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ビッグバンドにおける保守と革新の二極化が見えてきた時代にあの鬼才が衝撃的にグラミーの舞台に登場する!?グラミー賞受賞ビッグバンドを年代別にみていく【80年代編】

はい、ビッグバンドファンです。今日はグラミー賞の「最優秀ジャズ大規模アンサンブル・アルバム賞」の歴代の受賞作について1980年代の受賞作について見ていきたいと思います。

1980年代のBig Band部門の受賞者

早速ですが1980年代の「Big Band」部門の受賞者を見て行きたいと思います。受賞者一覧は以下の通りです。

第22回(1980年) Duke Ellington at Fargo, 1940 Live | Duke Ellington
第23回(1981年) On the Road | Count Basie
第24回(1982年) Walk on the Water | Gerry Mulligan
第25回(1983年) Warm Breeze | Count Basie
第26回(1984年) All in Good Time | Rob McConnell
第27回(1985年) 88 Basie Street | Count Basie
第28回(1986年) The Cotton Club | Bob Wilber & John Barry
第29回(1987年) The Tonight Show Band with Doc Severinsen | Doc Severinsen
第30回(1988年) Digital Duke | Mercer Ellington
第31回(1989年) Bud and Bird | Gil Evans

まず目に入るのが、カウントベイシーですね。グラミー賞の履歴だけで見ると、60年代にダンス音楽部門で受賞はあったものの、以降は受賞という形では出てくることが無く、ビッグバンド部門の受賞はデューク・エリントンが続いている状態でした。それが74年にエリントンが亡くなり、77年にThe Ellington Suitesの受賞があったものの、翌年の78年にはPrime Timeでカウント・ベイシーがビッグバンド部門のグラミー賞を受賞すると、ここから80年代に入り81年にOn the Road、83年にWarm Breeze、85年に88 Basie Streetと立て続けに受賞となります。

80年代はビッグバンドにおける時代の節目

ところがそんなベイシーも84年に亡くなります。エリントンの10年後ですね。また、ウディ・ハーマンも87年に亡くなります。更にグラミーにはノミネートは続いていましたが結局存命中に受賞することはなく死後「功労賞」的に受賞となったバディ・リッチ、彼もハーマンと同じく87年に亡くなります。これによりデューク・エリントン、スタン・ケントン、スタン・ケントンも79年に亡くなっています、カウント・ベイシー、ウディ・ハーマン、バディ・リッチ、かつてビッグバンド隆盛の時代にはしのぎを削った巨人達、60年代に入ってからもそれぞれがそれぞれのスタンスでビッグバンドの可能性を感じながら音楽を作ってきたレジェンド、グラミー賞においてもそれぞれがそれぞれのタイミングで受賞した、この巨人達が皆この世を去った、これが80年代だということです。なので、以降はこの巨人達のレガシーをより忠実に継いでいくバンド、このレガシーを礎に更に先鋭的・発展的に進化をしていくバンド、レガシーを敢えて否定し別の形でビッグバンドの音楽性を追求していくバンド、等様々な形のビッグバンドが登場することになります。

グラミー受賞に見るビッグバンドの【保守的イメージ】

と、同時にこれはあえて悪く言えば、ビッグバンドというものの一般的なイメージが固定化されてきた時代ともいえます。というのも、この80年代の特にグラミー賞の受賞、ベイシーを中心に80年のエリントン名義「Duke Ellington at Fargo, 1940 Live」、86年のBob Wilber、87年のセバリンセン、88年これは後で話しますがエリントンの息子のマーサー・エリントン、これらは言ってしまえば「古き良きビッグバンドサウンド」というイメージをしっかり踏襲したサウンドのアルバムです。グラミー賞を音楽の表の面ととらえれば、この受賞はビッグバンドが表においてはこういうイメージのものをビッグバンドとする、そうした意識の表れのように思えます。

その証左はいくつかありますが、1つは80年の「Duke Ellington at Fargo, 1940 Live 」です。これはそもそもタイトルに「1940」と付いているように、1940年11月7日夜から8日の未明にかけてノースダコタ州ファーゴで行なったコンサートを、一般の音楽ファンが私的に録音した音源をまとめたアルバムというものです。つまり復古的なアルバムがこの年のグラミー賞を取ったということです。

