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突然の妊娠報告はカマキリが解決する

本稿は文学フリマ東京で販売したエッセイ本「チャーミーグリーンに挑む(2018年5月18日の出産に向けたお気持ち準備号)」に収録したものです。現在、本の続編として育児エッセイ「こうしておれは父になる(のか)」をcakesで連載中です!

 2017年9月。「大切なお知らせ」というLINEのメッセージが、交際2ヶ月になる彼女から届いた。ヲタ素養のある彼女らしいイントロやないかと思っていたら、続けざまに写真が送られてきた。青い線の入った検査薬だ。

 「妊娠したかもしれない」

 思えば35年も思い立ったが吉日おじさんやらせていただいた関係で、急に何かを始めたり舞い込んだチャンスに乗ったりということばかりしてきた。だから7月にいきなり彼女ができて「愛が芽生えたJuly!」と心のうちに叫んだことも、そのまま夏はフェスシーズンを謳歌せんと様々なイベントに行き尽くしたことも想定内。その日々があまりにもスムーズで相性よさそうだから、9月に決めた引越し先を彼女の家にさせてもらっていた。LINEを受け取ったのは引越し日も決め、Xデーに向けてダンボールだらけの部屋で過ごしながら使わなさそうなものをFacebook経由で友人にあげまくってたタイミング。引越しのちょうど1週間前である。

 LINEに「おおーーーー!!!!」と返した。とりあえずレスした。

 毎日、色々なことが私を感動させてくれてるけど、今回は威力がずいぶん違った。景色や音楽、メシで味わったことのない類のすごいやつ。だってLINE画面を見た目から神経だか血管だかをジュッと音を立てるなどしてわかりやすく何かが体中を走ったんですよ。トムとジェリーが全身に波打つようにしびれるアレのまんま。もう腰あたりは力が入らなくって、ちんちんも生えてないような感覚に陥った。素敵な人を相手にウェーイ言うて付き合ったのに、初めての共同作業、子供!最高のパートナー、完全優勝の結果、おれもきみも優勝だと叫びたくなった。
 でも実際は叫ばない。正確には叫べなかった。なんてったって常識的に考えて時期が早い。相手のLINEは明らかな戸惑いが行間に座っていたし、自分も感動してからすぐ「彼女の人生を大きく揺さぶってしまった」と罪悪感にも似た気持ちになった。付き合ってすぐに「この人しか」みたいな気持ちになったのは僕で、いつこうなってもおかしくないことばかりしていたわけだし、願ってもいたし、そうなったらうれしいと告げてもいて、心構えもしていたつもりだった。それでも、本当に無責任だけど「急に来すぎ!」と思った。
 23時を過ぎていた。Yahoo!時刻表で電車を検索する。駅まで徒歩13分で、終電は13分後。ギリギリのタイミングだけど、この日はどうしてもと自宅を出て彼女の家に向かう。ずいぶん雑なTシャツにストライプ柄のパジャマ短パン姿、荒れた髪を隠すべく目に入ったウール地のベースボールキャップをかぶり、サンダル爆走。9月といえどまったくもって夏で、おかげさまで1分前に乗れたものの車内で汁びっしょりになった。もちろん「そんなん知るかい」の気分だったが、荻窪から中野くらいまできてようやく短パンの股間が開いてることに気付き、そこでようやく落ち着いてしっかり恥ずかしがった。

 「こんなに電車は揺れるんだな、こんなに電車は速いんだな」と感想を息継ぎに「会ったら何を話そう」「どんな顔するだろう」を車内で繰り返す。「あったらいいな」が秒で来るとさすがにビビることがわかった。しかもそれは人様を巻き込むわけで。

