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フジロック18を配信&現地で楽しんでおれ見つけたんだ最高の夏ってやつ

フジロックが今年も盛況に終わった。ディランにケンドリック・ラマーというヘッドライナーのコントラストとか、キューバやグラストンベリーフェスティバルからお楽しみ要素がやってきたとか、あと台風攻撃とかYouTube配信とか…苗場開催20回目のアニバーサリータグ以上にいろんなトピックがひしめいた1年になったと思う。

トピック満載といえば、初回から毎年欠かすことなくフジで7月最終週末を過ごした私自身もそう。再婚&出産を経たことで当初「さすがに今年は」と覚悟し、SMASH日高正博社長のコメント録りでその意思を伝えたら「じゃあ出禁な!」という恒例のハイコンテクストな励ましをいただくなどもしていた。

しかし、そんな私の頬をWeb配信決定という優しい風がくすぐる。おかげで当日は「新しい過ごし方!」とハシャぎながら金土を妻子と過ごすことができたし、なんと最終日には大変素晴らしいパートナーから「行っといで」と送り出される形で単身現地に足を運ぶ結果に。おう、なんだかんだでものすごく多角的な楽しみ方しちゃった素晴らしい1年になった。

現地のお前らより最高の夏にしたかったんだ

木曜日から振り返る。

フジロッカー多めのTLなので、フジロック期間はいつもこの日から十分うるさい。Twitterにはテント張り報告やアフタヌーンティー乾杯写真が上がり、普段はメシ写真が中心な典型的オーバー30の我がインスタTLだって大自然フォトに染まっていく。私はそれらを見ながら、例年のように「同じ国で起きていることなのか…?地球、意外と広い…?」みたいなことを東京のうだる暑さの中で考える的な前夜祭を楽しむつもりで構えていた。だがその夜、別室で乳をやってた妻がこんなLINEを送ってくるもんだから、いきなり優勝してしまった。

授乳に追われてフジロックに行けない彼女なりに悔しさを抱いていたのだろう、配信観ながらフジロックにちなんだフェスご飯喰おうぜ、というご提案である。推せる。

そんなもんだで日付も変わろうかってタイミングでおれまで「1曲目からSEE OFFがきた」みたいなテンションになり、深夜もやってる隣町の肉のハナマサまでチャリを漕いでラムチョップと冷凍ピザを購入して万全のフェス装備してみせた。前夜祭で酔っ払った報告をしているTLのおまえらに、おれたちは負けない。

金曜日。溜まっていた代休を潰す形でAMから優雅にフェスを楽しむ。テレビ横にノートパソコンを置き、フジロックYouTube配信の2チャンネルをデュアル視聴。ほらもうこの時点で勝ちー。

グリーンステージ1番手のMONGOL 800が「ほら あなたにとって 大事な人ほど すぐそばにいるよ」とか言ってる。そうなんだよキヨサク、おれフジロックめちゃくちゃ好きだけど、それをかけがえない生後2ヶ月の子供と一緒に観れてるんだ、テクノロジーが二股を許すのやばくない?

2ヶ月児なんてぶっちゃけテレビ画面どころか音楽すら知覚できてない童貞だけど、彼への身体的ダメージを最小限にして地獄環境のフジロックを楽しめるだなんて、どうしたっておれたち優勝だ。そんな満足感をスパイスに、並ばず楽しめる苗場食堂きりざいめし()を楽しみながらフジロック本番入りです。

ミツメの清涼感やエレファントカシマシの高揚感、授乳しながらライブを観る妻の満足感など、自宅は完全に祝祭空間。縦横無尽にフジロック楽しむことができて…よかったです!ほんと「エスパー」超いい曲!

