することがなければ、各々の業務や説教を行う中で神を称賛したり、神の証言をすることもありません。代わりに、彼らは頻繁に自らの地位を確立して他人に自分のことを尊敬させ、従わせています。彼らのやること全てが自分の地位と収入を維持するためであり、それ以上に天国に入るためにやっていることなのです。このような代償を払っても神と取引をしているようなものです。なので、彼らが神の御心通りに実践する人々であるはずがないのです。一生懸命に働くだけでは天国には入れないし、そうすることが天国に入るための条件でもないことは明らかです。」

私たちが注意深く聞き入っていた時、マー牧師は挑戦的なまなざして聞きました:「そうしたら、神の御心通りに実践するとはどういう意味か言ってくれますか?」ヂェン兄弟は落ち着いて答えました:「神の御心通りに実践するとは、神の働きに従うこと、そして神の御言葉を実践して神に従うことを何よりも大切にするということです。何の見返りも期待せずに神の戒律に従い、神の御要望通り主のために働き、自らを心から主に捧げるということです。やること全てが報酬や名誉のためではなく、真理を実践し、神に従い、神を愛するためであるということです。これが神の御心通りに実践する人々です。主イエス様はかつて私たちにこう教えてくださりました:「イエスは言われた、『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。」(マタイによる福音書22:37-38)。これが主から私たちへの御要求です。私たちが他の物を捨て去り、主のために努力する時、一心不乱に神の御言葉を実践し、神を愛して満足させることができれば、それは神の御心通りに実践しているということです。しかし、主の御言葉と戒律を実践していなければ、私たちは間違いなく神の御心通りに実践する人ではありません。私たちは誰もが聖書に出て来るペテロのことを知っています、彼は主のために働こうと全てを手放しました。彼は自らを心から主に捧げることができたため、主イエス様は教会を率先するという大きな責任を彼に託したのです。ペテロの手紙から、彼は自分がどのようにして主のために犠牲を払ったり、労力を費やしたのか、また、どれだけの仕事をこなしたかについては決して証言しておらず、むしろ、彼は常に主イエス様の人間に対する贖い、愛情、そして救いについて証言していたことが分かります。しかも、彼はどのような苦難、病気、迫害、または試練を経験しようとも、決して主の指示を忘れずに全身全霊をかけて教会を率先しました。最後に、彼は逆さになって十字架に釘付けにされ、死ぬまで神を極限まで愛し、神に従いました。ペテロは神の心に従って生きた男であり、天国に入るにふさわしかったことが分かります。」

マー牧師が口を開いて喋ろうとした時、ヂェン兄弟が加えてこう言いました:「マー牧師、私たち主の信者と信奉者が天国に入れるかどうかは、主のこの御言葉に基づいているべきです、「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」天の御父の御心を実践することのみが天国に入るための条件です。なぜなら、主イエス様はこう仰ったからです、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネによる福音書14:6)。キリストが真理であり、天国への入り口であり、誰も避けて通ることはできません。神の御言葉を実践し、神の道に従ってこそ、私たちは天国に入ることができるのです。しかし、「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう⋯」(テモテヘの第二の手紙 4:7-8)、というパウロの言葉は天国に入るための基準ではありません。パウロは単に福音を説いた使徒であって、私たちと同じように堕落した人間でした。彼の言葉が真理と主の御言葉に適っているのであれば、私たちはそれを実践すればいいんです。そうでなければ、実践すべきではありません。これは正しいと思いませんか?」マー牧師はジェン兄弟の質問を受けて気まずくなり、彼の顔からは玉の汗が出ていました。

ヂェン兄弟の言葉を熟考していると、私はこのように深く考え込みました:「兄弟の交流は合理的だ。私はいつも代償を払い労力を費やすことで天国に入って報酬を手にしようとしている。私はパウロと同じことをしているのではないか?このように労力を費やしても神には認めていただけない。主のために懸命に働くということは、神の御心を実践しているということではなく、天国に入るための条件でもないのだ。全身全霊をかけて神の御言葉を実践し、神を愛し、神に従ってこそ、私たちは神の道と御心に従うことができ、こうすることのみが天国に入るための条件なのです。」神の御啓示と御導きに感謝いたします。



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