【ヒプノシスマイク】オオサカディビジョン(旧どつ)に想いを馳せてみる



オオサカディビジョンについて本気出して考えてみました。
とはいえ、オオサカディビジョンの桐生ちゃんこと天谷奴零(あまやどれい)さんは実質中央区の人間なので、この場合のオオサカディビジョンは白膠木簓(なんてよむの?)と躑躅森盧笙(筆記テストの名前欄だけで4分使う)の2人とします。

※追記 どうやら天谷奴さんってもう大阪にズブズブらしいですよ…?そうなんだ…????
でも今回は簓と盧笙の2人について書きます。

元は漫才コンビを組んでいて、志半ばで袂を分ち、盧笙は教師の道へ、簓は今もピン芸人を続けている。
そんな2人がどうしてこうなったのかを考えてみました。

簓と盧笙というコンビのスタイル


まずこの2人、どういうスタイルの漫才コンビだったんでしょうか。

前提として、簓と盧笙は漫才コンビである以上どちらかがボケでどちらかがツッコミなのは間違いないと考えています。
もちろん例えばおぎやはぎさんのような、どちらともつかないパターンも存在しますが、彼らは「オオサカ」の「漫才コンビ」ですのできっと「なんでやねん」と「ええかげんにせえ」と「やめさせてもらうわ」で成り立っているはずです。

そこで思うに、彼らはこんな構成のコンビだったのではないでしょうか。
簓→ボケのテイをしたツッコミ
盧笙→ツッコミのテイをしたボケ

この構成が彼らがウケた理由であり、簓がピンでやっていけている理由であり、盧笙が芸人を辞めてしまう理由でもあると推量します。

まともで良識的な簓と天然でクレイジーな盧笙


簓が面白いとこって見たことなくないですか?

あっ、すみません、暴言を吐きました。

でも、簓って売れっ子ピン芸人なんです。
だけど彼、普段は下らないオヤジギャグを連発してしまうのが玉に瑕なんです。
だから普段の彼はあんまり面白くないんです。

そんなことある???????逃げだろ。

あっ、すみません、また暴言を!このバカ!!アホ!!ちりとてちん!!
とにかく、簓はお笑い芸人ですが、ステレオタイプな芸人らしい破天荒さや、笑いに関する強いポリシーも思想も大して感じられないキャラクターです。
それでもなお漫談スタイルで人気を博しているのです。

つまり、彼のピンで売れている理由は、純粋なネタの面白さではなく、本人のビジュアルと話術に加えて、舞台上での立ち居振る舞い、具体的には「回しの巧さ」「アドリブの巧さ」「客いじりの巧さ」の占める比重が高いものと推察します。
頭の回転が速く、気が利き、軽妙に弁が立ち、その場のパワーバランスを読んで立ち回る力が卓越しているのではないでしょうか。
番組MCで本領を発揮するタイプの芸人さんですね。

そんな彼だからこそ、ピンになったとしてもしっかり売れっ子で居続けているのだと思います。
きっと彼のソロライブに行くと、普段の司会業やテレビタレントとして培ったいい感じのエピソードトークとユーザー満足度の高いお客さんとのやり取りで盛り上げてくれるんだと思います。

ここまで言っておいてなんとなくわかると思いますが、簓のパーソナリティはツッコミなんですよね。
番組で司会進行をしたり回しを行うのは慣例的にツッコミ芸人さんですが、あれは何も「そういう決まりだから」というわけではなく、ツッコミに必要な、場を仕切る能力と観客の共感を担う能力がMCに必要な能力と合致しているから自然とそうなっているのです。

本編の簓は圧倒的にまともで、舞い込んだトラブルを解決するような立場になっています。
時折、ボケ?として発するオオサカジョーク??みたいなものが上滑りするのも、彼の立ち位置上、場を和ませたり、ちょっとした道化を演じるためのツールとして用いている向きが強いからこそなのではないでしょうか。(超好意的解釈)

と、いうわけで、蘆笙とコンビを組んだ場合、ボケは確実に蘆笙であると言えます。

一方の蘆笙なのですが、前章で「ツッコミのテイをしたボケ」と表現したのをより正確に表します。
「自分がツッコミだと思いこんでいるボケ」です。
すごい悪口か病状みたいになりましたが、そうとしか言えないです。

蘆笙は自分のことをまともであると思い込んでいます。

簓よりも常識人の自分がしっかりしないと…みたいなムーブをしている様子が多々見受けられるところからもよく表れているように思います。

しかし、蘆笙先生って、奇人なんですよね。
まずイケメンのヤンキーでお笑いの養成所に入って独特なネタで滑りまくっていた(公式)っていう時点で一般的な感性をしているように思えないというか…