次に考えるのが、80年代に活躍した他のビッグバンドの存在、そのサウンドの方向性です。3つのビッグバンドを取り上げてみます。

80年代注目のビッグバンド➀:Jaco Pastorius BigBand

1つ目に取り上げるのが、81年から83年の実質2年強の活動にとどまっていますがジャコ・パストリアスのビッグバンドです。

ジャコ・パストリアスとは、そのカリスマ性と卓越したベーステクニック、新規性、あらゆる面でジャズに限らず音楽シーンに衝撃を与えたドミニカの青年です。76年にデビューすると瞬く間に注目を集め、81年には自身のワードオブマウスというバンドにホーンセクションを加えたビッグバンドを結成します。ところがそんな才能溢れる青年も時代の荒波にもまれる中で次第に精神を病み、ついにはドラッグに手を出してしまい、ボロボロになりながら、なんと87年35歳の若さでこの世を去ってしまいます。そんなカリスマ、天才アーティストが80年代の音楽シーン、ジャズシーン、ビッグバンドシーンに強く影響を及ぼしたことは言うまでもないですが、実はグラミーにおいては、Birdlandがウェザーリポートでノミネートされているものの受賞には至らず、またデビュー作、1曲目のDonna Leeがあまりに衝撃的なあのアルバムですが、これもやはりノミネートはされているものの受賞には至っていませんし、ビッグバンドにいたってはノミネートもされていません。

80年代注目のビッグバンド➁:Mel Lewis Jazz Orchestra

2つ目に取り上げるのは78年にサド・ジョーンズがデンマークに引っ越して以降、メルルイスジャズオーケストラとして活動を続けていたサドメルバンドです。

80年代に入り、サド・ジョーンズが抜けたことでより気鋭・鬼才と呼ばれるコンポーザー、ジム・マクニーリーやボブ・ブルックマイヤー、ボブ・ミンツァーといった当時はまだ若手であったアーティストの楽曲を積極的に採用しアルバムをリリースしていましたが、グラミー賞においてはノミネートはされるものの受賞には至っていません。

80年代注目のビッグバンド➂:Toshiko Akiyoshi = Lew Tabackin BigBand

3つ目は、Toshiko Akiyoshi=Lew Tabackin・BigBandです。1974年、日本の能を取り入れた楽曲「孤軍」を引っさげて鮮烈なデビューを果たした穐吉さんのビッグバンドは、1976年にジャズアルバムオブザイヤーを獲得、ダウンビート誌の毎年恒例の読者投票で1978年から1982年まで連続でベストアレンジャー賞と作曲家賞を受賞という圧倒的な実績を誇るものの、グラミーには14回ノミネートされながら遂に受賞はありませんでした。

60年代後半~70年代前半のデューク・エリントンの【前衛】と80年代のベイシーの【伝統】の対比

今、あげた3つのビッグバンドはサウンド的にはいずれも今までのビッグバンドの発展形、場合によっては今までのビッグバンドのイメージを崩すような、そうした方向性を示しています。これが60年代後半~70年代前半であれば、デューク・エリントンがワールドミュージックを取り入れた作品で受賞したり、女王組曲を始めとした数々の組曲で受賞もしています。一般的に「前衛」と分類される「スウィング=ビッグバンド」の図式から外れた作品、ビッグバンドの音楽的可能性を追求した作品、これが評価されていたことを考えると、受賞の可能性があったのではないか?と思うのです。

68年、グラミー賞受賞作品「極東組曲」とノミネートもされなかった「Basie Straight Ahead」

また逆説的な話になりますが、後期ベイシーを語るうえで最も重要な作品「Basie Straight Ahead」、1968年にリリースされているこの作品はグラミーにおいてはノミネートもされていません。

なお、1968年のビッグバンド部門のグラミー賞はエリントンの「Far East Suite」、極東組曲です。

https://www.youtube.com/watch?v=jL2rORisKJ0&list=PLFc7_JS3cjtv39LXT3J4w174MqdTrs1qn

