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『在りたいじぶん』にフォーカスをする



最近考えていたこと

ここ最近、頭の片隅でわたし自身にずっと
問いかけていたことがあります
それは、”わたしはどう在りたい?”
これは、わたしが以前何年も好きで
アメブロを読んでいたchieちゃんを
ここ何年か読んでいなくて
久しぶりに見たらInstagramもやっていらして
そのInstagramでの投稿を見てから

わたしはchieちゃんが
(知り合いでもないのに
なぜかそう呼んでしまう、笑)
発信されることが好きで
いつも心に大切にしまっておきたいなぁと
思うことばかり

Instagramの投稿の中で
(インスタライブのアーカイブ)
”押し寄せの法則”というのがあって
なんだろう…と思って見たのがきっかけ

引き寄せを越える押し寄せの法則

chieちゃんが伝えてくれていたのは
ざっくりお伝えすると
今まで浸透してきている”引き寄せの法則”は
スピリチュアルの基礎だから
そこも大事なんだけど

引き寄せは、じぶんの気分であったり
思考を良くしていくことで
引き寄せたり、
じぶんの気持ちに従うというもの

そうなると、じぶんの気分や思考に
左右されたり
じぶんの気持ちがわからない時もあったりで
軸がブレるというか
一貫性や持続性がないということが
起きやすいと話されていて…

いやぁ、ほんとうにそうで
わたしもタロットはやっていますが
人間なので感情もあるし
以前よりコントロールできるようには
なってきたし
切り替えも早くなったのですが
わたし、客観的に見れてないな
感情で動きそうだなっていう時が
あります

そんなじぶんから
どうやったら抜けられるかな…と
思っていたじぶんと
ふとchieちゃんのことを
思い出して
Instagramにたどり着いたところで
答えを見つけられたようで
嬉しかったです

押し寄せの法則は後からついてきたらいいな~って感覚

押し寄せの法則ってなに?って
ことから投稿を見ていたのですが
押し寄せの法則は、”じぶんの在り方”を考えるというもの

どうなるか よりも どう在るか
どうしたいか よりも どう在りたいか

ブレがないんです

このまま ここでやり続けることはいいのかな?
この人と一緒に関係を続けていくことはいいのかな?
そうした出来事などにぶつかったときに
気分で決めるとコロコロその時によって変わるし
白黒つけられなかったり、
じぶんの気持ちがわからないことだってある

けれど
”じぶんの在り方”が決まっていれば
こう在りたいということがあれば
そこに従うだけ
こう在りたいというのがあれば
向かう道は決まってくる

どうしたいか…は置いておいて
どう在りたいか…
この違いがわたし自身を
大きく変えていくなって思ったんです

押し寄せの法則はきてくれたら
嬉しいけれど
chieちゃんの話を聴いていたら
わたしってどう在りたいと
思っているのかな?って
考え始めていました

自問自答しながら固めていく

そこからわたしは常に頭の片隅で
考えていました
”わたしってどう在りたいんだろう?”
どうなりたいかは
考えてきたけれど
どう在りたいかって考えたことなかったなぁって

~かな?○○かな?
ううん、○△かな?
いや、□□かもしれない
こんな日々が続き、毎日運動している間も
わたしってどう在りたい?
□□って思ってるけど本当にそうなの?
など、出てきたことに対しても
ほんとうにそうなのか?
起きてから寝る直前まで
ふと気がつくとそこへ
意識がフォーカスしていました

chieちゃんの投稿を見てから
”じぶんの本質” ”圧倒的なじぶん”を
ちょっと考えてみてっていうような
記事であったり動画を立て続けに
見たから余計意識が向いていたのかもしれません

愛を渡せる人、渡し続けられる人で在りたい

今のわたしが在りたいのは
『愛を渡せる人、渡し続けられる人で在りたい』
そこに行き着きました
これからまた変わっていくかもしれません
けれど
わたしが向かいたいのは
在りたい姿なのは
愛を渡せる人、渡し続けられる人で在りたい

在りたい姿っていうのは
どういうじぶんが好きかっていう
ところにもつながってくるので
こんなじぶんでいれたら
今よりも
もっとじぶんを好きになれるなって
思います😊

わたしはベビーシッターだけではなく
ベビーシッターを通して
子どもたちのメンタル的な部分での
支えになりたい
あのとき、無条件で信頼してくれた
信じてくれた人がいたから
じぶんを信じてやってこれたし
わたしもそんな存在の人になりたいって
思っていたから

例え、急に態度が変わった知り合いがいても
1週間以上連絡の取れなくなった
クライアントさんがいても
飲食店の店員さんが無愛想だったとしても
わたしは
愛を渡し続けられる人で在りたいです

それが赦しであっても
手放しであっても
時にはその人にとって
苦言であったとしても
わたしが愛だと感じる形で
愛を渡していきたいです

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