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『Nothing But The Blues』深掘り①


1994年11月。
アメリカ・サンフランシスコ フィルモアで行われたクラプトンの原点(ルーツ)であるブルース・ソングを中心にプレイしたライブ・ドキュメンタリーが『Nothing But The Blues(ナッシング・バット・ザ・ブルース)』


クラプトンのルーツ・ミュージックである“ブルース(Blues)”

その音楽に、対する想いと情熱が感じ取れる映像作品です。


この作品は、
もともと1995年にアメリカ🇺🇸のPBS(アメリカの公共放送)でテレビ映画として制作されたもので。

日本では、たしかWOWOWで放送されインタビュー部分も字幕がついて放送されたと思います。

エミー賞にノミネートされた、この作品は、どのようにして制作されたのでしょうか?

この『Nothing But The Blues』を、深掘りしていこうと思います❗️


⚫️MTVアンプラグドから始まった原点回帰とライブ・パフォーマンスの変化

1992年。
MTVネットワークスで放送されている番組『MTVアンプラグド』に出演したクラプトンは、この番組出演を機に、自身の音楽のルーツを改めて見つめ直す一つのキッカケとなった。

翌年の1993年のグラミー賞で、
「アルバム・オブ・ザ・イヤー」「最優秀男性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞」「最優秀ロック賞」を受賞するまでになった大ヒットアルバム『Unplugged(アンプラグド〜アコースティック・クラプトン)』

亡き息子に捧げた代表作『Tears in Heaven(ティアーズ・イン・ヘブン)』
代表曲をアコースティック・バージョンにアレンジした『Layla(いとしのレイラ)』

その収録曲の半分は、古いブルースナンバー。

『Before You Accuse Me』
『Hey Hey』
『Nobody Knows You When You're Down and Out』
『Walking Blues』
『Alberta』
『San Francisco Bay Blues』
『Malted Milk』
『Rollin' and Tumblin'』
『Worried Life Blues』【※2013年に再発された完全版に収録されているアウト・テイク】

この“アンプラグド”で掴んだ自信が、翌年の1993年2月〜3月にかけて行われたロイヤル・アルバート・ホールでのショーで、初めて代表曲やオリジナルソングをやらない、全編ブルース・ソングでのライブ・パフォーマンスを行う。

この結果。
翌年に発表される全編ブルース・アルバム『From The Cradle(フロム・ザ・クレイドル)』と、1994年から95年まで行われたツアー(通称)『Nothing But The Blues』へと繋がってゆく。

93年10月。
11回目となる来日公演を、横浜・名古屋・福岡・大阪・東京 日本武道館で行った際、セットリストの半数がブルースソングでプレイしているのがセットリストで分かる。

翌94年のロイアル・アルバート・ホールでの計12公演(2月〜3月)に及ぶパフォーマンスも3分の2がブルースで占められるようになる。


⚫️全編ブルース・アルバムのリリース

このパフォーマンスを終えたあと(多分)アルバム『From The Cradle(フロム・ザ・クレイドル)』のレコーディングに入る。

「原点回帰」を念頭に、ラス・タイトルマンをプロデューサーに迎え、ほぼ一発撮り制作した全編ブルース・アルバムとして、94年9月にリリースされる。

クラプトン自身の音楽キャリアの中で、一つの通過点として制作された、このアルバムを機に、クラプトンのギタープレイが大きく変わる。

過去のブルースマンの音源を徹底的に追求し、ギタープレイを研究し、その音を求めて、クラプトン自らギターと歌で示していく姿が、このアルバムから深く聴き取れる。

このアルバムは、全米・全英でナンバーワンとなり、グラミー賞「ベスト・トラディショナル・ブルース・アルバム部門」を受賞するヒット作となる。


(『Motherless Child(マザーレス・チャイルド)』のミュージック・ビデオ)↓


(『Third Degree(サード・ディグリー)』1996年にパパロッティ&フレンズでのライブ・パフォーマンス)↓

(『Hoochie Coochie Man(フーチー・クーチー・マン)』1996年 イギリス🇬🇧ハイドパークでのライブ・パフォーマンス)↓


深掘りその②へつづく...


(おまけ)
【幻の17曲目としてアウト・テイクになった『Born Under The Bad Sign 』の音源を貼っておきます】

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