つまり、少なくともグラミーの歴史だけでいえば60年代後半はベイシーがStraight Aheadで示したようなサウンドより、エリントンが極東組曲で示したサウンドの方がビッグバンドとして表彰される対象にあったということです。これが80年代に入ると、メルやジャコ、穐吉さんが示すようなサウンドよりベイシーが示すサウンドの方がよりビッグバンド的であると評価するようになったわけです。

80年代全体としての「保守」傾向と89年の「革命」

こうしたことを総合すると、80年代のグラミー受賞の多くがベイシーに代表されるようなトラディショナルなサウンドを軸にしたビッグバンドである、この結果はグラミーがというより世の中がそのようなサウンドこそビッグバンドであると評価するようになった、それがグラミーの受賞にも表れた、そのように私は考えています。この認識の変化が「ベイシー的なものを正統派、それ以外のものは愛好家のもの」という流れを決定的にしたともいえます。そういう意味でこれも後で触れますが、89年のギル・エヴァンスの受賞、これは大きい話だと考えます。

マーサー・エリントンは親の七光りではない凄いヤツ

あと先程少々触れましたが、80年代においてもエリントンが2回グラミー賞を受賞しています。1つは1940年のデュークエリントンの録音集になりますが、もう一つはエリントンはエリントンでもマーサーとなっています。そう、マーサー・エリントン、彼はかのデューク・エリントンの息子です。日本でも見砂直照氏が東京キューバンボーイズを1949年に結成しましたが、1980年に一旦解散、その後1990年に直照氏自身が亡くなられ、その後2005年に息子の和照氏がリーダーとなって再結成、現在まで活動中という、父から息子にビッグバンドが引き継がれるという例がありますが、このマーサー・エリントンもまさに同じです。

エリントンが74年に亡くなった後、息子のマーサーが96年に亡くなるまでの約20年間エリントンバンドを率いていました。実は息子のマーサーはマーサーで自分のバンドを率いていた時期があり、そのバンドのメンバーにはディジー・ガレスピーやチャールズ・ミンガス等、のちに大成功を収めるミュージシャンもいるほど、バンドリーダーとしての才覚は持っていました。また作曲においても「Things ain’t what they used to be」、日本名で「昔は良かったね」といった名作をリリース、更に父の楽団でアルトホルンやトランペットを担当したりロードマネージャーを務める等、非凡な才能を示していました。

なので、父の死後は速やかに息子が楽団を率いることになり、1981年から83年までブロードウェイで公演された父を題材としたミュージカル「ソフィスティケイド・レディ」においては楽団の指揮者として活躍、更に88年のグラミー賞受賞作である「Digital Duke」は父親存命時にヒットした作品を改めてデジタル録音で収録したもので、レーベルはGRP、プロデューサーにDave GrusinやMichael Abeneが名を連ねるというアルバムです。

エリントンと一言で言っても、デュークだけではないよということでね、特に「昔はよかったね」は息子の作品だよ、ということは知っておいていい気がします。なお、マーサーが96年に亡くなった後はマーサーの息子であるポールがエリントン楽団を引き継ぎバンドを存続させている他、娘のメルセデスはデューク・エリントン芸術センターの所長を務めるなどエリントンの名とサウンドは3代に渡って引き継がれています。

伝統を踏襲しながらモダンな響きを取り入れつつそれでいながら実験的ではなくキャッチーさを包含したサウンド

さて、ここまで大きな流れで見ていきましたが、そうした大きな流れの中に82年のGerry Mulligan、84年のRob McConnell、86年のBob Wilber & John Barryがそれぞれ1回ずつグラミー賞を受賞しています。この3人に共通していると感じるのが白人であることとそのサウンドの洗練さです。いわゆる伝統的なビッグバンドの形を踏襲しながらも同時代的なモダンな響きをアレンジに取り入れることで古臭さを感じさせず、しかしながら実験的にならずキャッチーさをも包含している。丁度ウディ・ハーマンが70年代にグラミー賞を獲得した「Giant Steps」や「Thundering Herd」で見せたバランス感覚、これがより安定した形で聞き取ることが出来ます。今聞いても普通に聞けるサウンドというか、むしろこの時代からすれば先取り出来ていたのではないか、そんなことをさえ思わせるサウンドです。また白人ビッグバンド特有のおしゃれ感、これも見逃せません。特にBob Wilber & John Barryの組み合わせですが、Bob Wilbarはクラリネットを主体に、サックスは主にソプラノサックスを吹くといったミュージシャンで、演奏を聴いていただければ分かりますがかなりクラシカルなジャズミュージシャンといってもいいです。

