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生い立ち・・・


はじめまして(^^)
BIG UP Health & Performanceの大上達也と申します。
トレーナーという人の身体に携わる仕事をさせていただいております。

今日は僕がどんな人生を歩んできたかを少し書いてみたいと思います!

泣き虫"愛ちゃん"と比べられて

僕は元号が「昭和」から「平成」に変わってすぐの2月に"試される大地"でこの世に生を受けました。
生後9ヶ月で免疫系?の病気が発見され、小学校入学までは入退院を繰り返す生活だったようです。
…当の本人の僕はあまり覚えていないのですが、親は大変だったと思います。

小学校に入る頃には病気もだいぶ落ち着き、4年生からは野球を始めました。
スキーをやっていた父とバスケをやっていた母が、スイミングプールという職場で出会いできた子どもが野球をやるという謎。。
その後そんな野球は大学まで続けることになります。

小学生の頃、テレビには同い年の卓球の福原愛選手がよく出ており、低学年の時は泣いていたり、高学年・中学生になり様々な大会で活躍したり必死に練習する姿が映ると、体育会系の両親からは
「愛ちゃんはあんなに必死にやっているのに」とよく練習後にも関わらず怒られ、愛ちゃんが嫌いになった時期もありました!笑

"まーくん" vs. "ゆうちゃん"

高校でも野球をやっていた僕は2年生の時に地区予選を優勝し、先輩たちに北北海道大会に連れていってもらったものの、選手としてはパッとした成績は残せないまま高校野球を引退。
僕が高校に入った年、駒大苫小牧高校が甲子園初優勝、2年生の年に2連覇、3年生の年は同い年の駒苫の田中将大選手と早実の斎藤佑樹選手の決勝延長再試合があり、同じ北海道の高校の活躍は本当に感動したとともに自分自身のやりきれなかった感があり、高校野球の監督を目指し大学へ進学ことになりました。

同じクラスにいたヒーロー"航平くん"

大学進学後、指導者を目指しながらも自分の煮え切らない気持ちから硬式野球部に入部するも全国のレベルに圧倒され自身崩壊!笑
また大学1年生で肩の故障とイップスの発症により、選手としての限界を感じ硬式野球部を逃げるように退部しました。

その後、3年生になり教員採用試験に向け、1日約10時間の勉強を1年で300日以上という自分史上最高に勉強したもの4年生の際の教員採用試験に落ち凹みまくりました。。
そんな時うまくいかなかった大学時代の支えになったのは、同じクラスにいた内村航平選手です。

2年生の時に行われた北京オリンピックで団体・個人総合で銀メダルをとり、その後も日本のトップいや世界のトップを走り続けていました!
たまに話すぐらいで、ただ一緒に授業を受け、もう僕の顔も名前も覚えていないだろうけど、あんな選手と同じ時間を過ごせたのは人生の宝物です(^^)
欲を言うなら飲みにでもいきたいですね!

まだいたか…"リーチ"

卒業前に先輩から「将来教員になるなら他の仕事を経験しておいた方が生徒に伝えられることが増えるんじゃない?」とお声掛けいただき、自治体の健康増進施設へ非常勤職員として就職します。
そこで多くの市民の方から「〇〇が痛いんだけど、どうしたらいい?」などのたくさんの質問を受け、答えられない自分が情けなくなり、このことが身体のことを勉強し始めるきっかけとなりました!

そんなこんなで身体のことへの興味が止まらなくなり、どハマりして、その後トレーナーという職業を目指して様々な人に相談し、鍼灸の専門学校に入り、鍼灸・あまし&アスレティックトレーナーを目指し始めました。
そんな時、ラグビーW杯で日本の大躍進!そのキャプテンは10歳ぐらい年上に見えていた同い年のリーチマイケル選手!
本当にエネルギーをもらったのを今でも思い出します(^^)

今後・・・

こんな感じでトレーナーへの階段を登り始めて今に至るのですが、鍼灸の専門学校に進んだ僕が「なぜパフォーマンス向上のための指導をしているのか」などはまたの機会に書いていきたいと思います。

僕が「思っている様々なこと」や「運動についての考え」「好きなこと」など書きたいことをそして少しでも誰かのためになることを書いていこうと思います!

では!
BIG UP!!!

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