そもそも志望理由が「おもろい奴がいないなら俺がおもろい奴になる、という理由でお笑い芸人を目指した」(公式)で、養成所の面接官に、机を蹴り飛ばしながらお前俺よりおもろいんか!?と吠える(公式)なので、半端なくバチバチの奇人なんです。
しかもこいつ教職取ってるんですよ!!
取った上でなんでこんな風でいられるの???
なんでそんなお笑いでしか生きていけない感じのオリジンを引っ提げて教職を取ってんの???
実家が厳格なんでしょうか?
だとしたらもうグレにグレにグレてます。

もう分かると思いますが、彼はナチュラルにクレイジーな人間であると言えます。
一般人と感覚がズレにズレまくっている上に、テンパって突如暴力性を発揮したり、かと思うと最終的に衆目を集めると極度にアガるようになってしまうような繊細さも持ち合わせている、制御できない爆弾みたいな人間なんです。

全てがごく真っ当な簓にとって、自分は常識人であると信じて憚らないこの破天荒人間は、最高に弄りやすくて面白く、また、眩しく映ったのではないでしょうか。

公式には、「簓の小ボケに盧笙がナチュラルにツッコんだらウケた」とありますが、このウケを分析するに、「簓のボケにツッコむ盧笙に共感した笑い」ではなく、「ツッコんでる盧笙の方が明確におかしいという違和感に対する笑い」だったのではないかと思うのです。

具体例を挙げます。

どついたれ本舗『あゝオオサカdreamin'night』より

盧笙: あ?お、俺?オケ、ええーと、どうしよ
あー、お、俺は盧笙…躑躅森…
続きの文字が出てこおへん…
あ、ヤバイ…どうしよ…ああぁ…

簓:「へい!ティーチャーWISDOM一言良いっすか?」
盧笙: いや、俺の番や割り込みすな!

おどれが「ヤバイ」とか「どうしよ」言うてたから割って入ったったんやんけ!!!!??!!?!

これですね。

デビュー曲からすでにこの掛け合いを書いているR指定さんの解釈の解像度は一旦置きまして、簓と盧笙の2人はこの調子で独自の掛け合い漫才、「自分がツッコミだと思い込んでいるボケにツッコむ」スタイルを確立していたのではないでしょうか。

盧笙は何故コンビ解散に至ったか

ネタを書いていたのはほぼ確実に簓だと思います。
ただ、このコンビの真価は、ネタを完璧に演じ切った時ではなく、ネタを完璧に演じきれない、つまり盧笙が何かミスをしたり、簓がアドリブを入れたりしながら本筋を外れていき、盧笙という人間そのものに簓がツッコミを入れている時にこそあったのではないかと想像しています。

簓は恐らくそれが分かっていました。
自覚的にネタにアドリブ要素や、盧笙に任せる部分を取り入れ、わざと不確定要素を作るのです。
盧笙は、いつでも簓の期待した通りか、それ以上に慌てたり、焦ったり、イキったり、笑ったり、怒ったり、事故ったり、絶妙にズレた反応をしてくれるはずです。
それらをアドリブでツッコんだりしながら最終的には漫才の形にまとめる、というのは、大変に高いスキルが求められますが、簓にはそれを成し遂げるだけの才覚がありました。
上手くハマった時には凄まじい達成感が得られたでしょう。

彼らに鉄板ネタはありません。
常に一期一会、今、この場で、最高の掛け合いを作り上げているんだ、というプレミア感は観客にとっても見応えのあるコンビだったと思います。

つまり客イジリの天才である簓にとって盧笙は、最高の相棒であり、最高にいじりがいのある客だったのではないでしょうか。
漫才から逸脱しすぎない範囲でいい感じに事故る、というのは中々狙ってできることではないのですから。

惜しむらくは、盧笙にとってこのウケ方は不本意なもので、理解が出来なかったのではないかと思います。

盧笙からすると、自分のミスやズレた発言を、簓がカバーして笑いに変えてくれている認識になります。
ネタを作るのも簓、自分の特性を笑いに変換してくれるのも簓、ついでに言えばきっとその頃からテレビで露出があった際には、卒なく社交的に立ち回り、外交もこなしてくれるのが簓だったわけです。

前述の通り、「おもろい奴がいないなら俺がおもろい奴になる、という理由でお笑い芸人を目指した」彼のこと、下手をすると、こと「おもろい」に関しては簓よりも執着が強かったかもしれません。

自分が笑いに貢献できているのか。
自分で笑いを取れているのか。
そう自問自答した時、簓からすると盧笙が居なければ絶対に起きない大爆笑も、盧笙にとっては自分で手に入れたものではない、与えられたものに感じられたのではないでしょうか。

