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うたかたの日々|2023-01-27

今回は、うでパスタが書きます。

独身者やこどものいないカップルがこどものいる夫婦に対してどこまで配慮を求められるかをめぐってはたびたび議論が繰り返されておりますが、ここにはまず現在こどものいる夫婦の多くは過去にこどものいないカップルであったこともあるため認知・認識のギャップが明確に存在しており、たとい(私のように)いまはこどもがおりましても、その立場にかかわらず「まぁ分かるよ、こっちにもきみたちの気持ちはまぁ分かるよね……」とあまり強くは言えなくなる現象が発生しがちです。

もっとも、私たちがこどもをもうけること自体に関しては正直、(個々人にいかなる主義が存在しようとも)この人間社会において是非を論じるまでもない唯一の営みだということで通していただきたいと思っており、それはとりもなおさず生殖こそがヒトの歴史において政治や賭博、売春、飲酒、強盗、株式上場のどれよりも古くから繰り返されてきた種の原点だからであり、ありとあらゆる文化・文明、制度は「ひとは子をなす」ことを前提にしてきたからであります。
「前提にしてきた」というのは「目的にしてきた」のとは異なり、こと現代の倫理に照らせば上に挙げた様式は「子をなさないこともある」人々の生もまた全うされることを目的としておらなければならないことになっています。もはやあらためて言うまでもありませんが、ひとには子をなさずかつ十全に生を生きる権利が保障されているということです。しかしそれにもかかわらず、どこまでいっても「ひとは子をなすべきではない」という主張だけは社会的な合意形成のプロセスに包含するわけにはゆかないということでもあります。それは有産階級(ブルジョワジー)がマジョリティになりえないのとおなじで、人間社会の「そうはならない」ひとつの姿を説くだけのアートに過ぎません。

そんなこんなで、「子をなさない自由」も当然に尊重されているこの社会において子をなした夫婦がバカにされるような謂れももちろんないわけですし、生産人口とか人口オーナスとかいうのとは異なる次元で、つまり「社会がみずからを維持するためには生殖が不可欠である」という根本的な原理から、子を産み育てることへの公的な扶助拡充は問答無用で進めるべきです。「経済的な理由で子をなすことができない」と訴える夫婦のどれだけが本当のことを言っているかという問題はありますけれども、社会に経済という機能が備わっている場合、まず第一にケアされるべきはこのニーズであって、SAPIXだかマイルドヤンキーだか知りませんがその結果どういった社会になっていくかは、どちらかといえば政策よりは運命に属する話題だととらえるべきでしょう。

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