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正しいとは何か。

最近質問箱を始め、「質問きて嬉し〜」と思ってましたが、「運営からの質問をOFFにする」にチェックを入れたところ、ぱったりと質問が来なくなったおおきな木です。
#みんなからの質問・相談待ってるね

 さて今日は「正しい」について話しをしたいと思います。ちょっとまじめな、熱っぽい話しです。

 私は正しいことを正しく伝えることだけが教育だとは思っていません。確かに正しいことを教えるのは一見正しい感じがしますよね。

 しかし「正しいことを正しく教えることが正しい」ということは、世の中には「正しいこと」と「正しくないこと」の2択しか存在しないことになります。さらに「すべての事柄を正しいかどうか判断できる」ということになります。そんな世界なら裁判官は必要なく、自分達で正しい選択ができているはずですよね。正しくない方を罰すればいい。 

 世の中は無限の環境とその組み合わせでできているので、一つの正しさを説いたところで、その正しさ✖️場合でそれって正しいの?となります。

 例えば「暴力はいけない」という正しさがあります。基本的にはみなさんは暴力を振るわないでしょう。しかし、自分が何もしていなくても理不尽に暴力に巻き込まれることはありますよね。

 その時に暴力はいけないからと反撃をしない。逃げても捕まってしまうが、反撃はしない。ですとそのうち死にます。
 
ある程度の反撃なら「正当防衛」という暴力が「正しい」になります。暴力はダメ✖️理不尽な暴力を受ける=暴力は正しいです。

 暴力はいけないが正しいのに、その場合は暴力が正しくなる。しかし、暴力が正しいからと言って、過剰に反撃をすると「過剰防衛」といって暴力は正しくない。になります。

 でも、その人の視点では本当に命の危機を感じて、とっさの防衛手段だったが当たりどころが悪くて死なせてしまった。かもしれませんね。

可能性という意味では無限大です。

 ある表から見ると正しいが、裏から見ると正しくなかったりする。じゃ横から見ると?上から見ると?難しいですよね。

 だから教師は正しさだけを伝えるのではなく、「正しさとは何か」を伝えることが大事だと思います。

正しさだけを伝えられた子どもは「答え」を求めます。その背景にある多面的な思考は持たず、ただその限定的な一つの出来事の答えだけを知ります。この無量大数の問題すべての答えを教えることができる人がいるのか、一生のうちに学ぶことができるのか。無理ですよね。 

 だから「正しさとは何か」を伝え、自分なりに臨機応変に判断し動いていくしかないのです。「自分で考え自分で動く」これを教育していくことが大切だと、私は思います。


またね!

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