ここまで書いてきた通り、80年代のグラミーはこうした「古き良きビッグバンド・ジャズ」というものを評価する、そのコンセプトにまさに合致したような演奏をします。一方、John Barryは作編曲家で映画007のジェームズ・ボンドのテーマの編曲で名声を得た方です。まさにクラシカルなアーティストと現代を走る作編曲家のタッグという、そういう作品です。

余談ですが、これ聴いた瞬間エヴ〇と思ってしまったんですが。鷺巣さんもビッグバンドに熱い方だし、参考にされたのかなぁ。。。

84年のRob McConnellのAll in good timeも1曲目にはガーシュウィンのI got Rhythmをこれまた凝ったアレンジで聞かせる他、今でも日本の学生バンドでは割と演奏されるPhil not Billといったナンバー等、今聞いても普通におしゃれに聞こえます。

Gerry Mulliganのタイトル曲「walk on the water」も3拍子をベースにgerry Mulliganがバリトンサックスではなくソプラノサックスでフィーチャーされるという、現代的な響きと浮遊感、しかしながらしっかりとしたビッグバンドの土台を活かした贅沢なオーケストレーションが聞ける作品となっています。

そして89年、あの鬼才がついにグラミー賞を獲得する!!

さて、ここまで80年代のグラミー賞を紹介してきて、概ねその傾向というのがトラディショナルなビッグバンドサウンドを重視している、と私なりの考察ですがそうした傾向が続いてきた中、89年、鬼才ギル・エヴァンスがついにグラミー賞を獲得します。まぁ、このアルバムも聞いてもらえれば分かりますが、とにかくギルです。なんていうか、まぁ1時間強のアルバムですが、とりあえず何も言わず黙って全部聞け、そうとしか言いようがない。良いも悪いも無い、とにかく聞け!!と。何かラーメン二郎に似ている?と思うのは私だけですかね?とりあえず黙ってまずは食べてみろ、何か言うのはそれからでいい、みたいな。ただね、一言だけ言うとしたらカッコイイですよ、めちゃくちゃカッコイイ。はっきり言ってこれ聴いて心震えないやつはいないんじゃないか?と。そういう意味で完成度の高さというのを感じるアルバムでもあります。ただ、ここまでみてきた80年代グラミーの流れとこのギルのアルバム、明らかにそれまでの流れとは違います。選考過程で何かあったとしてか思えない、それぐらい衝撃を受けます。ちなみにwikipediaにはアメリカのジャズビッグバンド界に革命をもたらした一人、マイルス・デイヴィスとの協作が多く、「マイルスの知恵袋」とも呼ばれた、といったことが書かれてます。そしてなんと88年の3月に亡くなっているんです。この89年のグラミーはつまり亡くなった翌年、遺作となった作品でとったということで、なんていうかやっぱり鬼才という言葉が似合う、多分この人以上に合う人はあとは岡本太郎とアンディ・ウォーホルぐらいなんじゃないかと、そんなことを思ってしまいます。

https://www.youtube.com/watch?v=IH7FP2CpQOY&list=PLOpzvXtN_YR6jR-lAEUB8tiihiNfmex_t

というわけで、ここまで80年代のグラミー賞を見てきました。いかがでしたでしょうか?全般的には伝統的なビッグバンドサウンドというものが前面に出てくる流れではありましたが、最後の最後に衝撃的な作品がぶっこまれてきて、さぁ90年代どうなってくるか、俄然楽しみになってきましたね。というわけで、まだまだ続きます。ここまでお読み頂きありがとうございます。よろしければフォローしてください。以上、ビッグバンドファンでしたぁ~、ばいばい

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