 小一時間して彼女の最寄り駅に到着。湯あたりしたようにのぼせた気持ちで、早足で家まで向かう。行きしなにスーパーがあったのでお茶菓子でもと入った。や、こういうときはすっぱいものっていうな、よし果物がいいな!こういうときはそう果物!それも一番いいやつにしよう、今時期ならばシャインマスカットだな。待てよ?シャインマスカットって妊婦に大丈夫なのか?すぐ気になってスマホに「シャインマスカット 妊婦」と入力。そして画面いっぱいに映ったのは「シャインマスカットは妊婦でも平気?気になって調べてみました!」的な三流キュレーションサイトだった。丁寧な口調のコピペ文が「いいとも言えるし悪いとも言えるよ!」と冗長な関連リンクを流し込んできた。地獄かよ!
 このときようやくインターネットを居場所にして甘んじてきた自分が恥ずかしくなった。これからご新規の生命体というとんでもないオフ会が始まるというのに、クソ盛り情報にパケットを喰ってる時間なんてまったくの不要だ。負けたような気分でシャインマスカット980円を手に、再び彼女の住む家に急ぐ。

 道すがら、通り過ぎた児童公園にイキった高校生がたむろするのを横目に見る。ベンチの下にはこれ見よがしにローソンの袋やらなんやらが捨てられ、さすが***区、ガラがよくない。のだけれど、彼らを見てふいに「いつか自分の子もあの子らみたくなって、そのときなんて言うんだろうなー」という言葉が自然に浮かび、自分ごとながらびっくりしてしまった。おもむろがすぎて、自分自身に「ちょっと待って今なんつった」と突っ込んだ。もうそのモードかよと。
 この公園に来るまで、いろんな感情がひしめいて、自分の気持ちを代表しようとトップ争いを繰り広げてきた。けれど、そのヤカラ君のところにたどり着いて、ようやくセンターに「うれしい」が就任できた。そしてぱっと明るくなった視界の前を、さっきのイキリのひとりがノーヘル原チャで追い抜いてローソンへと向かう。私は迷わず「元気に育てよ!」と送り出していた。

 もらいたての合鍵で家に上がり、彼女のいる寝室へ。ベッドでiPhoneを触っていた彼女に「わっやっぱこの人の顔面はかわいくて好きだな!」と唐突に思ったが、彼女は僕を見るなり「はは」と口だけ軽く笑ってみせるのですぐさま本題モードに切り替わった。沸点が低く笑い上戸の彼女だったが、いつもの笑顔とは違い「なんだかすごいことになったよね」と驚きを混ぜた、実に味わい深い顔をしていた。
 一呼吸して口から「うん」という言葉が出て、相手も「…うん」と言う。この言葉には「喜んでいいことだよね?」「です、よね?」が込められていたに違いない。今にしてみれば僕らの気持ちは一致していたわけだけど、その瞬間は恐る恐るというか、もし気持ちが違っていたときの絶望感を必要以上に怯えていたような気持ちだった。少しずつ「いやあ、すごいことになりましたね」「これはうれしい…」と探り探りにいう感想戦を始め、安心を築いていく営みがゆっくりと練られていった。その構築作業の途中でどうにもたまらなくなり、彼女を抱きしめたわけだけど、そのときも「強すぎると子供つぶれっかな」と心配した。そういえばどれぐらいでかいんだっけなというのも知らなかった。

 突然だった。彼女が「わあっ!!」とすっとんきょうに叫んだ。首だけ後ろに向けた先は確かに面白くて、さっぱり鮮やかに若草色したカマキリが、天井からゆっくりと舞い降りてきてた。カマキリ、どこから。出逢って4秒で羽を広げてバッチバチの臨戦態勢になった生き物はおれたちの動揺なんてまったく配慮しない。BOSEスピーカーの上で無敵を宣言する彼をしばらく見たのち、ようやくこちらも気持ちが着地して「こんなことってある?!」とゲラゲラ笑った。
 指を適度にしばかれながらも窓の外にカマキリをぽいっと投げ、落ち着きを取り戻しながら病院に行こうと話し合った。よろしくお願いします。こちらこそ。こうして僕らはカップルから次の段階へとコマを進めた。

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