二人だからこそ生まれるシナジーを理解するには、盧笙は若く、笑いに対してストイックすぎたのだと思います。

簓が盧笙にこの2人の構造上の面白さをどんなに説明したとしても、盧笙視点では「簓なら俺とじゃなくてもやれるやろ」という疑念にも似た思いが拭いきれません。
そんなことないのにね…
いい感じに事故れる盧笙は奇跡的な存在なんですが、それは簓にとって、ってだけの話なのが難しいところです。

ずーっとこの思いを抱えて漫才で舞台に立っていた盧笙は、決定的にイップスになってしまいました。
常に正解のわからないナマの掛け合いを綱渡りで披露し続けるという精神的な負荷はかなりのものだと想像できます。
簓には、彼の態度を見るにつけ、自分のスキルと、何より盧笙に対する全幅の信頼があったのだと思います。

コイツは面白い!
面白いからきっといつものように、自然と面白いことを言ってくれる!
言ってくれれば俺が幾らでも面白くできる!
だからいつでも綱渡りでも自信満々でいられたのでしょう。簓にはちょっと傲慢だったきらいもあると思います。

盧笙には、その自信が持てませんでした。
簓が輝き、コンビでウケを取れば取るほど、真逆のベクトルの思考に陥るのです。

ああこれは、俺が面白いんじゃなくて、簓が面白いだけのことであって、俺は簓に面白くしてもらってるだけなんだ。と。

とうとう盧笙は簓にコンビ解散を切り出すことになりました。
かなしいね…

簓という人間

そして簓という人間についてなんです。
彼は、糸目関西弁であるにもかかわらず、あんなに軽薄そうなのに、めちゃくちゃ愛情深く、友情に篤く、一途で、面倒見がいいんですわ…
あれ…市丸ギンもか…
ほな糸目関西弁って…?

とにかく簓は、そうやって折れてしまった盧笙を、責めるどころか解散しても尚交流を保ち、教師としての道を応援してくれるんです。
持ちかけられるコンビ結成の打診も全部断ります。
前述の通り、盧笙とでなくては成立しない漫才スタイルだったからというのはもとより、彼にとってはコンビは盧笙と以外は考えられない、とのことなんです。

どんなに売れても盧笙大好きらしいんです。

いいやつすぎるって!!!

ところでヒプマイ2期アニメが始まりましたね!(唐突)

2期第4話はオオサカメインのお話です。
その中で、簓と盧笙のコンビを観てお笑いを諦めかけたおっちゃんが出てきて、彼を取り巻く事件が展開されます。

そこで盧笙が独白するシーンがあります。
横にいる簓の輝きが眩し過ぎて、お笑いを続ける自信がなくなった、と語ります。
異様にフィジカルの強いお笑い芸人を諦めかけたおっちゃんに共感する場面ですね。

簓は、この時、なーんにも喋りません。
ただ聞いてます。
こいつ、絶対言いたい事沢山あるだろうし、本人的には盧笙の言う「簓の才能が眩し過ぎた」には、心から「なんでやねん!!」を言いたいはずなんです。

だけど黙ってます。
今言う事じゃないから。
そして、盧笙の行く道を認めたのだから。

すごいぜ簓…君は大人だ。
そして気配りの鬼だ…。

そんな簓は今、形は変わったものの、ラップバトルを通じてまた盧笙と肩を並べていることが本当に嬉しいのではないでしょうか。

大体既に売れっ子の彼が、わざわざ自主的にラップで天下を取りに行く必要なんてないんです。
それをよく知らんおっちゃんで数を合わせてまで盧笙とディヴィジョンラップバトルに参加してるんですよ!!

絶対そういう経緯だと思います。
私は第4話を観ながらあまりのエモさに泣きそうになっていました。
なぜなら今までのこの流れを、私は「識(し)って」いたからです。
彼らの、自分のことをツッコミだと思い込んでいるボケをツッコむ漫才を、私は「観て」いたからです。

勝手に自己補完したこの考察が、今後公式のコミカライズとかでマジで全然違ってて、簓は普通に輝きあふれるオモロの天才で、だけど普段は特におもんなくて、盧笙が単純にあんまりお笑い向いてないけど漠然とヤバ人間だったとしたら

いいや絶対に私が正しい!!!!!!
そうでなければ何故こんなに辻褄が合う!?

私が恣意的に合わせにいってるからか…
ラムダくんも巨悪でもジョーカーでもなんでもなく飴がないと動けもしねぇただただ悲しきマリオネットだったしな…※別記事参照

まあいいです。
私はM-1の三回戦の動画を観ながらどつ本に思いを馳せますので、放っておいてください。

ほなねー。


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