初の「豪NBL→NBA」選手

豪NBL

近年、NBLはNBA候補生達のカレッジのオルタナティブとしての役割を担っている。

事の発端はNBAの「高卒ルーキー禁止」だ。現在、アメリカとカナダ出身の選手達は「高校卒業後1年以上の経過」をNBAドラフトへのエントリーの条件として求められているため、高校卒業直後の1年間を大学、NBA以外のプロリーグ、自主練といった形で過ごさなければならない。

当初(2005年以降)、高校生達は嫌々ながら大学進学の道を選んでいたのだが、次第に「他国のプロリーグ」「プレップスクール」「専門プログラム」「高校卒業資格を保持して留年」等の様々なオルタナティブルート(大学進学以外の1年を過ごす方法)が開拓され、近年は遂にGリーグがNBA候補生達のための専門契約やチームを創設するまでに至っている。

そして、NBLはオルタナティブルートとして積極的にNBAプロスペクト達を受け入れてきた。2017年、NBLはテレンス・ファーガソンを受け入れ、翌2018年にNBLネクストスターズと呼ばれるプログラムを発足し、2019年にはラメロ・ボール、RJ・ハンプトン、テリー・アームストロングがネクストスターズとしてNBLに加わった。

その結果、NBLは毎年NBA選手を輩出するようなリーグになりつつある訳だが、実は初のNBL to NBA選手はテレンス・ファーガソンでもなければオーストラリア人でもなく、実に現実的な理由でオーストラリアにやってきたアメリカ人選手だった。

ダグ・オバートン

初の豪NBL出身のNBA選手はダグ・オバートンだ。

ダグ・オバートンは高校時代から地元ペンシルベニア州フィラデルフィアでは知られた選手だった。

一方、フィラデルフィアは全米で最もカレッジバスケが熱い町として知られている。同市内にはビラノバ大学、テンプル大学、St.ジョセフズ大学、ペンシルベニア大学、ラセール大学、ドレクセル大学がキャンパスを構えており、(ドレクセル大学以外の5校で争われる同市No.1を決めるビッグ5は全米屈指の伝統的なインカレスポーツ大会の1つとされている。

そのため、オバートンには色々な選択肢があったはずのだが、1987年、前年に地元フィラデルフィアのスーパー高校生のライオネル・シモンズが加入して勢いを増していたこともあってか、オバートンは中堅校のラセール大学を進路先に選んだ。

そして、1987-88、シモンズとオバートンはラセール大学を30年以上振りのNCAAトーナメント出場に導き、翌年も30年以上振りのNCAAトーナメント出場を決め、コンビ結成最後のシーズンとなった1989-90には同大史上初の3年連続NCAAトーナメント出場と2度目のNCAAトーナメント勝利を達成した。

その後、オバートンは1991年のNBAドラフトで2巡目40位でデトロイト・ピストンズから指名こそ受けたのだが、1991-92はマイナーリーグのコンチネンタル・バスケットボール・アソシエーション(CBA)でのプレーを余儀なくされたため、シーズン途中にNBLのイラワラ・ホークス(Illawarra Hawks)へと移籍した。

しかし、翌1992-93、オバートンはワシントン・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)に拾われ、無事にNBAデビューを果たし、その結果、初の「NBL to NBA」選手となった。

ちなみに、以降、オバートンは10シーズン以上をNBAで過ごした。

参考

NBL Next Stars(nbl.com.au)
NBA prospect to join Phoenix as NBL Next Star(semphoenix.com)
DOUG OVERTON (ILLAWARRA HAWKS) THE FIRST PLAYER TO GO FROM THE NBL TO THE NBA(aussiehoopla.com)

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