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2024/05/12 『あなたの写真を拝見します』より その3

「見える」と「見る」

私たちが日ごろ目にしているすべては、既に「かたち」を持って広がっている。ややもすると、その「かたち」こそがそのものの本質だと思ってしまう。けれども、撮るために見るということは、その「かたち」を見ることではなく「かたち」の奥にある概念を見ることなのである。

安友志乃 著 『あなたの写真を拝見します』

「見る」ということと「考える」ということは同義語である。「見る」ことは「考える」ことなのである。ものを表そうとするならなおのこと、漫然とものの表面を見ているだけははじまらない。

安友志乃 著 『あなたの写真を拝見します』

見えているから見ているとはかぎらない

安友志乃 著 『あなたの写真を拝見します』

見えるということは相手本位だけれども、見るということにおいて主体となるのは、あきらかに自分自身なのである。

安友志乃 著 『あなたの写真を拝見します』

撮影会などに参加して一緒に歩いたとしても、私とあなたで、同じ写真にはならない。それは技術の差によるものではない。目には映っていても、心(脳ともいえる)に届かなければ、自分の写真にはならない。

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