のて 62
マルチプレイに軽い憂いを
つくづく"向いてない"人間でやれやれのこんにちは。
去年末大きな深い穴底に落ちてからというものたくさんのことを考え諦めを繰り返し、1月も最終日だというのに未だその時にできた傷の痛みにマキロンを塗る生活をしています。
痛みに耐え続ける1ヶ月に疲れた頃合い、過敏に澄まされた感覚でふとキライなヒトの考えを理解してしまったことに、ひどく悲しみを覚え、眠れない日々の枕までとりあげられちゃいました。
元来他者の考えや価値観のちがいはスクラッチを削るみたいなたのしさと同等にたのしめちゃうガールなわたしでして、
すきスタートでよーいどん!な始まり相まり 苦手は多くともキライへの進出はなかなかない。自分の発想にない気づきをたのしみあうのがすきだから、だからこそ、明確に。
嗚呼 去年のバレンタイン時期だったなだとか、考えを整理するために 感情をむき出しに周りのすきんちゅたちに当たり散らさないように遮断したなだとか(迎えに来てくれたことも覚えていて悲しみを溶かすうれしさが散りばめられている)。
デパートの匂いに懐かしさまで。
何もかも少しずつ足りない空間で泣きながら布団に入ったことも覚えているし、こどもっぽすぎるのはわかっていて、でもどうしてもキライに慣れていないなと実感したな、だとか。
そんなある種の特別な人間のほんの少しに、
「たしかに選んだらきっと先は」
と納得してしまったことがひどく悲しいです。
必要ではないとは無情なもので、
たとえ誰に奪われたとて「まあ仕方ない」で処理される 「どこにもいかないでほしい」だなんて貪欲にほしがるには結局値しないということで、
スペアはいつだってどうにかなるということ。
"ヒト"は唯一無二だけど、"存在"なら別で埋められる程度のコトもままあるでしょうし、そもそもそのヒトにとって大きな役割を担っていなかったのかもしれなくて。
他人に"背負わせ"すぎることもよくないのは重々、でもどう考えてるかは二の次かけっこ一等賞で、瞬足かっこいいもんねとなる毎日だということです。
一生きらわれて憎まれてを引き換えに
すべてを丸く、自由にできたならと
いまできるわたしの精一杯、
これ以上みじめになりたくないを正当化。
"キライ"となんて絶対、絶対いやなのに。
頭から振りほどくのにつかれて
もういいかも、が過ぎるそんな晴れた日でした。
ここまで、わたしの脳内再生で、
すべては物語。
オカルト部門に置いてもらう予定の、たしかに、泣いてもなにも変わらないし。
自分で仕向けておいて、いっちょまえに傷ついて
おかわいいね、誰も彼も。
狐の嫁入りだ。
おわり
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