別モノ、かつ最高のフェス

数年前にTAICOCLUB主催者の安澤太郎さんにインタビューしたとき、彼が「フェスの配信はやらないですね」と話していたのを思い出す。

アーリーバード方式や仮想通貨決済など、フェス運営に新しい試みをどんどん盛り込んで日本のフェスシーンの進歩に貢献した(と個人的には思っている)タイコの主ですら、海外では流行どころか定着の兆しがあったライブ配信を採用しなかった。「やっぱりライブを観るというだけでなく、その場所でいろいろなことを感じてこそのフェスですから」という理由からだ。

そんな彼の意見に膝を叩いて過ごしてきた現場派だったが、過去には「不自由を楽しめ」と呼びかけていたフジロック様がまさかまさかの配信を試みたおかげで(せいで)、私は別の観る以外の楽しみ方を見つけることに成功してしまった。

この日私は代休を取りつつも、オンラインで会議にオブザーバー参加できたし(強制ではない)、この週末限定開催だった(しかもフジロック会場では手続きができなかった模様)ポケモンGOのキャンペーンにも参加して限定ポケモンゲットだぜと現実を完食。そしてひとたび画面に戻れば、そこはステージ移動も混雑もいらず、適切な音量で楽しめる自宅フェス(しかも巻き戻し再生が可能っていう!)。だいぶ心地いいね!

もちろんフェスは現実から解放されてこそという意見が大多数でしょう結構結構です。配信では都合上観られないアクトたくさんいたし、クソリプ国際大会のようなコメント欄にうへえと思ったこともあった。しかしながら、慣れ親しんだ苗場スキー場ではなくとも、観ているものはちゃんとフジロックだったよ。現実をはべらせて安全地帯でフジロックを楽しむ(年がたまにある)のも、悪くない。悪くはなかったです。

配信でもしっかり刺さったライブ

昔から名演の多さに定評のあるフジロック。それらは最前の柵で潰されながらでも、グリーン奥側の斜面に寝そべりながら観ても等しくオーディエンスをぶちのめしてくれる。

しかし今年、まさか会場にいなくても同じ気持ちになれるなんて思わなかったっすわ。

「MOTHER 2」の映像を流しながらハンドメイド感の親しみあるパフォーマンスをしたMac DeMarco、ズルすぎる選曲でファレルたちのにぎやか引き出しをお披露目してくれたN.E.R.Dなど初日もそれぞれよかったけど、個人的に印象に残ったライブは2日目に集中してた。

私の人生初オールスタンディングライブアクトであるASH。彼らは今回も懐かしさまじりの甘酸っぱい選曲でトバしてくれた。配信ステージは幸いビンの持ち込み制限がないため、泡をポーンと空ける。そこへASHの3人はどんどんどんどんあの曲この曲と演るじゃんか。もう全然記憶無くすよね。

3人の大満足劇場で完全にバンベビバーンしてしまったけれど、次はハンバートハンバートなのでとチャンネルを切り替える。ステージ移動ゼロってラクよね―と思ったけれど、変えた瞬間に行われていたのは夫婦漫談で「なんだこれw」と笑った。とか言ってたらおもむろに彼らもグッドチューン満載セトリである。告白するとおれはハンバートが恋愛の歌をやめて所帯じみたワーク・ソング方向に進み出してから全っ然、もうまったく聴いてなかった。でも今!おれは(以下、記憶はないけどあとで妻のカメラロール見たらさめざめ泣いてた)。

そしてSkrillexは、というかYOSHIKI from X JAPANはもう言うことなしでございましたね。シークレットのくせに事前予告しちゃってYouTube公式やフジロック公式がアナウンスせざるをえない状況にさせる振りまわし大物役者感!当日もピアノが搬入される様子などをTwitterで知るなど、ある程度の臨場感をSNSと有志の発信力で補完できてしまうから、こっちはもういまや遅しと画面をにらむしかないじゃん!

苗場であんなパフォーマンスをしでかして、SMASHの人たちがどんな気持ちでいたのか猛烈に知りたいです。

いいライブをありがとう。いいライブを配信してくれてありがとう。ケンドリック・ラマー観てないのをなかったことにはできんけど、人生ってそういうもんだから概ね満足している。

あと、なんかもうテンションがブチ上がって家にあるガジェット全部でサカナクション観たのもなんかもうヤケクソで最高の夏!っていう気概がおれから感じられてよかった。今思うと別に何も勝ててないんだけど、みんな違ってみんなE-girlsだぜばかやろう。

そしてフジロックには「猫も連れていこう好きにやればいい」だなんて普通言えないから、アイツ的にもいい経験になったはずだ。

いざゆかん24時間の苗場現地視察

2日間かけて自宅でできるフジロック仕草全部カマして迎えた日曜日。授乳をしなきゃいけない妻と首の座っていない子供を留守番させ、私は早朝5時から車を飛ばした。現地入りである。

事前にキャンプサイトが台風クライシスというのはSNSで見てた。聞くところによればキャンプサイトのテント約3割が全半壊の憂き目にあったというが実際はどうでしたか皆さん。みんなそれぞれの朝を迎えたけれど、自分も興奮して寝れてない状態で車を苗場まで走らせたのはなかなか命知らずのハードコア旅情でした。3時間くらいしか寝てないわー。

友人と、Twitterでコンタクトしてきた人を都内でピックアップし、車中でMISIA予習にSpotifyランク見たらスローバラードしかなくて震えたり、ボブ・ディランのライブアレンジ原曲無視問題に対面したりを楽しみながら、意外とスムーズに3時間ドライブが終わる。

到着即乾杯!っていこうとしたら即ゲリラ豪雨。トレッキングシューズの中敷きをグショグショにして、生ぬるいハイネケンを水割りにしてしまう。さすが!フジロックはこうでなくちゃいけない。つうかクソ眠いし、つうかクソ眠い。っしゃオラーフジロック開幕だ。

タイムテーブルを知らない子供たち

金土でいたれりつくせりのフジロックを楽しんだので、最終日はなるべくとびっきりの挑戦とともに楽しみたかった。

で、今年はもうギリギリまで行く気なかったので情報が「ceroとMISIAとディラン出る日」しかなかったのを幸いに、私はタイムカード一切観ないでいこうという方針で挑んでみた。

おぼつかない意識、降ったりやんだりの雨、歴代最強のスタートになりそうなコンディションの中、まずはグリーンステージ最初の出音として恒例である忌野清志郎「田舎へ行こう! ~Going Up The Country~」を全身で味わう。もう30代も後半になると、若者の生演奏よりいにしえの音源で肉体記憶を躍らせたほうが満足できたりするけん。

そのまま和太鼓でテックハウスマナーのバトゥカーダ・ハポネサをぶつける鼓童のパフォーマンスを楽しんでいたが、早々と体力が…ってときに再びのゲリラ豪雨まで来たので雨宿り。すると「ホワイトステージで裸のバンドマンが変なとこでライブしてる!」ってインターネット友達が騒いでたので、急いでホワイトに向かう。到着直前に終了。ウケる。

落胆しつつ「そういえば友人と立ち話していたときに『今日ベンジー出る』言うてたな」とホワイトからレッドへ向かった。よたよたとレッドに向かったらLEO IMAIがやってた。今井〜浅井ちゃうやん〜〜〜。そうだったね、話をした友人は「ご飯を食べにオアシスエリアに行って、そのあとベンジー」としか言ってないな、おれの早とちりだな。ごめんな。

この時点でもう体が無理を主張してきたのでワールドレストランのあたりで横になり、悔しいからベンジーは配信で観た。スカンクやるやん自分😭😭😭😭

なんでフジロックまできてこんなつまんないコメント観てる?と思いながらもしっかりと樹の下で惰眠を貪り、何度目かのゲリラ豪雨を見届けたあとで奥地を目指した。

グリーンを越えたあたりで、一般人が歌う下手くそなビートルズが届いた。

あ、キッズエリア!

そうか、通路から見えるシーソーやメリーゴーランドだけじゃないんだな、このエリア…!第一子誕生を経て、木工ワークショップにボディペイント、そして休憩室…毎年こうしてフジロックに来ていたが、キッズエリアをちゃんと視察してわかるその懐深さときたら!ここはフジロックということを無視しても立派なランド感あって素晴らしいじゃないか!絶対に来年は子供を連れてこようと誓った。22回目にして初めてフジロックのいちエリアに気づいたのであった。

フジロックこうでなくっちゃと言うヲタ心理

その後、タイムテーブルなしのせいで順調にちょいちょいアクトを見逃したり、友人と会えないので(いないので)カフェパリのキャバレーお姉さんタイムに足が向かなかったりしながら、私は会場を練り歩いて過ごした。その中で「苗場アニバーサリー記念でグラストからサーカスが来日!」と鳴り物入りで告知され(私も加担した)楽しみにしていた元オレンジコートのアンフェアグラウンドがショボかったのは、まあきっと台風で色々壊れたからだろう。

いささか肩透かしをくらいながら、そのままオレンジコートの悲惨な足元に目を向け、押し寄せるは懐かしさと安心感。ああ、フジロックが過酷であることはどうしてこうも楽しいのか…!

こじらせた天気、ぬかるんだ地面、気にしてない参加者。こういうフリークな情景を楽しめるようになったのは、配信ではリーチできなかったものに体が触れ喜んでいるからかしら。そう、ステージ袖とかの何気ない景色だってどうにも楽しいし。

あと、そもそも逆境に揉まれながら生じる快感は、毎年そういうものを喰らわされてきたことによって我が身がどんどん開発されていったからでもあろうよ。

そうだよ。「行儀よく生やさしいものじゃなくったって楽しい、いや、そうでないことのほうが楽しめる」という、自分が高校生のときから大切にしている「楽しみ方」の土台は、やはりフジロックで培われたものだよなと再確認する。

ありがとう苗場!また来年会おうぜ!

曲ごとに背景映像でいろんな海をご紹介していくジャック・ジョンソン、JTNC布陣の上で声の底力を見せつけたMISIA、音作りが丁寧だけど原曲特定はクイズ並の高難度というボブDなどを楽しんで、彼らのために現地入りしたと言っても過言ではないceroに。

彼らのステージングもしっかりYouTube中継されていたようだが、私はそこに映らないものも身をもって味わえたと思う。彼らがいつの間にかまとっていた迫力を忠実に再現するようなスモークのうねりを、ホワイトステージを包む夏虫の音を、彼らを驚きと歓迎で迎える客席の様子を、そして、「街の報せ」でなぜだか嗚咽してしまう私自身を。ceroの好演に立ち会えたよろこびは疲れをふっとばした。

それから初対面となる台風クラブに血液を沸騰させ、グレン・ミラーやチャーチズをやんわり横目にし、CHAIとSPANK HAPPYもつまみぐいするフェスしぐさで会場をあとにする。野生の駐車場が24時区切りで2000円なので「25時撤収は失敗したなー」と思いつつ、よたよたの体で車に荷物を詰める。ネットで出会った同乗者が家庭の事情で帰路に同乗しないという私の運転の気まずさがこんな形になって出たねと切なくなりつつ、完徹の往復セルフ運転はマジ意識飛びそうになった(みんな寝てたから気づいてなかっただろうセーフ)けど、結果的になんとか東京の街に出てきました。

ガソリンスタンドで「あ、フジでサイフ落としたわ」と相変わらずわけのわからないことを言ってましたが、これにて私のフジロック終了です。

世界でもっともクリーンだったフェスあと78回続け

今年もフジロックはその批評性をもって実に有意義でコンテンツフルなフェスティバルでした(常見陽平さん今年も行かなかったのにまた記事にしてたし)。

ポイントのひとつである配信、その是非は公式マップに加工した以下の画像をもって答えとしたい。黒塗りが配信対象、赤がそれ以外、残りは会場敷地。いっぱいあるんですよ中に。フジロックていうのは本当にいっぱいあるんです。

フジロックの配信4ステージですべて味わった気でいる人、すごくもったいないことをしている。出演者が思わず木々に感謝するくらい、会場環境のすべてが意味を持つ何かの装置といっても過言じゃないのがフジなんだよ。うちの子みたいに自分で歩けないとか、妻みたいに授乳でとても家を離れられないって人以外で金と体力がある人は極力来たほうがいいです。過酷だけど、きっと面白いこといっぱいある。

そう、過酷と言えば一部で話題になったこのツイート。

「こんなにみんながルールを守らないフェスは見たことないだなんて、褒め言葉じゃん」と言う友達を相変わらずバカくさくて愛しいなと思ったけど、それはさておき自分もフジロックで「うわっ」と思うようなことはここ10年くらいで増えたなーとは思っている(あとほぼとばっちりでプロップス下げてるヘリノックスかわいそうだとも)。

世界一綺麗だったフェスのこの“変化”に対し、鈴木梢(あこ)さんが初参加だからそう感じるとか、参加する層が変わってきたからそうなってるってのは確かに一理ある。だからといって過去にソニック・ユースとかパティ・スミスとかコールドプレイが「やんだー世界一美しい!ビューティフルフェスティバルビューティフルピープルだわ!」と言ったの真に受けて昔の参加者とかが「昔は良かったのにねえ」と言うほど全員ピュアだったからというわけでは決してない。これについて知っていることを書きたい。

初回の1997年の台風クライシスを受けて、意識朦朧とした我々は会場の天神山スキー場を無茶苦茶にした。その結果、SMASHは翌年以降の利用許可もらえなかったり悪評から他会場が使えなかったりというのを聞いて反省した過去がある。

初期フジの公式サイトには日高社長の日記があって、そういった場所探しの難などが赤裸々に書かれていた。そして当時の公式サイトにはBBSがあり、今で言うフジロッカーがその場所で「自分たちの居場所を失う」という危機感をしっかりとシェアした。約2万の教室の隅マンにとってこれは他人事ではなく、自分も漏れずその1人だ。だから初期の人たちはあくまで自己防衛のために会場をクリーンにしただけであって、「良識あった」で片付けるにはなまぐさすぎるんじゃないのって思う。

あと、別にフジロック運営がマナー悪化を懸念していたのは今年に始まったことじゃない。

中央は2007年のフジロックのタイムカード裏面、ちなみにこれ撮ったのは自分。2006年の終演後グリーンがだいぶ散らかってたので撮った。二次利用のギャラください。

こういう采配もそうだし、別の年にはこっちがFUJIROCK EXPRESSリアルタイムレポサイトで記事を書きながら「フジロック最高!」的なことを言い続けてたら、SMASH石飛氏から「明るい面だけでなく、そうじゃないひどいところも余すところなく紹介してほしい」とリクエストを受けるなど、フジロックは常に(特に悪天候に見舞われた開催年)はヒトのダメさで割りを食って危機感あった。あとクリーン系ボランティアも当時より少なくなってるとか、ドッペ某みたいな安テントが蔓延してカジュアルに捨てられるとか、色んな要素がある。

悪くなったというより、そういうものって気がしている。

これに対して、個人的には「まあ次回開催に耐えられる程度によろしくやってほしい」というのが本音だ。あと歩きタバコの人がうっかり川に落ちたり、ヘリノックス掲げマンが落雷に見舞われたり、深夜レッドマーキー後方で雨宿り椅子してる人の裏アカが会社にバレたりすればいいのにってのもある。

めちゃくちゃ利己的な考え方だけど、マナーが悪いからルールを整備しろというのはナンセンス。それだったらフジロックは中継だけで楽しくやろうじゃないかって感じだ。

こういう感じ。美は乱調にありですよ。どうしていいかわからない中でこそ人は面白い方向に引き寄せられ、なかなかどうしてそれが後の記憶として刻まれがちだ。ゴミ捨てられてて気になるなら自分で拾うみたく、なんかあれば自分でなんとかしたらってことでいいかなと思う。あとヘリノックス掲げる人の不幸を心から祈るとか。

繰り返すけど、フジロックは過酷で無法で、しかしそれによって自由な場所であってほしい。そんなバランスを保つのが自主性というやつで、それは来年の悪影響につながるというのを避ける程度には機能する、そんなプリミティブなおこないの場所であればいいなあ。

フジロックよ、どうか100年続いてほしい。そのためには、そのためにだけ私はなんでもする。それだけです。

ということでここまで長々と書いてきたけれど、「最高の夏は作れる」というのを改めて痛感できたフジロック18でした。

そうそう。フジロックでなくしたサイフは翌週に戻ってきたんだ。一昨年はバイク故障してTwitterのフォロワーさんに会場まで乗せていってもらって、その前の年はバイク故障してインターネット友達に会場まで乗せていってもらって。いやはやフジロックには人の温かさがあります。

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